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高畠町

一本柳館

いっぽんやなぎだて

満福寺境内を流れる水路。

満福寺境内を流れる水路。堀跡と思われる。奥に見えるのは浜田氏の末裔、広介の石碑。

城館の特徴/見どころ

浜田広介記念館周辺に広がる戦国時代伊達氏の最有力家臣の城館。

城館の歴史/伝承

和田わだ川沿いの平地にある、屋代やしろ郷惣成敗職そうせいばいしきをつとめた浜田伊豆はまだいず大和守やまとのかみの居館。浜田一族は一本柳近隣の地頭領主であり、伊達氏の宿老しゅくろう格だった。17代伊達政宗の信頼が厚い浜田景隆かげたか(伊豆守いずのかみ)は 摺上原すりあげはらの戦い、人取橋ひととりばしの戦いなどで陣代じんだいを務めたと伝わる。1591年に岩出山いわでやまに去り、一族樋口ひぐち氏らが残ったといわれている。

別名 浜田館はまだだて
所在地 高畠町大字一本柳字舘之内マップへ
史跡地指定 なし
築城時期 戦国時代
築城者 不明/城主:浜田はまだ
探訪レベル A1(※)
探訪適期 積雪時除く4~11月
お問い合わせ 高畠町商工観光課
0238-52-4482

(※)探訪レベルについて

探訪レベルについて 探訪レベルについて
概略図

略測図:山形県教育委員会「山形県中世城館遺跡調査報告書 第1集(置賜地域)」(平成7年刊)より一部転載

縄張図凡例

縄張図・略測図凡例
縄張図・略測図凡例
  • 堀跡。その向こうに見える茅畑と茅葺き屋根の民家が、本丸跡。

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    堀跡。その向こうに見える茅畑と茅葺き屋根の民家が、本丸跡。

  • ①1堀跡を真横から。

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    ①の堀跡を真横から。かなりの幅があり、当時の堀のスケールの大きさが分かる。

  • 本丸跡を東側、正面から見る。

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    本丸跡を東側、正面から見る。堀跡の水路が今も巡らされている。

  • 本丸跡と枡形と伝えられる場所の中間にある堀跡。

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    本丸跡と枡形と伝えられる場所の中間にある堀跡。

  • かつての枡形と伝えられるゆるいクランク。

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    かつての枡形と伝えられるゆるいクランク。写真奥 ( 西方向 ) が本丸跡、東方向が大手。

  • 北口(樋口)稲荷の近くには板碑が残る。

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    北口(樋口)稲荷の近くには板碑が残る。

  • 二重堀の内堀跡。

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    北口(樋口)稲荷。社のある2mほどの高まりが土塁跡として残っている。

  • 西側の自然の堀とした和田川。

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    西側の自然の堀とした和田川。和田川橋から本丸跡(ブルーシートの先)を眺める。