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南陽市

大橋城

おおはしじょう

出丸があった場所。

出丸があった場所。かつての遺構ではないが、往時の雰囲気を感じさせる。

城館の特徴/見どころ

鎌倉公方くぼう氏満うじみつの下命するところにより、伊達氏9代政宗(儀山ぎざん)に築かせた城館。

城館の歴史/伝承

城跡の南北に広がる田んぼは、谷地やちと言われる地名のとおり沼地(湿地)で、平地にある大橋城の要害性を高めていた。また、城跡南側、御殿跡との間には水堀跡の水路が残る。幅は道路の両脇に水路があることから、およそ道路幅分は水堀であったことがうかがえる。国道の東側には土塁の高まりもわずかながら見られる。

別名 大橋館おおはしだて
所在地 南陽市大橋字館ノ内マップへ
史跡地指定 なし
築城時期 不明
築城者 不明(9代伊達政宗(儀山ぎざん)か)/城主:湯目ゆのめ
探訪レベル A2(※)
探訪適期 積雪時除く4~11月
お問い合わせ 南陽市観光協会
0238-40-2002

(※)探訪レベルについて

探訪レベルについて 探訪レベルについて
概略図

略測図:山形県教育委員会「山形県中世城館遺跡調査報告書 第1集(置賜地域)」(平成7年刊)より一部転載

縄張図凡例

縄張図・略測図凡例
縄張図・略測図凡例
  • 大橋城本丸の北西角の一部と西堀跡の遺構がわずかに残る。

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    大橋城本丸の北西角の一部と西堀跡の遺構がわずかに残る。

  • 城主、湯目氏に由来する畿内神社。

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    城主、湯目氏に由来する畿内神社。

  • 瑞光寺裏に残る、屋代川旧河道。

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    瑞光寺裏に残る、屋代川旧河道。大橋城の南堀の役割を果たす自然要害であった。

  • 道路と御殿跡の間にある南堀跡。

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    道路と御殿跡の間にある南堀跡。道路全体が当時の堀幅(屋代川旧河道)とされる。

  • 南堀跡の水路、写真奥が御殿跡。

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    南堀跡の水路、写真奥が御殿跡。

  • 搦め手があった辺りから見る、大橋城主郭(本丸)の全景。

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    搦め手があった辺りから見る、大橋城主郭(本丸)の全景。

  • 出丸があった場所。

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    出丸があった場所。かつての遺構ではないが、往時の雰囲気を感じさせる。

  • 写真左の国道が西堀跡と重なり、中央奥が主郭、右の道路が南堀(屋代川旧河道)。

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    写真左の国道が西堀跡と重なり、中央奥が主郭、右の道路が南堀(屋代川旧河道)。