織田信長(おだのぶなが):戦国観光やまがた情報局|山形おきたま観光協議会

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織田信長(おだのぶなが)
天文3年(1534)〜天正10年(1582)
 天下布武を目指した型破りな戦国武将として名高い。
 尾張斯波氏の家老織田信秀の嫡男。18歳で家督を継ぐ。永禄3年(1560)桶狭間の戦いで今川義元を破ると天下統一に向けて勢力を拡大し、長篠の戦い(1575)で武田勝頼を破る。
 その後上杉家家督争いの「御館の乱」に乗じて、上杉領である能登・加賀を攻略。天下統一まであと一歩に迫りながら天正10年(1582)6月2日、本能寺で家臣明智光秀に急襲され自害。享年49。
 信長は合理主義に徹し、才能ある家臣は身分を問わず登用昇格させた、まさに能力主義者であった。
2008/08/18 15:00 (C) 戦国観光やまがた情報局
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