:戦国観光やまがた情報局|山形おきたま観光協議会

戦国観光やまがた情報局

当館常設展示室では国宝上杉家文書を常時見ることができる上杉文華館があります。

2016年度の上杉文華館は「謙信を生んだ一族・長尾氏」をテーマにゆかりの文化財、貴重な史料をご覧いただきたいと思います。

平成28年度、第2回目のテーマは… 「長尾越後支配の要諦」 です。

 

【展示期間】 平成28年4月27日(水)〜5月24日(火)  

 

 長尾氏は桓武平氏の一族で、相模国鎌倉郡長尾郷(横浜市戸塚区)を名字の地とし、三浦氏や梶原氏、鎌倉氏、大庭氏、などが同族です。後三年合戦に活躍した鎌倉権五郎景正や、源頼朝に仕えた梶原政景らは一族です。しかし、鎌倉時代の長尾氏の動向はよく分からないことが多いのが実情です。宝治元年(1247)に執権北条時頼によって滅亡に追い込まれた有力御家人三浦氏に味方していたことから没落し、その後鎌倉幕府6代将軍に就任した宗尊親王に従って、京都から鎌倉に下向してきた上杉氏の家臣になったと考えられています。鎌倉幕府が滅び、室町幕府が開かれると、その重要メンバーであった上杉氏の活躍によって、その家臣である長尾氏も確かな記録にその名をみせるようになりました。

 謙信は越後府中を拠点とした「府中長尾氏」と呼ばれる一族の出身です。この長尾氏は越後守護代を代々務めてきました。謙信もまた家督継承とともに越後守護代に就きました。2016年度第2回目の上杉文華館は、「越後支配の要諦」と題し、守護上杉氏の越後支配の基礎が形成される14世紀後半、守護上杉憲栄・房方、守護代長尾景春・高景・邦景の時代の動向、特に支配強化の手段の一つになった使節遵行という職務について、国宝「上杉家文書」から紹介します。

 

▼ コレクショントーク

 「謙信を生んだ一族・長尾氏 〜越後支配の要諦〜」

平成28年 5月7日(土)14:00〜

場所: 常設展示室 上杉文華館

※入館料が必要です。

 

▼「徒然草図屏風」展示情報

【展示期間】 平成28年4月16日(土)〜5月15日(日)

新たに山形県指定文化財となった「徒然草図屏風」を展示します。江戸時代の作であり、上杉家ゆかりの作品です。江戸時代の大名家の教養の一端を知ることのできる貴重な資料と言えます。

 

お問い合わせ 米沢市上杉博物館 0238−26−8001まで

皆さまのご来館を心よりお待ちしております。


2016/05/07 09:21:Copyright (C) 伝国の杜 情報BLOG
2012年「週刊文春ミステリーベスト10」第1位、2013年「このミステリー がすごい!」第1位などに輝いた横山秀夫の衝撃作『64(ロクヨン)』が、 日本映画界を代表する超豪華オールスターキャストによって、前後編2部作の エンタテインメント超大作『64-ロクヨン-前編/後編』として、ついに映画化。

「64-ロクヨン-前編」の冒頭シーンは、高畠町の旧高畠駅舎で撮影が行われました。
撮影当日(平成27年3月10日)は、朝5時 から大型トラックで15台分の雪を搬入し、春めいてきた旧高畠駅舎の周辺は一気に冬景色 に逆戻り。さらに季節外れの大雪が降り、現場は天気待ちをするほど大荒れになり、 主人公・三上を演じる佐藤浩市さんとその妻役を演じる夏川結衣さんらが、娘の失踪の 件で北国の警察署を訪ねるというシーンを撮影しました。

エキストラで、高畠町職員も登場しております。
地元ならではの見事な雪かきシーンを披露してますので、興味のある方お楽しみください。

上映は、5月7日(土)より全国の映画館にて上映されます。

2016/05/06 15:20:Copyright (C) 高畠町観光協会

ただ今当館では、特別展「米沢中納言 上杉景勝」前期の展示を開催中です。

さて、本展示会では、昨年度ご好評いただきました刀剣の展示も行っております。

特別展「米沢中納言 上杉景勝」前期の期間で、太刀 銘 一(号 姫鶴一文字)を展示しております!

この太刀は上杉景勝自筆腰物目録に上秘蔵「ひめつる一もんし」と記されている一口です。拵は鐔のない合口拵で、上杉家の刀剣の特色の一つとされています。

上杉家伝来の名刀である姫鶴一文字を是非、ご覧下さい!

重要文化財 太刀 銘 一(号 姫鶴一文字)

(太刀)

 時代:鎌倉時代(13世紀)

長さ:71.5

反 :2.0

所蔵:米沢市上杉博物館

(拵)

総長:104.2

柄長:23.0

鞘長:81.5

所蔵:米沢市上杉博物館

◆「姫鶴一文字」展示期間:2016年4月16日(土)〜5月15日(日)

※ 特別展「米沢中納言 上杉景勝」前期での展示

お問い合わせ 米沢市上杉博物館 0238-26-8001


2016/04/22 11:12:Copyright (C) 伝国の杜 情報BLOG

4月16日(土)〜5月15日(日)までの期間で、新しく山形県指定文化財に指定されました、

当館所蔵の「紙本著色徒然草図 六曲屏風」(しほんちゃくしょくつれづれぐさず ろっきょくびょうぶ)

お披露目展示いたします!

徒然草図屏風-左隻

徒然草図屏風-右隻

 

「徒然草図屏風」は、右隻と左隻が対になった一双屏風で、江戸時代前期の作とされます。

「徒然草」の全244段から28説話を選び、一話一図の間を金雲で埋めている本屏風の場面は、吉田兼好作の『徒然草』から採っています。

作者は不詳ですが、狩野派を学んだ絵師と考えられます。

 

「徒然草」を題材にした絵画作品は少ない上、屏風に描かれたものは非常に珍しく、最も古い作例の一つで、わが国の文化史上、貴重な資料です。丁寧に描かれた画面は親しみやすく、面白いものになっています。

ぜひご来館いただき、新山形県指定文化財「徒然草図屏風」をご覧ください!

 

※常設展示室・上杉文華館にて展示致します。

 

お問い合わせ 米沢市上杉博物館 TEL 0238-26-8001


2016/04/14 10:25:Copyright (C) 伝国の杜 情報BLOG
平成28年、今年の桜は例年より早く開花しています。
毎年開催の南陽市・桜まつりは、4月15日より5月5日まで開催いたします。

例年、まつりスタートの時期はまだつぼみでしたが、今年は桜が先に開花してしまいました。今年の桜まつりは見ごろを迎えてのスタートとなりそうです。

期間中は夜桜ライトアップも18:00から22:00まで行います。ぽかぽか陽気の桜、そしてライトアップされた桜の幻想的な世界をお楽しみください!!

また、烏帽子山公園を下るとふもとに「ゆうなびからころ館」があり、足湯に使ってのんびりすごすのもオススメ!

4月12日現在の桜の開花状況は「5分咲き」です。
満開が待ち遠しいこのごろです!
2016/04/13 19:41:Copyright (C) 南陽市観光協会
「やまがた花回廊2016キャンペーン」のオープニングセレモニーを、4月9日(土)JR米沢駅で開催しました!



「やまがた花回廊キャンペーン」は「ここはいつでも花日和」をキャッチコピーに、置賜・上山に咲きほこる桜、アヤメ、バラ、つつじなど「花」をテーマとして、春から7月まで続くキャンペーンで、平成19年から置賜地域・上山市の4市5町とJR東日本との連携により展開しています。

おかげ様で今年はキャンペーン10周年!!ということで、お客様への感謝の思いを込め、JR米沢駅でオープニングセレモニーとおもてなしをさせていただきました。

まず、セレモニーとして内藤キャンペーン実行委員長からご挨拶を申し上げました。


続いて、吉村知事様、中川米沢市長様からご祝辞を賜りました。




次に、小野川温泉、白布温泉の女将さんから、PRを行って頂きました。




また米沢繊維協議会の近藤会長様より、タイアップ企画の「米沢きものフォト・ウォークラリーin花回廊」のPRを行っていただきました。


小林JR米沢駅長から、米沢八湯会サポーターの本田さん、地元高校生の山田さん、同じく小学生の遠藤くん、遠藤さんへ、米沢駅の1日駅長に任命する委嘱状の交付を行いました。




続いて、キャンペーンのスタートを祝して、くす玉割りを行いました。



最後に「やまがた愛の武将隊」のみなさまから、力強い“勝ち鬨”を行っていただき、キャンペーンの成功を祈願しました。


さて、ここから到着する新幹線から降車されるお客様に、皆さんでおもてなしをさせていただきました。

米沢民謡一家のみなさんによる勇壮な上杉太鼓の披露です!


山形大学花笠サークル「四面楚歌」のみなさんによる花笠音頭のお出迎えです!



東部商和会のみなさんによる舘山のりんごジュースと玉こんにゃくの振るまいです!




みなさん笑顔でお客様をお出迎えしました。








一日駅長のみなさんと小林駅長の掛け声で、つばさ号が発車します!



各地で咲き競う満開の花と、地域の皆さんの笑顔のおもてなしで、ここ山形から東北の元気を全国に発信してまいります!
各観光スポットへ、皆さまのご来訪をお待ち申し上げております。


詳しくは、

▲やまがた花回廊 公式ホームページ
をご覧ください。


問い合わせ先:山形おきたま観光協議会(置賜総合支庁観光振興室内)
電話:0238-26-6046
2016/04/13 09:30:Copyright (C) おきたまジェーピー事務局

当館では4月16日(土)〜5月15日(日)までの期間で、

国宝「上杉本洛中洛外図屏風」の原本を展示いたします!

 

 

国宝「上杉本洛中洛外図屏風」は天正2年(1574)に織田信長が上杉謙信に送ったと伝えられるもので、桃山時代の代表的な絵師である狩野永徳に描かれました。

 

この屏風は、京の市街地(洛中)と郊外(洛外)の四季と、そこに生活する人々のすがたを描いたもので、芸術的美術史的価値ばかりでなく、歴史資料としての価値も高く、民俗学的見地からも貴重な史料であることから国宝に指定されました。

 

ぜひご来館いただき、国宝の魅力をご覧ください。

 

※同時期に開催の、特別展「米沢中納言 上杉景勝」のチケットでご覧いただけます。

 

特別展「米沢中納言 上杉景勝」

【期間】

2016年4月16日(土)〜2016年6月19日(日)

前期:4月16日(土)〜5月15日(日)

※洛中洛外図屏風は前期の期間のみの展示です。

後期:5月21日(土)〜6月19日(日)

※展示替え5月16日(月)〜5月20日(金)

※休館日 5月25日(水)

【開館時間】

9:00〜17:00(入館は16:30まで)

【入館料】

一般 620円(490円) 高大生 400円(320円) 小中生 250円(200円)

※( )は20名以上の団体料金

※常設展と企画展のセット

◎5月5日(こどもの日)/小中高生…無料

◎5月18日(国際博物館の日)/常設展…無料


2016/04/12 15:01:Copyright (C) 伝国の杜 情報BLOG

特別展 「―開館15周年記念特別展― 米沢中納言 上杉景勝」が、

まもなく4月16日(土)からはじまります!

当館では10年ぶりとなる上杉景勝展です。

展示の開始にあわせた、オープニングギャラリートークのご案内をいたします。

企画展開催初日の4月16日(土)14:00から、当館学芸員による展示解説を行います。

ぜひご来館下さい!

※ギャラリートークに参加される際は、企画展示室入場券が必要です。

 

◎今後のギャラリートーク(展示解説)日程

各回14時から、企画展示室にて行います。

5月15日(日) ・ 5月21日(土) ・ 6月19日(日)

※当館学芸員による展示資料解説。

※企画展示室入館料が必要です。

 

◎原本展示

2016年 4月16日(土)〜5月15日(日)

国宝 「上杉本洛中洛外図屏風」

※特別展にて展示

新山形県指定文化財「徒然草図屏風」

※常設展示室・上杉文華館にて展示

 

皆さまのご来館を心よりお待ちしております!

お問い合わせ 米沢市上杉博物館 TEL 0238-26-8001

 

 


2016/04/10 09:52:Copyright (C) 伝国の杜 情報BLOG

やまがた花回廊始まります!

平成28年4月9日〜7月12日、JR東日本と連携した観光キャンペーン
「やまがた花回廊キャンペーン」が開催されます。
これから春になり、置賜桜回廊、上杉まつりも始まります!

季節の花いっぱい、旬の味覚どっさりのこの期間に
ぜひお越しください。

ここはいつでも花日和
出かけよう満開のやまがたへ。

このパンフレットで紹介している観光スポットの
魅力的な旅行プランがたくさんございます。

米沢牛スペシャルウィーク
まち歩きなど
さらに宿泊と組み合わせると大変お得なプランが満載です!
日帰りプランもございます!

お近くのびゅうプラザにて
ぜひお問合せ下さい!

パンフレット画像でも紹介いたしますので
ご覧になって下さい。

表紙
キャンペーンキャラクターは、
米沢の伝統工芸相良人形おたふく
相良人形は、東北三大土人形のひとつ。
このキャラクターは、置賜・上山を訪れる人々に
多くの「福」が来るよう願いを込めたものです。

詳しくはやまがた花回廊キャンペーン公式ホームページご覧ください。

...もっと詳しく

2016/04/05 08:01:Copyright (C) 米沢観光コンベンション協会

当館常設展示室では国宝上杉家文書を常時見ることができる上杉文華館があります。

2016年度の上杉文華館は「謙信を生んだ一族・長尾氏」をテーマにゆかりの文化財、貴重な史料をご覧いただきたいと思います。

平成28年度、最初のテーマは…

「長尾氏、越後へ」 です。

【展示期間】 平成28年3月29日(火)〜4月26日(火)

 

 長尾氏は桓武平氏の一族で、相模国鎌倉郡長尾郷(横浜市戸塚区)を名字の地とし、三浦氏や梶原氏、鎌倉氏、大庭氏、などが同族です。後三年合戦に活躍した鎌倉権五郎景正や、源頼朝に仕えた梶原政景らは一族です。しかし、鎌倉時代の長尾氏の動向はよく分からないことが多いのが実情です。宝治元年(1247)に執権北条時頼によって滅亡に追い込まれた有力御家人三浦氏に味方していたことから没落し、その後鎌倉幕府6代将軍に就任した宗尊親王に従って、京都から鎌倉に下向してきた上杉氏の家臣になったと考えられています。鎌倉幕府が滅び、室町幕府が開かれると、その重要メンバーであった上杉氏の活躍によって、その家臣である長尾氏も確かな記録にその名をみせるようになりました。

 謙信は越後府中を拠点とした「府中長尾氏」と呼ばれる一族の出身です。この長尾氏は越後守護代を代々務めてきました。謙信もまた家督継承とともに越後守護代に就きました。2016年度第1回目の上杉文華館は、「長尾氏、越後へ」と題し、長尾氏が守護代として越後で活動し始めるきっかけについて、国宝「上杉家文書」から紹介します。

 

国宝 「上杉家文書」

足利直義御教書

時代: 康永3年(1344)10月20日

法量: 34.7×55.5

所蔵: 上杉博物館

 

▼ コレクショントーク

 「謙信を生んだ一族・長尾氏 〜長尾氏、越後へ〜」

平成28年 4月2日(土)14:00〜

場所: 常設展示室 上杉文華館

※入館料が必要です。

 

▼「徒然草図屏風」展示情報

【展示期間】 平成28年4月16日(土)〜5月15日(日)

新たに山形県指定文化財となった「徒然草図屏風」を展示します。江戸時代の作であり、上杉家ゆかりの作品です。江戸時代の大名家の教養の一端を知ることのできる貴重な資料と言えます。

 

お問い合わせ 米沢市上杉博物館 0238−26−8001まで

皆さまのご来館を心よりお待ちしております。


2016/03/31 11:59:Copyright (C) 伝国の杜 情報BLOG

すっかり雪も溶け、春めいてきましたね(´v`)*゜*。+*

春といえば新しい出会いの季節ですが、体験学習室でも新しい造形体験をご用意しております!

 

4月の季節企画は「日本の伝統色(3/26(土)〜4/22(金))です。

4月はの伝統色についてご紹介します。

 

4・5月の体験学習室は「フロッタージュであそぼう!」3/26(土)〜5/26(木)です。

フロッタージュは凹凸のある表面に紙をあて、上からクレヨンや鉛筆でこすり、凸凹の表面を写しとる造形方法です。

上から画材でこするだけの簡単な技法ですが、以前博物館で企画展を開催した造形作家のブルーノ・ムナーリや米沢出身の画家・デザイナーの浜田浜雄もこの技法を使った作品を制作しています。アーティストになりきって作品を作ってみてね(o^O^o)

身の回りのものでフロッタージュをしてみても楽しいですよ!

 

募集制ワークショップのご案内 募集開始日 4/12(火)

「ナイトツアーようこそ夜の博物館へ洛中洛外図屏風をたのしむ」
開催日  5月13日(金)19:00〜20:30
対象  どなたでも(中学生以下は保護者同伴)
定員  20名程度
参加費  一人500円

4/12(火)から募集開始ですので、ぜひぜひご参加ください!

 

それではご来館を心よりお待ちしております。
お問い合わせは 米沢市上杉博物館0238-26-8001までどうぞ


2016/03/25 16:08:Copyright (C) 伝国の杜 情報BLOG

企画展「上杉家の古写真」は、3月21日(月・祝)で終了しました。

会期中には5987人の方にご覧いただきました。

ありがとうございました!

 

1、沖縄関係
開幕直後に、首里城内部はじめ沖縄の写真がテレビや新聞で取り上げられたこともあり、大きな反響がありました。地元沖縄の新聞でも大きく報じられ、遠路沖縄からの調査や見学者もみられました。

 

2、人物の推定
 今回、他家の写真や聞き取り調査などにより、写っている人物を調べ、集合写真の一部は壁面の拡大パネルに名前を書き入れ、展示しました。展示開始後も、上杉家の親戚の方や市民の皆様から情報や貴重な写真が寄せられ、さらに調査が進みました。

 

3、君の名は…
 まだまだ、被写体がわからない写真がたくさんあります。幕末から明治期の写真について、全国的に旧大名や有力者の写真類を調べる必要がありそうです。また、米沢や置賜の人物写真についても、さらなる調査が必要です。米沢藩士の写真情報などございましたら、お知らせください。

 

 展示は終了しましたが、今後とも上杉家所蔵写真の調査・整理を進めてまいります。

さて、どんな「発見」があるでしょう。お楽しみに。

 

お問い合わせ

米沢市上杉博物館 0238-26-8001

 


2016/03/24 14:35:Copyright (C) 伝国の杜 情報BLOG

この展覧会の会期も残り4日、3月21日(月・祝)までとなりました。

さて、展示資料のうち2枚の写真をご紹介します。

 

1、上杉茂憲と家臣達
幕末期(1860年代)
6.2×10.0cm    上杉家蔵

 慶応2年(1866)の写真をもとに、左から3人目の椅子に座っている人物を上杉茂憲と推定しました。その他の人物は未詳ですが、上杉家の親戚や米沢藩の家臣達でしょうか。後列に立って煙管を持つ人物と、茂憲の右隣に座る人物は、茂憲と同程度の地位(大名かその子息)の可能性が考えられます。左右の端には、小姓らしき近臣が控えています。
 背景には布を垂らし、床にはゴザのようなものがひかれています。専用のスタジオができる以前、幕末に撮影されたもののようです。未詳の点も多くありますが、幕末の米沢藩の人々を写した、貴重な一枚です。
 
 この他、米沢新田藩主・上杉勝道の湿版写真、上杉茂憲の兄弟と思しき人物の名刺判写真などを第一章で展示しています。

 

2、目隠し鬼に興じる女性たち
明治後期
11.0×13.8cm    上杉家蔵

 白い布で目をおおった女性が他の女性を捕まえようとしており、目隠し鬼の最中のようです。中央の2名は「鬼さん、こちら」とでも言うのか、手を叩いて囃しているようにみえます。女性はいずれも10代半ば以降のようです。鷹司房子(上杉憲章の妻)のアルバムに貼り込まれており、写っているのは女学校時代の友人達でしょうか。房子本人の姿は写っていません。上杉家伝来写真のなかでは、珍しく動きのある、楽しげな一枚です。

 

 房子は嫁入りに際し、大量の写真を持参したようです。幼少期から20歳くらいまでの成長記録のアルバム、家族写真、華族女学校時代の集合写真など、明治20年代後半から大正初期にかけての写真が、上杉家に数多く伝来しています。
 展示では第4章で展示しています。

この他、あと4日しか見ることができない、貴重な写真が目白押しです。
お見逃しなく!

お問い合わせ

米沢市上杉博物館 0238-26-8001

 


2016/03/18 11:40:Copyright (C) 伝国の杜 情報BLOG

米沢の行事と建物

好評開催中の企画展「上杉家の古写真」ですが、会期は3月21日(月・祝)まで、間もなく終了です。お見逃しなく!!
さて、展示資料の紹介の第四弾として、地元・米沢の行事と建物の写真をご紹介します。

 

1、伏見宮下向に際し武徳会古式練兵 1枚
坂根儀一郎 撮影  明治39年(1906)10月10日 
11.8×17.4cm    上杉家蔵

 伏見宮貞愛親王(陸軍大将、大日本武徳会総裁)が武徳会米沢分会出席のため来訪した際に行われた、火縄銃の発砲訓練の様子です。江戸時代、米沢藩では30匁筒など大口径の火縄銃を軍制に取り入れていました。甲冑や笠、火縄銃を放つ人びとの所作と、江戸時代さながらの迫力が伝わってくる一枚です。

 

2、 上杉伯爵邸 玄関  1枚
坂根写真館 撮影  大正14年(1925)10月13日
18.2×22.8cm    上杉家蔵

 上杉伯爵邸は、明治29年、上杉家の本邸として建てられましたが、大正8年に焼失しました。この写真に写っているのは、大正13年に再建された建物(現存)で、翌年10月13日に当時の皇太子(後の昭和天皇)が伯爵邸に宿泊した際の記録写真です。
 玄関付近の建物は、現況とあまり変わらないようです。手前の石灯籠付近には、現在は上杉鷹山の銅像が建てられ、石や植物の配置も変わったので様子が異なっています。
現在の上杉伯爵邸邸については 
http://hakusyakutei.jp/  をご覧ください。
 
 この他、焼失前の伯爵邸を俯瞰的に捉えた写真や庭内の様子、同じく再建前の上杉神社など、明治後期以降の米沢の写真や絵葉書も展示しています。

お問い合わせ

米沢市上杉博物館 0238-26-8001

 


2016/03/18 09:44:Copyright (C) 伝国の杜 情報BLOG

東北の歴史を紐解くとき騒乱は重要なポイントとなるものと考えます。

常に中央から攻め込まれて防戦する形をとってきた東北の民

われらの先祖たち  蝦夷と蔑まれながら

蝦夷のプライドをかけて戦って守ってきた戦さの連続でした。

耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び 都から確立した独立国家樹立したしたたかさ。

源頼朝は新政権の体制づくりに奥州平泉の仕組みを学び取り入れようとしました。

平泉の研究が東北人の心意気を知る一つのポイントとになるものと確信します。

 

 


 ただいま、企画展「上杉家の古写真−伯爵の暮らしと米沢−」を好評開催中です。

 

上杉家では、幕末から昭和20年にかけての古写真を1000点以上所蔵しており、

そのうち今年度に当館で整理・調査した成果を展示しております。

 

ギャラリートークのご案内です。

 

3月12日(土)14時から、当館学芸員による展示解説を行います。

今回は、古写真と上杉伯爵邸というテーマで、学芸員佐藤正三郎がご案内致します。

ギャラリートーク後は、上杉伯爵邸見学ツアーもございます。

企画展「上杉家の古写真−伯爵の暮らしと米沢−」最後のギャラリートークになります。

みなさまのご来館、お待ちしております。

※企画展入場券が必要です。

 

 

お問い合わせ

米沢市上杉博物館 0238-26-8001


2016/03/11 11:06:Copyright (C) 伝国の杜 情報BLOG

前九年の役後の陸奥の国は清原一族が統治しています。

棟梁は武貞である。その子供として本妻の子嫡男真衡(さねひら)、後妻の連れ子清衡、側室のあらたな子家衡、と3人の男子は種違い腹違いの複雑な関係である。清衡は幼名を清丸だったが清原家に入ってから 武貞は武衡と改名し、清丸は清衡に改名した。 清は父経清の一字、衡は永衡の一字が用いられている。両者とも朝廷側から安倍側に寝返って安倍のため死した因縁の名前である。清衡の母が提案した模様である。いずれは安倍血筋の再興を狙っていたのかもしれません。

武貞から嫡男の真衡(さねひら)に家督が移ると一族の長老出羽の吉彦秀武(きみこのひでたけ)と対立し内紛が勃発します。真衡(さねひら)、は出羽の秀武攻めに出陣するが途中病死してしまいます。その後領地は清衡と家衡に分け与え内紛は小康状態となります。

が領地配分に不満を持つ家衡が清衡の館を奇襲し妻子を殺害武力対立となります。

難を逃れた清衡の訴えで陸奥守に赴任した源義家は数千騎で家衡が立てこもる出羽の沼柵に清衡軍とともに出撃します。おりしも冬将軍まっただ中の為決着つかず一時引き返します。その後家衡軍は出羽金沢柵に移転し籠城するも義家清衡軍の兵糧攻めにあい全滅します。清衡勝利となり後三年役終了となりました。ここに、もともと陸奥の支配者であった安倍の血筋の清衡の手中に領地が戻ったことになり 奥州平泉の開祖としての立場が確立することになります。

写真の4巻は後三年役の歴史物語が描かれています。 つづく

 

 


征夷の38年の戦いが終わって250年

その間朝廷と蝦夷の間では小競り合いはあったものの大戦さは起こらなかった。

蝦夷で蝦夷を制する対策で地場の長の中には地方豪族として強大な力を保持するものが出てきた。

陸奥国では安倍一族、出羽では清原一族がそれにあたる。

それに国府の出先に派遣された役人と地方豪族が婚姻関係を結び土着化が進んだ。

亘理の役人藤原経清、伊具郡の役人平永衡は安倍一族の娘と結婚している。

ちなみに 藤原経清は平将門を討った藤原秀郷嫡流となります。

そのような環境の中で陸奥国の安倍一族が所領の境界線を越えて南進するとともに

貢租を拒んだことから再び蝦夷と朝廷の争いが勃発してしまいます。

この戦いが後に前9年の戦いと称されることになります。

この戦いでは源氏の棟梁源頼義、義家親子が派遣されますが安倍一族の防戦は固く

出羽の清原の援軍を頼ることで終結を見ます。安倍一族は斬首され崩壊します。

亘理の藤原経清、伊具の平永衡親戚関係となる安倍側に味方し安倍一族とともに処刑さてしまいます。安倍の所領は出羽の清原が受け継ぐこととなり東北すべてを所領とします。

戦後、安倍一族の娘であった藤原経清の妻と男の子はいかなる理由か、清原の後妻として生き残ることになります。清原家にはすでに先妻の子嫡男がおり、更にその後男子が生まれ、連れ子と含め3人の男子の複雑な関係がその後の後三年の戦いに引き継がれていきます。

写真は1巻から3巻までですが 前九年の戦いを藤原経清を主人公とした蝦夷側から見た歴史物語がつづられています。 続く


38年にわたる朝廷と蝦夷の戦さ後蝦夷はどうなったでしょうか

1つは 「蝦夷を持って蝦夷を制す」 という方針で土着の長を国府の官職として任命し

各地方を管理し始めました。これが後の地方豪族発生につながっていきます。

2つめは、蝦夷の集団暴動を恐れ千人単位で全国に移配されました。蝦夷は弓馬にたけていたことから全国各地の防人としての活用が多くみられます。遠くは北九州、瀬戸内海、坂東が多かったようです。ところが移住先で先住民とのトラブルや地元の盗賊に同化して略奪をするなど暴動が多発していました。朝廷はそれらを鎮圧するために中央から軍事貴族を派遣することになります。

それは、清和天皇より名を受けた源氏、桓武天皇から名をうけた平氏、摂関家から分かれた藤原流らが担当することになります。その中で鎮圧のため派遣されていながら土着豪族と同化かして反旗を翻したのが平将門であります。将門は独立国をめざし新天皇を名乗りますが、鎮圧にさらに派遣された藤原秀郷に斬首され将門の乱は平定されます。

この時代あたりが武士の発生と考えられのではないでしょうか。

蝦夷の全国移住が起因の一つと考えられます。 

前回の坂之上田村麻呂の征夷の戦いには、坂東から数万という単位で民兵が

徴兵されて戦ったことがわかっています。   続く



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まず読み解いたのが東北の戦争の歴史であります。

都から蝦夷(えみし)と蔑まれ、毛皮を着て洞穴に住み

獣を食しているとみられていた東北の民族。

しかし、厳しい四季の環境にもめげず

自然を愛し深い絆で結ばれて生活していた東北の民でした。

奈良時代まだ朝廷に服属していない東北を陸奥の国と呼び

その住民を蝦夷しと蔑称し、その居住区の境界線に国府多賀城柵が設置された。

蝦夷の侵入を恐れてのことである。

都では東大寺の大仏建立の時期に陸奥から日本初の金山が発掘されたのを機会に

朝廷の陸奥の国侵略が始まることになります。

迎え撃つは蝦夷の若きリーダーアテルイであります。

宿敵坂之上田村麻呂との命を懸けた戦いが開始されます。

その一連の史実に沿いながら小説化されたのが高橋克彦著「火怨」であます。

驚きと感動で号泣の場面が多々出できます。

合わせて、鈴木拓也著「蝦夷と東北戦争」の

史実資料を合わせ読むとなお理解か深まることでしょう

この38年間続いた征夷の戦争を皮切りに東北に火の手が上がります。

また、武士の発生にも大きくかかわってくることになるのです。 続く

 


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