:戦国観光やまがた情報局|山形おきたま観光協議会

戦国観光やまがた情報局
直江兼続と最上義光が戦った慶長出羽合戦(出羽の関ヶ原)の特設サイト
 http://naoe-mogami.jp/
2008/01/07 20:00:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局
上杉家の執政・直江兼続の偉業を紹介する専門サイト。主に米沢での偉業を中心に紹介
 http://www.naoe-kanetugu.com/index.html
2008/01/07 19:00:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局
福島県文化振興事業団が実施する、ふくしま発信事業「天地人の時代−ふくしまと直江兼続−」のお知らせ、ゆかりの地の紹介
 http://www.culture-center.fks.ed.jp/tenchijin/index.html
2008/01/06 21:00:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局
大河ドラマ「天地人」において激動の舞台となる、福島・会津のゆかりの地などを紹介。
 http://www.pref.fukushima.jp/kanko/tenchijin/index.html
2008/01/06 20:00:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局
新潟県における「天地人」ゆかりの地の紹介、展覧会などのイベント情報、モデルコースの紹介などが盛り沢山です。
 http://www.tentizin.jp/
2008/01/05 21:00:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局

明治35年(1902)、社号許可「松岬神社」と奉称。
大正元年(1912)、上杉神社手前に新殿が建てられ、春日四柱大神や上杉景勝・上杉鷹山を祭神としました。

昭和13年(1938)米沢市制施行50年を記念して、直江兼続の功績を讃えて配祀されました。また、鷹山の師細井平州や同重臣の竹俣当綱・莅戸善政をも配祀され、6柱の祭神となりました。

ここは、もとの直江兼続の屋敷で、その後米沢城主となった上杉景勝の屋敷となった場所です。
境内には上杉鷹山が治広(次期藩主)に与えた「伝国の辞」の石碑が建っています。

春祭は4月30日で、「米沢上杉まつり」(4月29日〜5月3日)期間中に行われ、参詣者で賑わいます。

▼交通:JR米沢駅から車で約10分
    東北中央自動車道米沢中央ICから車で約15分
▼駐車場:隣接のおまつり広場駐車場利用(無料) 大型バス・自家用車可
▼拝観料:なし
▼所要時間:5分
▼案内:ボランティアガイドによる案内可(無料・予約制:米沢観光コンベンション協会 TEL0238−21−6226)
▼問合せ:上杉神社社務所(米沢市丸の内1−4−13 TEL0238−22−3189)

▼地図:Google Maps


2007/12/04 11:40:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局

直江兼続・お船の方の墓所は春日山林泉寺境内にあります。
もとは直江家の菩提寺・徳昌寺に葬られましたが、のちに春日山林泉寺と徳昌寺の間で争いが起こり、破れた徳昌寺が越後に去ったため、春日山林泉寺に改葬されました。

向かって左が兼続、右がお船の墓となっています。この時代の夫婦の墓が同じ大きさで、並んで建っているというのは大変珍しいことのようです。

▼交通:JR米沢駅から車で約15分
    東北中央自動車道米沢中央ICから車で約15分
▼駐車場:有り(無料) 大型バス・自家用車可 他に第二中学校東側に大型バス待機所有り
▼拝観料:有り
▼拝観時間:午前9時〜午後5時
▼所要時間:30分 (12月〜3月は要予約)
▼トイレ利用可
▼案内:ボランティアガイドによる案内可(市内ガイド1名1時間1,000円・予約制)
▼問合せ:春日山林泉寺(米沢市林泉寺1−2−3 TEL0238−23−0601)



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2007/12/04 11:30:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局

直江兼続の指揮で松川左岸に築かれた石積みの堤防で、その地名から谷地河原堤防(やちがわらていぼう)とも呼ばれています。
米沢城下を洪水から守るため築かれたもので、米沢市指定史跡です。
この石堤は約1.2kmにわたって続いており、現在は「直江堤公園」として整備され、秋には芋煮会の会場として賑わいます。

 ※冬期間(11月下旬〜4月上旬)は積雪のため見学できません。

▼交通:JR米沢駅から車で約10分
    東北中央自動車道米沢八幡原ICから車で約10分
▼駐車場:有り(無料) 大型バス・自家用車可
▼所要時間:20分
▼案内:ボランティアガイドによる案内可(市内ガイド1名1時間1,000円・予約制)
▼問合せ:米沢観光コンベンション協会 TEL0238−21−6226

▼地図:Google Maps



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2007/12/04 11:20:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局

慶長5年(1600)9月14日、直江兼続が2万の大軍をもって長谷堂城を攻め、これに対し長谷堂城主の最上家の智将志村光安が将卒1千余を率いて戦い、野戦の駆け引きでは天下一といわれた直江を終始翻弄しました。
上杉軍は上泉主水泰綱が討死するなど苦戦し、9月29日の夜半、関ヶ原敗報を受けて山形領から撤退しました。

▼交通:JR山形駅から車で約15分
    東北中央自動車道山形中央ICから車で約15分
▼駐車場:長谷堂城址駐車場(無料) 大型バス・自家用車可
▼入場料:なし
▼所要時間:50分
▼トイレ:長谷堂城址駐車場
▼案内:ボランティアガイドによる案内可(予約制)
▼問合せ:山形市観光戦略課 TEL023−641−1212

▼地図:Google Maps


2007/12/04 11:10:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局
慶長5年(1600)、長谷堂の戦いで、最上軍の武将として活躍し、敵将である直江兼続に「信玄、謙信にも覚えなし」といわしめた名将鮭延秀綱の居城跡。

現在、杉木立を抜けた小高い丘に大手門跡と石碑が残っています。城跡からは、数百年の歴史を経て変わらずにとうとうと流れる真室川や田園風景が見下ろせます。

▼交通:JR真室川駅より車で約7分で上り口、その後徒歩約5分
▼駐車場:なし
▼入場料:なし
▼所要時間:20分
▼トイレ:なし
▼問合せ:真室川町教育課 TEL0233−62−2305

▼地図:Google Maps
2007/11/16 20:23:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局

直江兼続が奉納した刀剣などを収蔵している宝物殿です。


▼交通:フラワー長井線あやめ公園駅から徒歩で約5分
    東北中央自動車道南陽高畠ICから車で約40分
▼駐車場:隣接のあやめ公園東口駐車場利用(無料) 中型バス・自家用車可
▼拝観料:なし
▼所要時間:10分
▼トイレ利用可
▼案内:ボランティアガイド・宮司による案内可(予約制・無料)
▼問合せ:長井市観光文化交流課 TEL0238−84−2111


2007/11/06 19:30:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局

直江兼続が米沢城に入る際に總宮神社に参拝し、杉(直江杉)を植えたと伝えられています。その後、最上川の舟運などでは、船頭が長井の地の目印にしたと言われています。

▼交通:フラワー長井線あやめ公園駅から徒歩で約5分
    東北中央自動車道南陽高畠ICから車で約40分
▼駐車場:隣接のあやめ公園東口駐車場利用(無料) 中型バス・自家用車可
▼拝観料:なし
▼トイレ利用可
▼案内:ボランティアガイド・宮司による案内可(予約制・無料)
▼問合せ:長井市観光文化交流課 TEL0238−84−2111
▼所在地:長井市横町14−24


2007/11/06 19:25:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局
 山形城西方の支城で、上杉領の置賜地方から山形に抜ける狐越街道沿いにある山城です。関ヶ原の戦いと時を同じくして起きた長谷堂合戦の際には、最上家家臣の江口五兵衛光清が守将を務めました。
 5百ばかりの少数で直江兼続率いる上杉軍2万を迎え撃ち善戦したものの、さすがに守りきれず2日後に落城、光清は自刃しました。

▼交通:JR山辺駅から車で約20分
    東北中央自動車道山形中央ICから車で約45分
▼駐車場:小型バス・自家用車可
▼入場料:なし
▼所要時間:40分
▼トイレ:なし
▼問合せ:山辺町産業課 TEL 023−667−1106

▼地図:Google Maps
2007/11/06 15:30:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局

最上家11代当主・最上義光と山形城の資料を展示している資料館です。
義光が上杉勢との長谷堂合戦の際に身につけていた、弾痕の跡が残る兜や甲冑、指揮棒などの遺品、長谷堂合戦図屏風、山形城本丸のふすま絵等の絵画類や調度品等、多数展示されています。

▼交通:JR山形駅から徒歩で約10分
    山形自動車道山形蔵王ICから車で約15分
▼駐車場:山形市大手町駐車場(有料)
     最上義光歴史館向側・観光バス専用駐車場(無料)
▼開館時間:9:00〜16:30
▼休館日:月曜(休日の場合はその翌日)、年末年始
▼所要時間:20分
▼入館料:有り
▼問合せ:最上義光歴史館 TEL023−625−7101

▼地図:Google Maps


2007/11/06 15:24:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局
 山形城は最上氏の祖・斯波兼頼が、延文2年(1357)に築城したと伝えられ、現在の城郭は11代当主最上義光(よしあき・最盛期57.5万石)によって築いたものが原型とされています。
 義光の代、慶長5年(1600)の関ヶ原合戦の時、山形領に攻め込んだ上杉方の直江兼続が山形城を望んだところ、霞がかかって所在がしれなかったことから「霞ヶ城」と呼ばれたといいます。
 現在は霞城公園(かじょうこうえん)として市民に親しまれており、平成3年(1991)には東大手門が完成し、現在も復元作業が続けられています。

▼交通:JR山形駅から徒歩で約10分
    山形自動車道山形蔵王ICから車で約15分
▼駐車場:霞城公園駐車場利用(無料) 最上義光歴史館向側・観光バス専用駐車場(無料)
▼随時入園可能 ※東大手門の開門時間は5:00〜22:00
▼所要時間:30分
▼トイレ:公園内トイレ利用可
▼案内:ボランティアガイドによる案内可(予約制)
▼問合せ:山形市観光案内センター TEL023−647−2266

▼地図:Google Maps
2007/11/06 15:20:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局
明治のはじめ、酒田市吉田地区の円通寺に檀信徒の寄進により、亀ケ崎城(酒田城)の搦手門が同寺の山門として移築されました。

現存する唯一の亀ケ崎城の構築物となっています。

▼交通:JR酒田駅から車で約15分
▼地図:Google Maps
2007/11/06 15:10:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局
 酒田城は文明10年(1478)、大宝寺(現鶴岡市)の武藤氏が築いた東禅寺城が始まりといわれています。
 慶長8年(1603)、酒田湊に巨大亀が上陸し、当時の領主最上義光はこれを吉兆と喜んで亀ケ崎城と改称させました。現在は城址に県立酒田東高校が建ち、学校脇の土塁に名残を残すのみとなっています。

▼交通:JR酒田駅から徒歩で約15分
▼駐車場:なし
▼入場料:なし
▼所要時間:10分
▼所在地:酒田市亀ヶ崎1−3
▼問合せ:酒田観光物産協会 TEL 0234−24−2233

▼地図Google Maps
2007/11/06 14:51:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局

米沢を預かるようになった直江兼続は、もう一つの所領である庄内を結ぶ最短ルートを朝日連峰に開きました。これが朝日軍道であり、長井市の草岡から葉山を経て、朝日連峰の主脈を通って庄内に抜ける6キロにわたる壮大な山岳道路で、現在の縦走路の原型になったものです。
草岡の登山口から葉山までのコースは、電光型に付けられた幅広い山道など軍道の名残を今に伝えています。

▼交通:山形鉄道フラワー長井線あやめ公園駅から車で約15分
    東北中央自動車道南陽高畠ICから車で約30分 朝日連峰 長井葉山登山口
▼駐車場:有り(無料) 自家用車可(登山口の大石大明神周辺に5〜6台分のスペース)
▼所要時間:30分
▼トイレ利用不可
▼案内:ボランティアガイドによる案内不可
▼問合せ:長井市観光文化交流課 TEL0238−84−2111

▼地図:Google Maps


2007/11/06 14:46:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局

越後米沢街道・十三峠は、大永元年(1520)に伊達14代の稙宗(たねむね)により、大里峠が開かれたのが始まりです。明治11年(1878)には、イギリスの旅行家イザベラバードがこの十三峠を通り、当時の様子を「日本奥地紀行」に記録しています。
現在は黒沢峠や萱野峠などに敷石道が残っており、多くの人が当時の面影を求め訪れています。

▼交通:JR小国駅から車で約10分〜20分
    東北中央自動車道南陽高畠ICから車で約60分程度
▼駐車場:有り(無料) 自家用車可(各峠とも多少のスペースあり)
▼所要時間:45分
▼案内:白い森案内人によるガイド可能(有料・予約制)
▼問合せ:小国町観光協会 TEL0238−62−2416

▼地図:Google Maps


2007/11/06 14:05:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局
小国城は中世の平城で、北は横川の断崖に臨み、東、南、西の三方には巨大な濠と土塁をめぐらせていました。

現在は僅かに土塁と雑草の生える濠址が昔の名残をとどめています。

▼交通:JR小国駅から徒歩で約20分
▼地図:Google Maps
2007/11/06 14:02:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局
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