:戦国観光やまがた情報局|山形おきたま観光協議会

戦国観光やまがた情報局
【義姫/よしひめ】 〜戦陣の間にすわりこみ……〜


 山形城主、最上義守の娘として、天文17年(1548)に生まれた。義光は2歳年上の兄。年齢の近い兄妹ということで、二人は仲が良かったらしく、後年の手紙などをみると、互いに心を打ち割って音信を取り交わしていたことがわかる。
 父義守が、最上家を守り発展させてきた経過をもそれなりに見聞きしたせいであろうか。
世の平和を願う心は、人一倍強かったらしい。
 たぶん1565〜6年のころに、米沢伊達家の若い当主・輝宗にとついだらしい。政略結婚といえば言えるかもしれないが、東北地方南部の名門最上家が、実力派大名の伊達家と縁組をするのは、戦乱を未然にふせぐためにも重要な方策であった。もちろん伊達家としてもありがたいことだった。米沢では館の東に住まいしたために「お東の方」と呼ばれ、自分でも手紙などには「ひがし」と署名した。
 永禄10年(1567)に、男児を出生。これが梵天丸で、後の仙台藩主伊達政宗である。次子は小次郎。
 米沢時代の伊達家の記録には「お東の方は、日ごろ時世の乱れを見ては、国が安らかに繁栄するよう心にかけておられた」とあるように、平和を求める気持ちの強い女性だった。
 ところが非情の戦国、争乱は身近に頻繁に発生する。
 天正2年(1572)には、実家最上家で、父・義守と兄・義光の争いがあり、夫・輝宗は義守方に味方して上山、楢下、狸森、畑谷などに兵を出した。戦闘は小規模なものだけだったが、それでも半年ほどごたごたと続いた。九月に乱は終息。
 義姫がこの時何を考え何をしたかはわからないが、身内同士が戦いにうつつを抜かす状態には、ほとほと愛想を尽かしたのではなかったか。
 結婚後20年ほどのちの天正13年(1585)、38歳で夫を失う。
 しかも、夫の死は、息子が当の立役者になっていたのだ。輝宗が宿敵畠山義継に、拉致連行されようとしたとき、追跡した政宗軍の鉄砲隊の乱射によって、義継ともども、夫も死ぬ。息子の命令で夫が殺されたと知った義姫が、どれほど悔やしんだか、はかりしれない。「戦いは、もう、たくさん」というのが、彼女の偽らざる心情だったろう。
 ところが、彼女の心を踏み付けにするような事態が、兄・義光と息子・政宗の間に発生したのである。
 天正16年(1588)、政宗が大崎領を攻めたとき、義光は妻の実家であることもあって、こちらを援護した。「敵の味方は敵」である。政宗は伯父・義光に刃を向けてきた。
 最上領・伊達領の境界、中山(現上山市南部)で、両軍がにらみあい、一触即発の状態にたちいたったとき、義姫が輿に乗って割り込んできた。両軍の間に仮住居をしつらえ、そこに起居して、兄と息子とに兵を引くように迫るのである。
 この期間およそ80日に及んだことが、義光が書き残した数通の手紙で確認される。で、結局、この戦いは両方が手を引くことで決着する。
 身を挺して戦いをやめさせた平和の女神、という比喩はともかく、戦国の世にありながら、戦いを憎み、和平実現のために自ら行動した女性として、大きく顕彰されてよい人物だろう。
 ところが、この義姫については、悪いうわさが意図的につくられた形跡がある。次男小次郎を愛するあまり、長男政宗を毒殺しようとした。それに失敗して、実家である山形に逃げ帰った。冷酷、不届きな女性だ、云々。
 だが、世に知られたこの話は、最近明らかにされた史料によって否定されている。それどころか、義光・政宗という大人物が二人とも、どういうわけか、義姫に対しては綿々と心を打ち明け、あるいは、すっかり頼りきっているような、そんな手紙さえ残っているのである。
 政宗が朝鮮に渡って苦労をしているとき、ねんごろな手紙と黄金3枚を送ったことは有名な事実である。その時の義姫の手紙は残されていないが、政宗が書いた返事は、仙台にしっかりと残っている。手紙をもらった政宗の感激、喜び、異国で苦戦している様子、家来たちが死んでゆくつらさなどとともに、母親に一目あいたいという息子としての願いも、しみじみとうかがわれる手紙文の傑作だ。
 義姫が、伊達の本拠地であった岩出山から山形にもどったのは、文禄3年の冬であった。
彼女が山形に帰って来た事情は、残念だがよくわからない。兄の配慮で、村木沢の悪戸や南館の館で暮らしたことは事実であろう。
 慶長5年(1600)、上杉軍が最上領に侵入したとき、義光は9月15日に嫡男義康を走らせて伊達政宗に援軍を要請した。16日の返事はOKだったが、肝心の軍勢がなかなかこない。しびれを切らした義姫は、19日卯の刻(午前6時ごろ)、援軍の早い到着を求めて、みずから緊急の手紙をしたためる。かまわずに置けば山形が滅亡するかもしれない怱忙の間である。文字はなかなかの達筆。簡潔ながら文面には心情がほとばしっている。
 「ここもとへ御越えのよし、御大儀、満足申し候。とてものことに一足も早く早く、御越え候べく…修理(義康)親子も待ち入り申し候、いそぎいそぎ、とくとく…」
 幸いに、伊達の援軍は22日に山形に到着。月末に関が原で上杉家の加担した西軍が敗れた報せを受けて、上杉軍は撤退し、山形は助かる。男同士の表向きの折衝だけでなく、義姫の懸命な動きも、伊達側を動かしたことは確かだろう。
 元和8年(1622)、最上家の没落を機に仙台にもどり、保春院にはいって、翌年76才の長寿を全うした。墓は北山覚範寺にある。
 村木沢の旧家加藤家には、義姫の愛用品だったという優雅な横笛や迫力ある能面が秘蔵されており、彼女がまつった阿弥陀堂も近くにある。また南館の神明神社付近には、義姫居住時代の面影が、いまもかすかながら残っている。
■■片桐繁雄著


2008/04/30 13:54:Copyright (C) 最上義光歴史館
(社)山形県観光物産協会が運営するHP「山形県の特産品」で
天地人の「愛」グッズの販売を開始しました!

先月横浜松坂屋で開催した物産展でも「愛」グッズは大好評でした。
米沢織のネクタイ、ブックカバーなど、贈り物にいかがですか。
ご来店をお待ちしております。

山形県観光物産協会「山形県の特産品」通販サイトはこちら
2008/04/30 12:00:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局
※[ダウンロード]してプリントアウト(A4サイズ)することができます。

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2008/04/24 17:50:Copyright (C) 最上義光歴史館
※2009年12月31日をもって販売を終了いたしました。

このたび、大河ドラマ「天地人」のPR推進のため、「のぼり旗・ミニのぼり」の販売を行いますのでご案内いたします。
大河ドラマ「天地人」ゆかりの地として、関連する史跡、観光スポットを始め、県内の到る所に「天地人」のぼり旗が立ち並び、来県されたお客様に、山形が大河ドラマの舞台であることを実感していただけるよう、県をあげて取り組みを進めて参りますので、皆様のご協力をお願いいたします。

1 規 格
  「天地人」のぼり旗(ポール無し) 160cm×45cm
  「天地人」卓上ミニのぼり(立て台付) 33cm×10cm

2 デザインコンセプト
「旗指物」をイメージしたデザインで戦国時代の雰囲気を演出するとともに、ゆかりの史跡に掲げた際の景観も考慮しました。落款には直江兼続所用兜の前立「愛」の文字を採用しています。
「天地人」ロゴがデザインの中心ですので、地域を問わず掲出が可能です。また、上部のマークを入れ替えることでオリジナル性を出すことができます。
 
3 価 格(製作実費負担金)
 ・基本のぼり(赤2本線)
   のぼり旗:1,000円/枚 ミニのぼり:900円/枚
 ・マーク入りのぼり(直江家家紋・兼続兜「愛」・直江軍旗雁金)
   のぼり旗:1,200円/枚 ミニのぼり:900円/枚
   
4 申込み方法
  注文書をダウンロードしていただき、FAXにて大河ドラマ「天地人」山形県推進協議会事務局あてにお送りください。また、お電話でのお申込みもお受けいたします。

5 申込み取りまとめ期日および納品時期
  いただいた申込みを取りまとめて、毎月1日と15日に製作業者に発注します。発注から2週間以内で納品となります。

6 納品方法および送料
  宅配便にて製作業者から直接納品いたします。送料は、のぼり旗とミニのぼりの注文枚数の合計が、10枚未満のご注文時は500円、10枚以上のご注文で無料となります。
  お近くの方は、置賜総合支庁まで受け取りに来ていただいても結構です。

7 支払方法
  のぼり旗の納品時に請求書を同封しますので、下記事務局に代金をご持参くださるか、銀行口座振込にてお支払いください。なお、振込手数料についてはご負担願います。

8 お申し込み・お問い合わせ
  大河ドラマ「天地人」山形県推進協議会事務局(置賜総合支庁観光振興室)
   米沢市金池7−1−50 置賜総合支庁3階
   電話:0238(26)6046  FAX:0238(26)6047
   のぼり旗製作業者:高岡染店 南陽市宮内3572 電話:0238(47)2202

のぼり旗注文書[詳細版]を開く(PDFファイル)  のぼり旗注文書[簡略版]を開く(PDFファイル)

  ※注文書のダウンロード・保存方法
   Windowsの場合:上記リンク上で右クリック→「対象をファイルに保存」を選択
   Macの場合:上記リンクをクリック→ファイルの「保存」を選択

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2008/04/23 15:00:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局
山形城(霞城公園)の情報

山形城(霞城公園)は山形でも屈指のの名所です。約1,500本のが植えられています。山形城二の丸のお濠に映る満開のは、訪れる人々の心を魅了しています。最上義光歴史館は、この山形城二の丸東大手門に隣接しています。


【2008】


【二の丸東大手門付近】

○4月23日 11時頃 






↑↑↑
水面が桜色に染まりました!!もう間もなく桜の季節が終わります!!






祝!!一番咲き\(⌒▽⌒)/(8日11時頃)


…(=_=)!! 街灯のそばの枝が満開です(⌒▽⌒)(10日10時頃)




ライトアップは22時までです!!水面に映る桜がとても幻想的です!!(16日21時頃)


山形城二の丸の桜回廊です!!白っぽいのはオオヤマザクラです!!(21日10時頃)


山形城二の丸東大手門広場の義光騎馬像も華に囲まれ賑やかになってきました!!今日が賑わいのピークでしょう!!!!(21日10時頃)







東北の開花予想  >>こちら

山形の見ごろ情報  >>こちら
  
霞城観会       >>こちら
2008/04/23 11:00:Copyright (C) 最上義光歴史館
福島県北塩原村におきまして、大河ドラマ「天地人」記念ウオークが開催されます。今回のコースは、旧米沢(会津)街道のうち、大塩から桧原までの約10キロメートルです。

旧米沢(会津)街道は、福島県会津若松市と山形県米沢市を結ぶ街道です。上杉120万石の時代は、上杉景勝の本城・会津若松城と直江兼続が城主の米沢城を結ぶ重要な街道でした。おそらく兼続も幾度となく往来したことでしょう。

また、上杉家が米沢30万石に削封された際には、会津若松から米沢へ向けて、約4千騎の家臣団、その家族なども含めるとおよそ3万人が、この街道を通って引っ越したといわれています。

このように大河ドラマ「天地人」とは非常に関係の深〜い街道でのイベントです。皆さまお誘いあわせのうえ、ぜひご参加ください!

開催日:平成20年5月18日(日)
     午前8時受付開始 午前9時30分スタート

集合場所:福島県北塩原村 大塩小学校グラウンド

コース:旧米沢(会津)街道 大塩〜桧原間のコース
     全行程約10キロ 標高差510m    

参加料:記念イベントにつき無料(主催者側で傷害保険に加入します)

主 催:NHK大河ドラマ「天地人」記念ウオーク実行委員会
     【福島県北塩原村・福島民報社】

申込方法:北塩原村 大河ドラマ「天地人」記念ウオークホームページからお申込みください。

申込期限:平成20年5月8日(木)
2008/04/18 12:00:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局
平成20年4月16日(水)、山形市の霞城セントラルにおきまして、大河ドラマ「天地人」の原作者である火坂雅志氏の講演会が開催されました。
県内各旅館の女将さん方やボランティアガイドの方々、山形観光アカデミーの関係者など約200名が集まり、会場は満員状態。やはり地元として、関心の高さが感じられました。

火坂氏は、「今は利益が求められる時代。「利」を追求した結果、「偽」がまかり通るようになった。「利」よりも「義」を取る直江兼続のような生き方を今の世の中に対して問い質したい。そんな考えがあって、この「天地人」が大河ドラマの原作として選ばれたのでは。」とおっしゃっていました。
2008/04/17 12:00:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局
平成21年(2009)1月から放送中のNHK大河ドラマ。
主君・上杉景勝を生涯支え続け、幾多の困難を乗り越えて、米沢藩の基礎を築いた上杉家執政・直江兼続が主人公。俳優の妻夫木聡(つまぶき・さとし)さんが主役を演じます。

原作は、火坂雅志氏の小説「天地人」(NHK出版:上下巻)、脚本は、NHK連続テレビ小説「どんど晴れ」などを手がけた小松江里子氏が担当されます。


「天地人」という題名の由来は?
「北越軍談付録 謙信公語類」に出てくる、「輝虎(謙信)公の曰く。天の時、地の利に叶い、人の和ともに整いたる大将というは、和漢両朝上古にだも聞こえず。いわんや、末代なお有るべしとも覚えず。もっとも、この三事整うにおいては、弓矢も起こるべからず、敵対する者もなし」から採られています。「北越軍談」は、江戸時代にまとめられた越後上杉氏に関する軍記物です。

分かりやすく現代語に訳すと…
「あるとき謙信公がおっしゃた。天の巡り合せが良く、地勢の有利さに恵まれ、家臣・領民がよくまとまっている、この3つがともに揃っている大将(指導者・リーダー)というものは、日本の歴史、中国の歴史、神話に近い大昔にまでさかのぼってみても、存在したという話は聞いたことがない。それどころか、未来の世の中にでさえ登場するとは思えない。もっとも、この三事(天の時・地の利・人の和)が揃っているのであれば、戦争が起こったりはしないし、その大将に敵対するような人物も現れないだろう。」
つまり、「天地人」の三拍子が揃った大将こそが、理想とすべき大将なのだ。ということでしょうか。

もともとの「天地人」
これは、中国に古来から伝わる「物事を成就させるためには『天の時、地の利、人の和』の3つの要素が大切である。」という教えからきた言葉のようです。
もちろん、謙信はこの中国の教えをふまえたうえで、先の発言をしているわけです。戦国武将として、当時一流の教養を身につけていたことがうかがい知れます。

天下人?天地人?
「天地人」を“てんちびと”と呼んだ人がおりました。
「天下人(てんかびと)」の反対で、天下を取ろうとして取れなかった人のことを「天地人(てんちびと)」と言うのでは? と思ったとのこと。
この“てんちびと”の意味でも「天地人」のストーリー的には、当たってなくもないのですが、残念ながら“てんちびと”という言葉は無くて、“てんちじん”が正しい読み方です。

ちなみに、「天地人」は「天」と「地」と「人」が合わさってできている言葉なので、読み方のアクセントは「てん」の部分にあって、少し単語を離すのだそうです。
てん・ち・じん」 こんな感じでしょうか? 「てんち・じん」ではないそうです。 NHKの方に教えていただきました!
2008/04/10 17:00:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局
平成20年4月8日(火)、米沢市役所にかわいいお客様がやってきました。
滋賀県彦根市の花しょうぶ通り商店街のマスコットキャラクター「しまさこにゃん」です。

「しまさこにゃん」は、直江兼続の盟友・石田三成の軍師・島左近をモチーフにしたネコのキャラクター。好物は、辛口の日本酒、いも焼酎、ふな寿司だそうです。
主君は、石田三成のネコキャラ「いしだみつにゃん」です。
彦根市には、天下の名城「彦根城」がありますが、石田三成の居城「佐和山城」もあったんですね。

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2008/04/08 17:00:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局
当館上杉文華館にて開催中の「直江兼続の生涯」本日よりにテーマを「越後統一」変えて展開しております。

謙信死後の混乱、織田信長の軍勢の侵攻、重臣新発田重家の離反等、多くの困難に直面した景勝、そして兼続ですが、羽柴秀吉との提携もあり、ようやく越後の統一にこぎつけます。今回は景勝と兼続の越後統一に関しての古文書を紹介します。その内の一つに豊臣秀吉から送られてきた書状があります。この機会に是非御覧下さい。なお本テーマでの直江トーク(学芸員による解説)は4月5日(土)です。

*本テーマでの展示は4月13日まで開催します。来年度も上杉文華館は直江兼続関連の史料を紹介していきます。来年度は6月4日(水)からの予定です。

会期 3月25日(火)〜4月13日(日)
  直江トーク 4月5日(土)14:00〜
場所 米沢市上杉博物館 常設展示室内 上杉文華館

*直江トークは展示室内での開催になるため、お聞きいただくには常設展入館券が必要になります。
2008/03/25 15:48:Copyright (C) 伝国の杜 情報BLOG
平成20年3月23日(日)、米沢市の伝国の杜で開催いたしました、
大河ドラマ「天地人」放送1年前イベント・大河ドラマ「天地人」セミナーの様子をレポートします。

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2008/03/24 15:00:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局
速報!只今開催中の横浜松坂屋「第25回山形県の物産と観光展」では、大河ドラマ「天地人」コーナーを設け、「愛」の兜やのぼり旗、ポスター等を展示し、PRしております。

会場では米沢市の織絵夢人館が出展し、「愛」ネクタイなど関連グッズを販売しています。
3/17(月)まで開催しておりますので、是非いらしてください。

■横浜松坂屋「第25回山形県の物産と観光展」
 会  期:平成20年3月12日(水)〜17日(月)
 開催時間:10時30分〜19時(最終日18時)
 会  場:横浜松坂屋本館5F催事場
 主  催:山形県の観光と物産展実行委員会
 http://www.matsuzakaya.co.jp/yokohama/fair/m080311_01.html
2008/03/14 11:15:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局
大河ドラマ「天地人」放送1年前記念事業として、大河ドラマ「天地人」セミナー 上杉よもやま話 〜童門冬二・「義」の町米沢を語る〜を開催いたします。
おなじみ童門冬二氏の講演と、越後長尾家の末裔でもあるギタリスト「長尾ゆうたろう」の演奏をお楽しみください。

開催日:平成20年3月23日(日)

時 間:開場 午後1時30分 開演 午後2時  終了予定 午後4時30分
     第1部 童門冬二講演会
        「上杉よもやま話〜義の町『米沢』」
     第2部 「長尾ゆうたろうギター演奏会」
        (長尾ゆうたろう(ギター)、閔賢其(バイオリン)、内藤哲郎(和太鼓))

会 場:伝国の杜 置賜文化ホール(米沢市丸の内1丁目2−1)

同時開催:大河ドラマ「篤姫」写真パネル展

入場料:無料(入場整理券が必要です)

定 員:500名

主 催:大河ドラマ「天地人」山形県推進協議会
     大河ドラマ「天地人」米沢市推進協議会
共 催:NHK山形放送局、財団法人NHKサービスセンター

お問合せ:大河ドラマ「天地人」山形県推進協議会
      (置賜総合支庁商工労働観光課) 電話 0238(26)6046


入場整理券の配布方法について
 3月11日(火)午前9時より、下記の場所で配布を開始いたします。
  置賜総合支庁(総合案内)、米沢市役所(総合案内)、伝国の杜(受付)、
  村山、最上、庄内の各総合支庁商工労働観光課

※お一人様2枚までとさせていただきます。定員になり次第配布を終了します。


入場整理券のインターネット受付について
 3月11日(火)午前9時より、このページから受付を開始いたします。
 受付は先着順とし、定員になり次第受付を終了します。
 定員の都合もあり、1名につき、1回(1枚)の受付とさせていただきますので、複数回のお申込みはご遠慮いただきますようお願いいたします。

 お申込みをいただいた方には、追って返信メールをお送りいたします。
 当日、インターネットでお申込みの方専用の受付を設置しますので、直接会場にお越しいただき、その場で整理券をお受け取りください。

 [3/19 17:00]満員となりましたので、整理券配布を終了しました。たくさんのお申込みありがとうございました。
2008/03/11 09:00:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局
最上義光に関する子供用の見学資料です。
見学の際にご利用ください。

※[ダウンロード]してプリントアウト(A4サイズ)することができます。

2008/03/08 09:11:Copyright (C) 最上義光歴史館
このたび、大河ドラマ「天地人」のPR活動に使用していく、「天地人」ロゴデータを制作いたしました。

縦書きのロゴ、横書きのロゴ、白地のもの、黒地にしたもの、などなど、
全部で8パターンがございます。

ご希望の方には、無償でロゴデータを提供します。
ぜひ統一されたロゴマークで、大河ドラマのPRを推進していきましょう!

ご希望の方は、下記の注意事項を遵守のうえ、ダウンロードを行ってください。

※このロゴマークは、大河ドラマ「天地人」山形県推進協議会および米沢市推進協議会が独自に選定したものです。NHK大河ドラマとしての公式ロゴマークではありません。

※大河ドラマ「天地人」公式タイトルロゴ使用・商標使用に関するお問合せは、株式会社NHKエンタープライズへお願いいたします。
 株式会社NHKエンタープライズキャラクター事業
  電話:03−5478−8171


大河ドラマ「天地人」PRロゴデータの利用について

[利用目的について]
 このロゴデータの利用目的は、大河ドラマ「天地人」のPR活動目的に限ります。 

[利用可能対象者について]
 上記の利用目的に沿うものであれば、どなたでも利用が可能です。

[利用可能対象物について]
 チラシ、パンフレット、各種印刷物、看板、のぼり旗等とします。 
 商標権との兼ね合いがありますので、商品パッケージへの使用、販促利用(商品パンフレット、キャンペーンチラシへの掲載)はご遠慮ください。

[使用料について]
 無償でデータを提供いたします。
 二次配布も可としますが、その際、使用料等を徴収することは禁止します。

[著作権について]
 著作権は、大河ドラマ「天地人」山形県推進協議会と彩墨花 金子信子氏にありますので、デザイン・色等を改変しての使用は認めません。
 ただし、「2009年大河ドラマ」、「大河ドラマ「天地人」山形県推進協議会」等、キャプションデータの追加配置は認めるものとします。  

[データの種類]
 JPEGデータにて提供いたします。

制作:大河ドラマ「天地人」山形県推進協議会
    事務局:山形県置賜総合支庁商工労働観光課 0238-26-6098
デザイン:彩墨花(さいぼくか) 金子信子 氏


「天地人」PRロゴデータをダウンロード
 提供データは、自己解凍方の圧縮ファイル(zip形式)となっています。ダウンロード後、適当な場所に解凍のうえ、ご使用ください。

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2008/03/03 12:00:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局
【最上義守/もがみよしもり】 〜歴代最長期の山形城主〜


 最上義光という巨星の光茫に幻惑されて、その父義守の方はとかく目立ちにくいが、その生涯をながめると、さすがは名門大名最上家の主だという感じがする。
 永正11年(1514)の春、突如攻め入った米沢伊達稙宗の軍勢に、最上連合軍は1000人以上の死者を出して惨敗、長谷堂城は占領下におかれる。
 だが、どうしたわけか伊達側は、翌年、稙宗の妹を最上義定に嫁がせ、長谷堂城を返還して、和平が成立する。ところが、せっかく来たその夫人に子供ができないまま、義定が没してしまい、山形城はいっとき主がいない状態になったらしい。
 そこに入ったのが、最上の一族である中野氏義清の次男、まだ幼かった義守である。
 たぶん、すぐれた家臣の支えがあったのだろう、義守はその後50年余、歴代最も長期にわたって山形城主であり続ける。
 まだ20歳前の天文3年(1534)には、山寺の日枝神社を再建するために、一族とともに協力した。同12年4月から8月にかけては、戦火に荒廃した山寺立石寺に、本山の比叡山延暦寺から法燈を移すために、義守の母が「大檀那」となるが、そのための費用や往復の警固はおそらく義守の配慮があったはずである。
 20歳を過ぎてからは、義守の力量は一段と高まったらしい。
 1540年前後に伊達領内に争乱が起こったときには(天文の乱)、これに介入して、いったんは置賜全域を制圧し、伊達の争いに睨みをきかせた。また、治安維持のために笹谷峠を越えて出兵もしている。堂々たる戦国大名としての動きである。
 永禄6年(1563)、義守は18歳の義光をつれて京都に上り、第13代将軍足利義輝に馬や太刀を献上した。
 「六月十四日 しばらくぶりに将軍足利義輝公の邸にうかがったら、ちょうど出羽国の御所(大名のうち特別な家柄のものをこう呼んだ)山形殿父子が来ておられた。父子は、将軍に馬と太刀を献上して御礼を申された。
 将軍は二人をもてなす宴会を開かれ、わたしもそこに参席させてもらった。将軍から下された杯を、二人は『かたじけないことです』と言って頂戴した。わたしも深夜までご馳走になり、すっかり酔ってしまった」(『山科言継卿記』)
 義守・義光親子が京都に上って将軍に面会したときのことが、たまたま一貴族の日記に記録されていたわけである。
 上京した義守は自分の地位や領地を将軍から認めてもらったらしい。当時は実力で獲得した領地も、天皇をバックとした将軍の承認がなければ正当なものとは認められなかったのである。
 それにしても「御所」と書かれたり、将軍からこんなに丁重にもてなされたりしたのは、やはり最上家が将軍の親類筋にあたる別格の家柄と見られていたからだろう。
 たぶんこのころと思われるが、娘(義姫)を伊達家の若殿、輝宗に嫁がせた。伊達家でも最上家の娘をもらって親戚になることは、都合がよかった。永禄10年(1567)に生まれた男児が、後にその名も高い「独眼竜」政宗である。
 晩年は禅に帰依して仏門に入って栄林と号する。たぶん、嫡男義光に領主権を譲り渡したころかと思われるが、まだあいまいな所もないではない。表向きの政治からはいったん身を引いたと推測されるのだが、詳細は不明である。
 その後なんらかの問題が起こって、一時期義光と厳しく対立する場面もあった。しかし、この対立は譜代の重臣氏家伊予守定直の諌言によってほどなく融和し、義光が完全に領主権を掌握することとなったようだ。
 天正11年(1583)のころに、義守が大病をわずらって危篤状態におちいったことがある。そのとき彼は、義光や義姫夫妻を枕元に呼び、大勢の重臣たちが居並ぶところで訓戒をあたえたという話が、『奥羽永慶軍記』にある。
 「今自分が亡くなったなら、義光と輝宗が仲たがいして合戦をはじめるのではないか。これだけが心にかかることだ。最上と伊達がいくさをして、たとえ輝宗が勝ったとしても最上の主人になることはできまい。逆に義光が戦いに勝ったところで、奥州を手に入れることはできないだろう。おまえたちのような小さな大名が、身内同士仲たがいをしたら、他の大名がとくするだけだ。最上も伊達も関東の佐竹や越後の上杉に討たれてしまうだろう。ただし、両家が仲良くしているならば、佐竹・上杉が一つになって攻めようとも、没落することはないはずだ。最上の氏家・志村よ、伊達の片倉・遠藤よ、おまえたちもこのことをしっかり胸におさめて、けっして背いてはならぬ」
 ところが、あやうく見えた義守は、医薬のかいあってかほどなく快復する。
 八日町浄光寺の伝えでは、日蓮宗の旅の僧日満上人の祈祷が功を奏したとされ、これに感謝した義光が一万坪の寺地と伽藍を建立したのが同寺の始まりだとしている。
 義守はその後龍門寺に隠栖し、政治からは手を引いたが、天正18年(1590)5月17日(一説27日)に70歳の長寿を終えた。戒名は後龍門寺殿羽典栄林公。山形城の北、曹洞宗龍門寺が菩提寺である。
 この寺におもしろい(?)文書がある。葬送に際して火を下ろすときに唱える「炬下語(あこご)」が、義守のために用意されていたのである。元亀2年(1571)、秋彼岸の日付である。義守が亡くなる20年前のものだ。ひょっとしたらかれは生前葬を執り行ってから、龍門寺に入ったのかもしれない。
 義光以前に、約50年間の山形城主として活躍した義守は、最上家繁栄の基礎固めをした傑物だったというべきだろう。
■■片桐繁雄著
2008/03/01 18:29:Copyright (C) 最上義光歴史館
常設展示室で開催中の「直江兼続の生涯」本日2月26日より「秀吉と、家康と」へテーマをかえて展示しております。
 本能寺の変の後、上杉景勝は信長に代わって天下統一事業を進める羽柴秀吉と同盟します。二人の同盟の背景には、共通の敵であった徳川家康がいました。この二人との出会いは後の兼続の人生を大きく左右するものでした。

 今回も関連の書状を通じて兼続の動向を紹介します。
 また今回のテーマでの直江トークは3月15日(土)に開催します。こちらも是非ご参加ください。
 
本テーマでの展示期間2月26日(火)〜3月23日(日)
 直江トーク(学芸員による解説) 
 3月15日(土)14:00〜
※直江トークは展示室内で開催するため、お聞きいただくには常設展示室チケットをお求めいただく必要がございます。
2008/02/26 13:07:Copyright (C) 伝国の杜 情報BLOG
大河ドラマ「天地人」の主役、直江兼続役を俳優の妻夫木聡さんが演じることが決定し、東京・渋谷のNHK放送センターで発表会見が行われました。

地元米沢・山形からも応援団を派遣し、発表の瞬間を見守りました。
(残念ながら、諸事情により写真掲載ができません。)

妻夫木さんは、愛と義に生きた智将・直江兼続を演じていただくには、まさにピッタリの若手実力派の俳優さんでいらっしゃいます。

NHKドラマホームページ 「天地人」放送前情報

妻夫木さんが演じてくださることが決定し、直江兼続の知名度もぐ〜んとアップすること間違いなしです。大河ドラマ「天地人」のPR推進活動にも弾みをつけて取り組んでまいります。今年の8月には撮影も始まるようです。みんなで盛り上げてまいりましょう。

このほかの配役につきましては、順次発表される予定です。
発表が行われ次第、掲載していく予定です。どうぞお楽しみに。
2008/02/20 19:00:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局
このたび、大河ドラマ「天地人」に関するPR活動の一環として、直江兼続所用の「愛の兜」をあしらった名刺デザインを制作いたしました。

名刺デザインは2パターン準備し、「直江兼続」のロゴが入ったAパターンと、それぞれで希望のロゴを入れられるようにしたBパターンとがございます。

ご希望の方には、無償でデザインデータを提供します。山形が舞台となる大河ドラマのPRを、是非みんなで行っていきましょう!

ご希望の方は、下記の注意事項を遵守のうえ、ダウンロードを行ってください。


大河ドラマ「天地人」名刺デザインの利用について

[利用可能対象者について]
 このデザインを利用して名刺・名札の作成を希望する方は、どなたでも利用が可能です。

[利用目的について]
 このデザインの利用目的は、名刺作成用、胸につける名札(ネームプレート)作成用に限ります。 

[使用料について]
 無償でデータを提供いたします。
 二次配布も可としますが、その際、使用料等を徴収することは禁止します。

[著作権について]
 著作権は、大河ドラマ「天地人」山形県推進協議会とThinkNow 鈴木弘子氏にありますので、
 デザイン・色等を改変しての使用は認めません。
 また、直江兼続所用「愛の兜」の画像使用については、上杉神社の許可をいただいておりますので、画像の転載・使用を禁止します。

[データの種類]
 名刺作成用として、イラストレータ向けのデータとJPEGデータの2種類を用意しております。

制作:大河ドラマ「天地人」山形県推進協議会
    事務局:山形県置賜総合支庁商工労働観光課 0238-26-6098
デザイン:ThinkNow(シンクナウ)鈴木弘子 氏


名刺用イラストレータ向けデータをダウンロード

名刺用JPEGデータをダウンロード

ネームプレート用JPEGデータをダウンロード

名刺&名札自作用エクセルデータをダウンロード

提供データは、自己解凍方式の圧縮ファイル(zip形式)となっています。ダウンロード後、適当な場所に解凍のうえ、ご使用ください。



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2008/02/18 12:00:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局
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