戦国観光やまがた情報局|山形おきたま観光協議会

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戦国観光やまがた情報局|山形おきたま観光協議会

〒992-0012
山形県米沢市金池7丁目1-50
TEL:0238-26-6046
FAX:0238-26-6047

:戦国観光やまがた情報局|山形おきたま観光協議会

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戦国観光やまがた情報局
直江兼続に関する古文書を紹介している、常設展示室内・上杉文華館「直江兼続の生涯」。先週より展示内容を変更しており、テーマはいよいよ米沢移封後の上杉家および直江兼続に関係した内容になっていきます。今回は「幕府と兼続� 阻詆椶�らの諸負担〜」。

関ヶ原の戦いを経て天下人となり、江戸に幕府を開いた徳川家康。江戸幕府の日本の統治に地方の諸大名は組み込まれ、軍事・普請の面で重い負担を課されていきます。米沢藩30万石の大名となった上杉家も同様で、兼続は米沢藩の執政として、それらへの対応を担っていくのです。
 今回は兼続が将軍や幕府の重臣との間でやりとりした書状や、兼続が米沢藩が参勤交代を免除されたことを息子の景明に報告している書状など、幕府との関係の強さや幕府からの負担がいかに重かったかをリアルに表す史料を紹介します。

 NHK大河ドラマ「天地人」もいよいよ撮影がスタート。ほぼ目前にまで迫った「天地人」放映に向け、予習も兼ねてぜひ見にいらしてください。
 
※今回の展示内容による「直江トーク」は9月13日(土)になります。展示共々よろしくお願いします。

展示期間 〜9月15日(月・祝) 
直江トーク(学芸員による解説) 9月13日(土)14:00〜
問い合わせ 0238-26-8001 
2008/09/02 13:40:Copyright (C) 伝国の杜 情報BLOG
傾奇御免!! 大ふへん者 前田慶次郎見参!!

米沢市の宮坂考古館には、慶長5年(1600)の出羽合戦で、最上領から撤退する上杉軍の殿をつとめて大活躍したとされる前田慶次郎所用の「朱漆塗紫糸威五枚胴具足」が所蔵されています!!南蛮笠の兜に裃のような肩当、鱗形袖と…傾奇者にふさわしい異風ないでたちのヨロイです!!他にも槍や面などの遺品も展示されています。


財団法人宮坂考古館
米沢市東1丁目2-24
Tel.023-23-8530

【開館時間】
午前10時〜午後5時(4月〜9月)
午前10時〜午後4時(10月〜3月)

【休館日】
月曜日(祝祭日の場合は翌日)

【入館料】
大人300円 大高校生200円 小中学生100円 (団体割引あり)


マップ>>こちら


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前田慶次郎の兜(「南蛮笠形兜」米沢市・宮坂考古館所蔵)のペーパークラフトです。画像は縮小版です!!南蛮笠の兜に裃のような肩当、鱗形袖と…傾奇者にふさわしい異風ないでたちのヨロイです!!

【ダウンロード】
  ↓↓↓
前田慶次郎所用「南蛮笠形兜」のペーパークラフト(大)

前田慶次郎所用「南蛮笠形兜」のペーパークラフト(小)


★ほかの武将兜ペーパークラフトは>>こちら

※このペーパークラフトは米沢市の木村吉孝氏が企画し、川島印刷、精英堂印刷が設計製作したものです。

2008/08/26 16:00:Copyright (C) 最上義光歴史館
 ドラマの収録が19日、山梨県のロケから始まりました。この日は、兼続が謙信の使いの一行として、織田信長にひれ伏すシーンなどが撮影されました。記者会見では、兼続役の妻夫木さんが米沢を訪れ、「愛の兜」などを見学したエピソードも披露されたようです。
 また、新たな配役が発表されました。

織田信長・・・吉川晃司さん
羽柴秀吉・・・笹野高史さん
2008/08/20 13:15:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局
天文3年(1534)〜天正10年(1582)
 天下布武を目指した型破りな戦国武将として名高い。
 尾張斯波氏の家老織田信秀の嫡男。18歳で家督を継ぐ。永禄3年(1560)桶狭間の戦いで今川義元を破ると天下統一に向けて勢力を拡大し、長篠の戦い(1575)で武田勝頼を破る。
 その後上杉家家督争いの「御館の乱」に乗じて、上杉領である能登・加賀を攻略。天下統一まであと一歩に迫りながら天正10年(1582)6月2日、本能寺で家臣明智光秀に急襲され自害。享年49。
 信長は合理主義に徹し、才能ある家臣は身分を問わず登用昇格させた、まさに能力主義者であった。
2008/08/18 15:00:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局
【伊達政宗/だてまさむね】 〜義光の妹義姫の子・独眼竜〜

 小説になり、ドラマになった仙台藩祖、独眼龍・伊達政宗。
 ここで取り上げるまでもない超有名人だが、最上家との深いかかわりから見て、やはり抜かせない人物だ。
 最上義光の妹、義姫の子、つまり伯父甥の関係になるわけだが、二人の交流となるとあまり知られていないようだ。しかし、さすがに血のつながった伯父と甥、こまやかな心の交流のあったことが、『奥羽永慶軍記』に書かれている。
 十五歳の政宗が義光に和歌をおくった。
  
  恋しさは秋ぞまされる千歳山の阿古耶の松に木隠れの月

 これに対する義光の返し。

  恋しくば訪ね来よかし千歳山阿古耶の松に木隠るる月
 
 政宗は永禄10年(1567)8月3日、米沢で生まれた。伊達氏16代輝宗の嫡子である。湯殿権現の申し子であるとの伝説をまとった生誕で、幼名を梵天丸といった。幼いときに疱瘡を病んで片方の目が悪かったことは、よく知られている。
 18歳で、家督をつぎ、伊達家17代の当主となる。
 翌年、政宗は大内定綱を攻め、その属城小手森城を攻めて勝利を収めたとき、さっそく義光に戦果を報告した。
 「敵兵はもちろん女子供まで千百余人を撫で斬りにした。このぶんなら関東まで攻め入って領分を広げることもたやすいこと」と、いかにも誇らしげだ。
 「撫で斬り」とは、無差別の皆殺し。当時の世相の中で、全国的には必ずしもめずらしいことではないが、奥羽地方では今までになかった乱暴さだ。もっとも、このときは義光からも援軍が出ていたので、そのお礼を兼ねての戦勝報告だったらしい。
 同じ年の10月には、父・輝宗が畠山義継に拉致されて連行されたとき、これを追跡し、敵将もろとも父をも銃撃して死なせてしまった。これまた乱暴なやりかただ。
 曾祖父稙宗のころ(1500年代初期)から始まった領土拡大政策を受け継いで、政宗は南進して大内・石川・白川や会津の芦名などの諸大名を攻め立て、北に侵攻しては葛西や大崎を併呑しようとした。周辺の諸大名はこれを警戒して同盟してこれに対抗する。
 南の方では、常陸の佐竹義宣が中心になった。北の方では最上義光が中心となった。いわば、危険な伊達から連帯して身を護ろうとしたわけである。
 わが甥ながら、義光としては止むを得なかったに相違ない。
 境を接する戦国大名同士、最上と伊達が競り合うのも仕方ないことだった。
 義光の妻の実家大崎家に政宗の矛先が向けられたときには、義光は伊達との境界に布陣してこれを牽制する。あわや全面対決かと思われたところに義姫が割り込んで、和平にこぎつけたこともあった。
 徳川家康は心配して、義光と政宗に「親類同士、仲良くしてくれ」と手紙をよこしている。
 天正17年に、有名な摺上原の合戦に打ち勝って会津の芦名氏を放逐した政宗は、奥羽南部の覇者となるが、翌年豊臣秀吉による小田原征伐に参戦して以後は、豊臣政権に従属することとなり、領土拡張戦はストップせざるをえなくなった。小田原参戦に先立って、政宗が弟小次郎を斬ったが、伊達家の内部には、なんらかの複雑な事情があって、そうせざるをえなかったのだろう。ただし、母義姫が政宗を毒殺しようとした云々の話は作り話であったことが、仙台市博物館長・佐藤憲一氏の研究から明らかになっている。
 その後、奥州北部で九戸政実が乱を起こしたときには、蒲生氏郷とともに乱の鎮圧におもむいたが、政宗はあまり熱が入らなかった。氏郷は、政宗の動きに不信の念をあらわにする。
秀吉もまた政宗を警戒する。その結果、現福島県中央部、宮城県南部から本領だった米沢地方までも取り上げられ、岩出山に移転させられてしまう。
 もはや勝手な動きができない情勢であることを知って、政宗は、中央政権の実力者と密接な関わりを持とうと努める。その一方、「奥羽の覇者・伊達政宗」を積極的にアッピールするようになる。派手なことの好きな秀吉は、だんだん政宗をひいきするようになる。
 彼が朝鮮侵攻のために京都を出発するときには、軍兵の装束があまりにも奇抜で、見物の都びとたちが驚きの声をあげて見送ったそうである。朝鮮に渡ってからの働きも、上方大名衆からまけまいと懸命だった。その一方、悪戦苦闘のさなかに母親からねんごろな手紙と黄金三枚をおくられたときには、感激の涙あふれんばかりの返事を書いた。(「義姫」の項参照)
 帰国した政宗は、秀吉がもよおした吉野山の観桜会に参加を許されたが、これは28歳の青年大名政宗としては、異例破格の待遇だった。31歳で、右近衛少将。秀吉亡きあと、徳川家康の息子にわが娘五郎八姫を縁約。
 慶長5年(1600)、関が原合戦の東北版とも言われる「慶長出羽合戦」で、上杉軍が最上領内に侵攻してきた時、最上義康が援軍を求めて政宗のもとに走る。政宗は援軍派遣を了承する。伊達政景のひきいる援軍が山形に来たのは、9月22日。不安にかられていた義光と最上の人々にとって、これは非常な喜びだった。
 上杉軍が山形周辺から撤退した10月下旬、義光はみずから政宗の所におもむいて、したしく援軍派遣への礼を述べた。よほどありがたかったのだろう。
 徳川家康は、この戦いの前に、政宗を味方につけるために有名な「百万石のお墨付」を出していたが、これは反古(ほご)にされた。政宗はその後何回かの加増で2万石を増されただけだったが、それでも62万石となり、義光は長年望んでいた庄内地方に秋田南部の由利郡をも与えられて、57万石の大名となった。伯父と甥、親戚同士の両家が、めでたく大大名として東北に相並ぶこととなったのである。
 両家ともに、地域の産業振興や文化発展のためにさまざまな施策を行なう。
 だが、残念ながら最上家は、わずか20年にして、内部分裂を理由に改易の憂き目にあう。義光の後を継いだ家親が36歳で急逝した後、山形藩主となった12歳の家信(義俊)は、家臣団をおさえきれなかったのである。
 それに対して、政宗は一族家臣をしっかりと掌握した。一家、一族を中核とした家格制などで序列を明確にして混乱や分裂を未然にふせいだ。本拠地仙台には新たな城郭を築き、城下町の建設を進めた。のみならず、視野を世界に向けて、慶長18年(1613)には支倉常長をローマに派遣している。時代を先取りした斬新な企てであった。
 最上改易(元和8・1622年)のとき、政宗は特別に編成した部隊を派遣して、山形にいた母お東の方・義姫を仙台に迎え入れた。時に政宗56歳、母は75歳だった。
 政宗は60歳のとき、従三位中納言に叙任。将軍、秀忠や家光に対しても遠慮なくものを言えるという点では、彼が一番だったとも言われる。剛毅さにおいてすぐれた人物であったが、古典文芸の素養や和歌・漢詩、書にもすぐれた才能をもっていた。

 「馬上少年過ぎ 
  世平らかにして白髪多し
  残躯天の許すところ 
  楽しまずんば是いかん」

 「馬上で戦場をかけまわった若い時代、
  今や世は泰平、わが身は白髪、
  老いた身体は天命のまま、
  楽しまずして、何としようぞ。」

 晩年、生涯を振り返って詠じた漢詩である。
 寛永13年5月24日没。70歳だった。
■■片桐繁雄著


2008/08/17 17:09:Copyright (C) 最上義光歴史館
写真は米沢市上杉博物館内で、映像「直江兼続の生涯」を放映している様子です。多くのお客様が映像の前に集まり、真剣にごらんいなられています。今日は休日ということもありますが、平日もこの映像をごらんになっているお客様は多いです。兼続の人気ぶりが伺えるのではないでしょうか。

...もっと詳しく
2008/08/10 10:54:Copyright (C) 伝国の杜 情報BLOG
モガミヨシアキ(最上義光)とナオエカネツグ(直江兼続)は山形県を代表する英雄です!!

その二人から最上義光歴史館を見学するみんなに「挑戦状」が届きました!!
「最上義光からの挑戦状!!」の特別版「最上義光と直江兼続からの挑戦状!!」です!!

二人はいつ頃の人!?どんなことをした人!?二人の関係は!?二人にまつわる資料をそれぞれが紹介しています!!


【ダウンロード】

   ↓↓↓

●おもて ○うら
2008/08/06 11:57:Copyright (C) 最上義光歴史館
平成20年7月24日に発生した岩手県沿岸北部を震源とする地震による、県内の観光施設等への影響はありません。通常通り、運営しております。
また、この地震による県内の交通機関への影響もありません。
2008/07/25 18:00:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局
 直江兼続の生涯を紹介する上杉文華館「直江兼続の生涯」。現在7月24日(木)〜8月26日(火)までの期間で、「天下のゆくえ」と題して展示を行っております。秀吉死後の混乱から関ヶ原の戦いを経て、徳川家康が天下を掌握するまでの時代における、景勝そして兼続の動向を紹介します。
 
 兼続と言えば関ヶ原の戦いの局地戦・慶長出羽合戦を思い浮べる方も多いのではないでしょうか。今回の展示ではその出羽合戦に関連した古文書(伊達政宗や最上義光関連)も紹介しております。「天地人」放映に向けて出羽合戦関連の史跡巡り等をされている方も多いと思いますが、ぜひこの機会に関連の古文書もご覧いただければと思います。

 なお上記テーマでの学芸員の解説「直江トーク」は8月9日(土)の14:00より開催いたします。こちらにも是非ご参加ください。
※直江トークは、常設展示室内での開催となりますので、お聞きいただくには常設展入館券が必要になります。


常設展入館券料金 
一般400円(320円) 高・大学生200円(140円)小・中学生100円(60円)
 ※()内は20名様以上の団体料金 
 ※この他、企画展とのセット券もございます。

お問い合わせ 米沢市上杉博物館 0238−26−8001

2008/07/25 09:52:Copyright (C) 伝国の杜 情報BLOG
 鮭延城址の近くには、鮭延氏の菩提寺である正源寺がります。山門は、高さ13m、間口9.7m、奥行6.1m、12脚の堂々たる桜門です。
 約450年前(天文5年)、鮭延典膳貞綱公(秀綱の父)の菩提寺として開かれました。
 山門と山門の間に鉄道が走り、踏切があります。境内に踏切がある寺は、全国的にも珍しいものです。

▼交通:JR真室川駅から車で約7分
▼駐車場:有り(無料)自家用車可
▼拝観料:なし
▼所要時間:15分
▼所在地:真室川町大字新町22−13
▼問合せ:真室川町教育課 TEL 0233−62−2305
2008/07/24 17:30:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局

 上山城は、最上氏の最南端の城塞であり、最上家改易の後は歴代藩主の居城となり、月岡・天神森にそびえる壮麗な城郭は「羽州の名城」として広く知れ渡りました。
 元禄5年(1692)、幕命により取り壊され、現在は堀後や石垣が当時の名残をとどめています。現在の建物は、昭和57年(1982)に、郷土資料館として再建されたものです。

▼交通:JRかみのやま温泉駅から徒歩で約7分
    東北中央自動車道山形上山ICから車で約15分
▼駐車場:専用駐車場利用(無料) 自家用車50台程度可、大型バス3台程度可(事前に要連絡)
▼入場料:あり
▼所用時間:30分
▼トイレ:施設内トイレ利用
▼案内:ボランティアガイドによる案内可(予約制)
▼問合せ:公益財団法人上山城郷土資料館 TEL 023−673−3660


2008/07/24 17:20:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局

貞観2年(860)慈覚大師が安久津の豪族、安久津磐三郎の協力で阿弥陀堂を建てたのが始まりと言われています。
慶長3年(1598)に神領50石を兼続が寄進し、衰退していた八幡神社の再建計画を立てました。元和3年(1617)には拝殿を上杉景勝が造営。兼続の死去に伴い、一時中断しますが、2代藩主上杉定勝が寛永7年(1630)に本殿を再建しました。

▼交通:JR高畠駅から車で約15分
東北中央自動車道南陽高畠ICから車で約10分
▼駐車場:有り(無料) 大型バス・自家用車可(すぐ近くの道の駅「たかはた」にも有り)
▼拝観料:なし
▼所要時間:20分
▼トイレ利用可
▼案内:ガイドによる案内可(有料・予約制)
▼問合せ:安久津八幡神社社務所(高畠町安久津2043−2 TEL 0238−52−5990)
     ガイド「まほろば里案内人」(高畠町観光協会 TEL0238−57−3844)
    


2008/07/21 22:10:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局
14日から15日にかけて、初めて米沢市内での撮影がありました。
今回は主に「愛の兜」を中心に、上杉神社稽照殿の外観などを撮影。
「さすがNHK!」と思わせる丁寧な仕事ぶりでした。

ちなみに、カメラマンの方はNスペ「大英博物館」も担当されたそう(3ヶ月間博物館に缶詰め状態だったとか)です。きっと「愛の兜」も美しく撮れているのではないでしょうか。

「天地人」の演出を統括する片岡敬司CD(チーフ・ディレクター)によると、ドラマの中での使い方は「まだ未定」だそうですが、「皆さんに喜んでいただけるような使い方をします」とのこと。期待しましょう。


2008/07/16 11:02:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局
生年不詳〜慶長17年(1612)
 武勇に優れた武将でもあり、和漢古今の文学にも通じた風流人。派手な姿、振る舞いを好む傾奇者としても有名。
 加賀の前田利家の義理の甥であり、実母が利家の長兄・利久に再嫁したため、その養子になったと言われている。本来は前田家を継ぐ身であったが、織田信長が利家を跡継ぎとするよう命じたため、父とともに浪人となった。のちに能登の大名となっていた利家に仕えた。
 利久が死去すると利家との折り合いが悪くなり、前田家を出奔。京都で様々な文化人と交流し、なかでも文武両道に秀でた直江兼続と親交を結んでいた。
 上杉景勝が会津120万石に加増移封されると、上杉家に1千石で仕官した。慶長5年(1600)の慶長出羽合戦では、兼続に従い出陣。長谷堂城からの撤退戦では殿軍(しんがり)を務め、追撃する最上軍相手に奮戦し、上杉軍を見事に撤退させた。
 戦後、数多の仕官の話を断り、上杉家に残った。米沢近郊の堂森の地に「無苦庵」という庵を結び、悠々自適な晩年を過ごしたといわれる。
2008/07/10 12:00:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局
大河ドラマ「天地人」山形県推進協議会では、大河ドラマ「天地人」の放送を契機として実施する「まちづくり」や「人づくり」の事業を募集します。
県内各地域において、民間の各種団体が取り組む活動について協賛し、必要経費の一部を支援いたします。

「まちづくり」「人づくり」事業ってどんなことすればいいの?
まちづくり事業の例
 ・立看板や誘導サインの整備や修繕
 ・花の植樹や環境美化活動、まちなみの景観整備
 ・誘客交流イベントの開催
 ・おもてなし接遇研修会やガイド研修会の開催  などなど…
人づくり事業の例
 ・歴史・文化講座や講演会の開催
 ・史跡の現地調査や現地研修会の開催
 ・マップやパンフレットの制作、ホームページによる情報発信
 ・歴史文化資源に関するシンポジウムや研究会の開催  などなど…

どのくらい支援してもらえるの?
対象となる経費とならない経費がありますが、
1事業につき、自己負担額の2分の1、10万円を上限として、協賛金をお支払いいたします。

申し込むにはどうしたらいいの?
協賛依頼書を各総合支庁観光振興室あてに提出してください。
第1回締切は、7月31日(木)[9月30日までに実施する事業]
第2回締切は、9月12日(金)[10月1日〜3月31日に実施する事業]です。

詳しくは、山形県ホームページhttp://www.pref.yamagata.jp/ou/shokorodokanko/110004/tennchijinn.htmlをご覧ください。事業実施要項や資料のダウンロードができます。


2008/07/09 10:30:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局
父:樋口惣右衛門兼豊(ひぐちそうえもんかねとよ)?〜1602
   坂戸城主・長尾政景(上杉景勝の実父)の重臣。 
   のちに直峰城主。伊予守。
   上杉家の会津移封後は米沢城にて、兼続が不在の際の留守役を務めた。
   慶長7年(1602)9月12日死去。
 
母:蘭子(らんこ)1539〜1604
   北信濃の豪族泉氏:泉弥七郎重歳(いずみやしちろうしげとし)の娘。
   これとは別に直江景綱の妹という説もある。
   大河ドラマ「天地人」では“お藤”の名前で登場。

弟(次男):与七(よしち)1562〜1622
   兼続の2歳下の弟。
   天正10年(1582)小国家を相続。
   小国実頼(おぐにさねより)のち大国実頼(おおくにさねより)を名乗る。
   天神山城主、のちに鴫山城代、高畠城代を務める。 
   関ヶ原合戦後、兄の兼続と対立して高野山に逃れた。
   兼続の死後、密かに米沢北部の中小松村に戻り、同地で没したと云われている。
   「能書、連歌の上手」と評され、連歌会に度々出席している。
   元和8年(1622)2月9日死去。享年61。

弟(三男):与八秀兼(よはちひでかね)1580〜?
   他家を継いだ兄達に代わり、樋口家を相続、千石を領す。
   慶長19年(1614)大坂冬の陣に参陣。
   
妹(長女):きた ?〜?
   須田満胤に嫁ぐ

須田満胤(すだみつたね)?〜?
   須田満親の長男。景実、光義とも。父とともに上杉家に仕えていたが、
   慶長2年(1597)伏見舟入普請を担当した際に不備があり、
   同じく担当の柿崎憲家らとともに改易追放処分を受け、京で浪人となった。
   そのため、須田家は次男の長義が継いだ。
   室のきたは、本庄繁長を頼り、子の満統(みつむね)は、
   慶長19年(1614)になって上杉家に帰参した。

妹(次女):名前不詳?〜?
   色部光長に嫁ぐ

色部光長(いろべみつなが)1587〜1640
   色部長真の長男。幼名・竜松丸。父の死去に伴い、わずか6歳で家督を継いだ。
   父の遺言状には直江兼続の次女を息子の正室に迎えたいと書いてあると云われているが、
   実際に嫁いだのは、樋口兼豊の次女(兼続の妹)であった。
   上杉家の会津移封に際して金山城主となる。
   慶長出羽合戦では先鋒を務め、畑谷城を攻略した。

妹(三女):名前不詳 ?〜?
   篠井泰信に嫁ぐ

篠井泰信(しののいやすのぶ)?〜?
   篠井正信の子か。正信は直江親綱の三男で景綱の弟。
   慶長出羽合戦の際、第二陣として上山城攻略に向かうが、本村隊の敗北を受けて退却した。
   その後、長谷堂城攻略のため、直江兼続率いる第一陣と合流した。
   撤退にあたっては、春日元忠とともに先駆を命じられた。


妻:お船(おせん)1557〜1637
   与板城主・直江大和守景綱の娘。
   婿に迎えた信綱が死去したため、上杉景勝の命により、樋口兼続に再嫁し、
   一男二女をもうける。
   寛永14年(1637)1月4日死去。享年81。
   米沢徳昌寺に埋葬、のち林泉寺に改葬。

長女:お松(おまつ)?〜1605
   慶長9年(1604)閏8月、養子に迎えた本多政重(直江勝吉)の妻となる。
   慶長10年(1605)8月17日病没。
        
次女:名前不詳(お梅?)?〜1605
   慶長10年(1605)1月7日病没。

長男:平八景明(へいはちかげあき)1598〜1615
   慶長3年(1598)直江兼続の嫡男として生まれる。幼名竹松。
   うまれつき病弱で、病をおして大坂冬の陣に参陣。
   翌年の元和元年(1615)7月12日病没。享年18。
   
養子:与次郎(よじろう)?〜?
   本庄繁長の三男:本庄長房。
   文禄2年(1593)嫡子のなかった兼続の養子となる。
   後年、竹松(平八景明)が生まれたため、しばらくして帰家。
   のちに、本多政重が前田家に帰参する際に随行した。
   その後、上杉家に戻り小国城の在番を務めた。  

養子:勝吉(かつよし)1580〜1647
   徳川家康腹心の本多正信の次男:本多政重。故あって、徳川家を出奔。
   大谷家、宇喜多家、福島家、前田家を渡り歩く。
   慶長9年(1604)閏8月、兼続の婿養子となり、長女お松と結婚。
   大和守勝吉(のち安房守)と称した。
   慶長16年(1611)上杉家を去り、前田家に帰参した。
   
養女:阿虎(あこ)?〜1627
   直江兼続の姪。兼続の弟:大国実頼の娘。
   慶長14年(1609)直江家の養女に迎えられ、直江勝吉の継室となる。
   慶長17年(1612)前田家に仕えた本多政重(直江勝吉)のいる加賀に赴く。
   寛永4年(1627)5月10日死去。
2008/07/08 13:00:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局
大河ドラマ「天地人」山形県推進協議会では、
その活動状況、天地人に関連したNHKや県内の動きを
月イチペースにてお知らせするメールニュースを発行しております。

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2008/07/02 11:30:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局
大河ドラマ「天地人」米沢市推進協議会で募集・選定を進めておりました、直江兼続マスコットキャラクターが決定しました!

名前は「かねたん」、愛の甲冑を身にまとった「犬」がモチーフのキャラクターです。デザインした方によると、「主君に忠義を尽くす、そのイメージから犬のキャラクターにしました。」とのこと。
これからPRにバンバン活躍していきます。皆さんどうぞ応援よろしくお願いします。

 米沢「天地人推進プロジェクト」公式発表ホームページ
2008/06/27 11:30:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局
NHK大河ドラマ「天地人」の新たなキャスティングも発表され、直江兼続ブームもますます加熱していますね。豪華なキャスティングで、それぞれの俳優さんが各人物をどのように演じるのか、ますます楽しみです。そして次のキャスト発表にも期待です。私は特に前田慶次を誰が演じるのかに一番注目していますが、皆さんはいかがでしょうか。

さて、その直江兼続に関する史料を紹介している、上杉博物館常設展示室内の上杉文華館「直江兼続の生涯」。本日からテーマと資料を入れ替えております。今回は「天下統一と�◆曽影發鮖拉朮爾法繊廖�戦国期には庄内(山形県庄内地方)をめぐって諸勢力が争いますが、豊臣秀吉の支配が東北に及ぶと、その支配は直江兼続が任され行うことになります。今回はその一連の流れを、当時の様子を伺える史料を通じて紹介していきます。

上記テーマでの、学芸員による展示解説「直江トーク」は7月12日(土)14:00に開催します。こちらにもご期待下さい。

展示期間 2008年6月26日(木)〜7月22日(火)
直江トーク 2008年7月12日(土)

※直江トークは、常設展示室内での開催となるため、常設展入館券が必要になります。
お問い合わせ 0238-26-8001
2008/06/26 09:07:Copyright (C) 伝国の杜 情報BLOG
米沢市小野川温泉近くの水田をキャンバスにして描かれる田んぼアート。
3回目となる今年のテーマは「天地人」です。
大地に描かれているのは、上杉博物館所蔵の「直江兼続像」、「愛」と「天地人」のロゴ、
そして、小野川温泉といえば有名な「ほたる」!
小野川温泉では、6月20日(金)〜7月31日(木)まで「ほたるまつり」を開催中です。

地元特産米「はえぬき」(緑)と古代米(黒・黄)を使用しており、
5月25日(日)に田植えを行ってから約ひと月経って、ようやく見ごろになってきました。

ご見学は、ホールサムイン小野川近くの特設展望台からどうぞ!
 展望台の地図&ライブカメラはコチラ → 田んぼアート/米沢市

10月には田んぼアートの稲刈り体験教室が開催される予定です。
2008/06/24 14:00:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局
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