:戦国観光やまがた情報局|山形おきたま観光協議会

戦国観光やまがた情報局
いよいよ来年1月4日からスタートする大河ドラマ「天地人」! その放送直前に「天地人」ゆかりの地3県が協力して記念イベントを開催します。
「ゆかりの地3県」というのは、「新潟県」・「福島県」・「山形県」です。大河ドラマ「天地人」の主要な舞台となるのは、上杉家が本拠地を構えたこの3県!ということでの連携です。

今回のイベントの会場は東京お台場。3県の知事や温泉女将が登場して、PR合戦を繰り広げるとともに、各県自慢の特産品ほか豪華商品をどど〜んとプレゼントします。ご予定の合う方はぜひぜひお立ち寄りください。

 開催日:平成20年12月20日(土)
 時 間:午後2時15分〜 (午後3時20分終了予定)
 会 場:東京お台場「ヴィーナスフォート」2F教会広場

 イベント内容
  ・直江兼続役の妻夫木聡さんからのメッセージ(映像出演)
  ・「天地人」3択クイズ大会
  ・ご当地宿泊券や特産品が当たる大抽選会

あの「ゆるキャラ」がいよいよ東京デビュー!
 愛の前立てをかぶったあの「ゆるキャラ」にも出演オファーがあった模様です。
 東京でのPRに向けて気合十分のようです。皆さんお楽しみに!! 
2008/12/16 17:00:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局
NHK総合/デジタル総合において「天地人」PR番組が放送されます。番組宣伝用のダイジェスト版(予告編)が放送されるものと思います。前回のお知らせで見逃した方は、ぜひチェックしてみてください。
20日は3分バージョン、21日は10分バージョンです。

 放送局:NHK総合/デジタル総合
 放送日時:平成20年12月20日(土) 午後2時15分〜午後2時18分
         ※大河ドラマ「篤姫」最終回の再放送終了後です。
        平成20年12月21日(日) 午後4時45分〜午後4時55分
2008/12/15 11:30:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局
いよいよ「天地人」の放送が近づいてきました…わが殿最上義光は誰が演じるのか!?出番はあるのか!?もしかして…!?実は…!?ついに…!?

さてさて…主人公直江兼続公のトレードマーク「六十二間筋兜(『愛』の前立の兜)」(上杉神社蔵)はすでに掲載済みですが、このたび、兼続公が仕えた初代米沢藩主上杉景勝公の「日輪雲前立黒漆塗巾着形兜(抹頭形兜)」(上杉神社蔵)のペパクラ兜が完成しました。木村社長ありがとうございますm(_ _)mまだまだ他の兜も計画中とのことですが…次はどの武将ですか木村社長!?


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◆直江兼続公所用「六十二間筋兜(『愛』の前立の兜)」 上杉神社所蔵(画像は縮小版)◆








ダウンロードご希望の方は大河ドラマ「天地人」米沢市推進協議会へ
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天地人・上杉の智将 直江兼続サイト


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◆上杉景勝公所用「日輪雲前立黒漆塗巾着形兜(抹頭形兜)」 上杉神社所蔵(画像は縮小版)◆









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★ほかの武将兜ペーパークラフトは>>こちら

※このペーパークラフトは米沢市の木村吉孝氏が企画し、川島印刷、精英堂印刷が設計製作したものです。

2008/12/13 13:23:Copyright (C) 最上義光歴史館
【最上源五郎家信/もがみげんごろういえのぶ】 〜改易時の山形藩主〜

【1】    
 元和3年(1617)3月6日(太陽暦4月11日)、山形藩主最上家親が急逝した。
 さて、このとき嫡子源五郎は12歳。そのときどこにいたか、確かな記録はないが、おそらく江戸であろう。
 藩主急死。
 江戸の藩邸で大騒ぎをしている3月8日、山形では城下が大火に見舞われていた。
 「山形寺社多く焼失、当山も残らず類焼」という、光明寺の記録がある。山形ではこの段階で主君の死を知るはずがなく、家臣、町人、寺社関係者にいたるまで、火災の後始末に懸命だったろう。そこに藩主急逝の報せが届いたのである。
 英主・義光没後わずか3年、重なる凶事に領内は不安に覆われたに相違あるまい。
 ところで地元山形領内の政務は、家親が幕府奥向きの役職のため江戸詰めが多かったことから、一族のめぼしい者や重役層が評定衆となって執行していたと思われる。そうして見たとき、最上藩にはどういう人物がいたか。
 まず最上一族ではどうか。
 慶長八年(1603)の政変で、長男義康はとうにいない。三男清水光氏(義親)は義光没年(慶長19年/1614)の一族抗争で敗死した。残る主な親類は、次のようだ。 
 山野辺光茂(義光の四男。後、義忠。天正16年(1588)生まれ、30歳。山野辺城主、1万9千300石)
 上山光広 (義光の五男。推定慶長4年(1599)生まれ、19歳か。上山城主、2万1千石)
 大山光隆 (義光の六男。推定慶長7年(1602)生まれ、16歳か。庄内大山城主、2万7千石。)
 楯岡光直 (義光の弟。永禄8年(1565)生まれか。52歳ほど。甲斐守。楯岡城主、1万6千石。)
 松根光広 (義光の弟、義保の子。天正17年(1589)生まれ、29歳。庄内松根城主、1万2千石。)
 本荘満茂 (最上家分家筋。弘治二年(1556)生まれ、62歳。由利郡本荘城主、4万5千石)
 いずれも大名格だが、上山と大山はまだ10代で、源五郎の叔父とはいっても兄のような若さで、力量は期待できまい。光直はもう年だ。そうなると義光の四男、前藩主の弟という近親者。年齢に不足なく、城池が山形に近いこともあって、藩内第一のリーダー格は山野辺光茂ということになりそうだ。政治の表向きには出なかっただろうが、義光の妹義姫(お東の方)が70歳で健在だった。
 いっぽう家臣の方は、寒々とした状況だった。義光とともに戦い、最上家の隆盛をもたらした往年の勇将、智将の多くはすでに亡くなっていた。
 志村伊豆守光安…慶長16年(1611)死去。後継者の光惟は義光の死去半年後に、鶴ケ岡城下で勃発した一栗兵部の反乱で殺害された。
 氏家尾張守守棟…慶長20年(1615)死去。男子三人がいたようだが、上の二人は早世。三男、左近丞親定は26歳。幼少時から仏門入っていたため、政治には疎かっただろう。
 坂紀伊守光秀……元和2年(1616)死去。
 上山を領していた里見越後・民部親子、義光の信頼厚かった成沢、谷柏らの一族は、義康廃嫡時の政変で失脚したらしい。最上家を本気で守ろうという気概をもった宿老は少なかった。
 残るは、歴戦の勇将鮭延越前守秀綱(真室川/鮭延城主、1万1千500石。56歳)・里見薩摩守景佐(東根城主、1万2千石。老齢、病身だった。)・野辺沢遠江守光昌(野辺沢城主、2万石。30歳代半ばか)・小国日向守光基(小国城主、8千石。年齢未詳)など。
 これらの中で、実力者は、血筋、年齢、経歴から見て、随一は鮭延である。こういう状態で、藩主が亡くなり、12歳の長男、源五郎が残されたのである。

【2】    
 家督相続者は、江戸時代に入ってからは長男と決まったようなものだが、当時はまだこの考えは確立していなかった。12歳の源五郎でよいかどうか。領内でもとりどりの評判があっただろうし、幕府内部でもさまざま検討がなされただろう。しかし、結局幕府は5月3日に源五郎の家督相続を承認し、57万石は安堵された。
 同月10日、幕府は未成年藩主であることに配慮し、領内政治の安定を図るべく7項目の指示をだした。内容は次のようなものである。(『徳川実記』『最上家譜』から要約。)
 1 義光、家親が定めた制度を変えないこと。
 2 家臣の縁組みは、2千石以上の場合、幕府に報告して許可を得ること。
 3 訴訟裁断は先代の如く計らい、判定し兼ねる場合は幕府と協議すること。
 4 父祖が任じた役職は、勝手に改変しないこと。
 5 父祖が勘当追放した者を、領内に立ち入らせないこと。
 6 家臣への加増、新規召し抱えは、家信幼稚のうちは幕府の許可を得ること。
 7 家臣らが徒党を組むことは厳しく禁ずること。
 幕府としては、義光の忠節ぶり、家親の律儀な奉公ぶりを高く評価し、奥羽全体の平和と安定のために最上家を重視していた。だから山形藩が整然と成り立っていくようにと、大所高所からの助言を与えたのだった。源五郎が「家信」を名乗るようになったのは、この前後であろうかと思われるが、定かではない。
 ちょうどこのころ、先に義光が三重塔を建造し、3千石といわれる莫大な寺領を寄進した出羽の大寺、慈恩寺の大改修が進行中だった。家親急逝の後は、家信が願主となったのであろう。翌元和4年8月に、本堂が完成し大々的な入仏法会が行われた。
 家信は、程なく江戸に出る。そういうときも国元では叔父山野辺光茂らが中心となって、領内政治を行っていたのであろう。
 家信は江戸の最上邸(和田倉門付近にあった)に滞在していたと思われるが、たまたま起こった事件解決に大きな役割を果たす。
 元和5年(1619)6月、幕府は広島藩主福島正則の改易を決定した。江戸の福島邸を接収するにあたって、家来たちの武力抵抗が予想されたため、幕府は監視・鎮圧の役割を最上家信および、松平忠明、松平忠次、鳥居忠政らに命じた。家信は軍勢を率いて出動し、事なく福島邸の接収を完了した。その功を賞して、秀忠は長光の太刀を褒美として下賜したと、『重修寛政諸家譜・最上氏系図』にある。家信十四歳である。
 ところが、家信の評判は悪いほうに向かう。
 元和6年9月12日の『徳川実記』に、

 「十二日、最上源五郎義俊は、少年放逸にて、常に淫行をほしいままにし、家臣の諫めを用いず、今日浅草川に船遊して妓女あまたのせ、みずから艪をとりて漕ぎめぐらすとて、船手方の水主(かこ/船頭)と争論し、かろうじて逃げ帰る、水主等追いかけてその邸宅に至り、ありしさまを告げて帰りしかば、この事都下紛々の説おだやかならず」

という話が記録されている。大大名の当主になったとはいっても、それなりの教育も、訓練も受けていなかったのだと思われる。藩内部でも混乱が生じたらしい。同年10月16日、家信は山形の山王権現(現、香澄町三丁目日枝神社)に絵馬を3枚奉納した。金蒔絵の板に馬と猿を描き、「おさめたてまつる 馬形 三疋」と幼い筆跡で書き添えられている。猿は山王権現の使いで、馬を御し、しあわせをもたらすとされる。最上歴代が崇敬し、以前は山形城内に鎮座したこの社に、十五歳の藩主は何を願ったのだろうか。
 行跡おさまらぬ主君から、家臣は離反しはじめる。重臣たちは相互に不信感をつのらせ、仲間割れしてしまう。この状態を、最上家が幕府に提出した自家の系譜ですら、
 「義俊(家信)若年にして国政を聴く事を得ず、しかのみならず常に酒色を好みて宴楽に耽り、家老共これを諫むといえども聴かざるにより、家臣大半は叔父義忠(山野辺光茂)をして家督たらしめん事を願う」(前出、寛政・最上氏系図)と記述する。奥羽の押さえとされた名門大名最上家は、大きく傾きはじめた。

【3】    
 元和6年8月7日、東根2万2千石の城主、薩摩守景佐は、嫡子源右衛門親宜(ちかよし)あてに遺言状をしたためた。景佐は義光の傍らにあって大きな働きをした人物である。子・親宜は家親から一字をもらい、義光の娘を妻に迎え、最上家とは縁つづきの関係にあった。元の姓は里見氏。慶長七年の義光書状では「里見殿」と書いていたが、11年には「東根殿」となっている。出羽の要地を領する最上一門の誇りをこめて、姓を変えたのだろう。
 さて、景佐の遺書は、「自分が死んだなら、源五郎様へ相続の御礼に行くように」から始まって、めんめんと思いを述べた文章である。「少しなりとも少しなりとも、殿様へご奉公いたして、粗略のないように心がけよ」「自分は少しも間違ったことをしなかったからこそ、東根の地をみな頂戴して、そなたへ渡すことができるのだ」
 そういうこととともに、山野辺光茂、小国光基、楯岡光直へは、内々で形見を贈るよう指示した。景佐は、藩政運営にあたって、この三人と共同歩調を取っていたのであろう。 そして、この遺書は、最後のところで驚くべき指摘をしている。
 「最上の御国、三年とこの分にあるまじく候。せめて御国替えにも候へばいつともにて……」。最上の国もこのままでは三年と持つまい。せめて国替えにでもなったら(以下意味不明)、というのである。義光とともに戦った老臣東根景佐の、最上家の将来に対する厳しい洞察であった。

【4】
 こうして、最上家内部は混乱を深め、改易への道筋を走ることとなる。詳細なのが『徳川実記』である。現代語になおしてみる。(本来は藩主は「家信」、山野辺は「光茂」とすべきところだが、この記事では「義俊・義忠」となっているので、それに従う。)
 …義俊は年若いために、みずから国政を掌握し、決裁することができなかった。常に酒色にふけり宴楽をもっぱらにし、重役家臣らが忠告をしても、取り入れようとしなかった。そこで家来たちの多くは、義俊を藩主の座から退かせ、叔父にあたる山野辺右衛門義忠を藩主にして、最上家を継がせようと望んだ。
 ところが、家老の一人、松根備前守光広は承知しなかった。のみならず、彼は先代家親の死についてまで、「毒殺の疑いあり」と幕府に訴え出た。
 当時、家親の急死には不穏な風説があったという。家親が鷹狩りのため城を出ての帰途、一族の家老楯岡甲斐守の家で宴を催したが、家親はその席でにわかに病を発し、ついに絶命してしまった。これは、同じく家老格の鮭延越前守と楯岡甲斐守が共謀して、山野辺義忠を主にしようと計って毒をすすめたのだ………というような話である。松根はこの噂を取り上げ、江戸に上って幕府にこう訴え出た。
 「鮭延らは、山野辺を主にしようと考えて家親を毒殺し、また若年の義俊をすすめて酒色にふけり、国政を乱すように仕向けたのだ」
 事実なら大事件である。幕府では酒井雅楽頭忠世が双方を邸に呼び出し、取り調べをしたが、松根の言い分には根拠がないことが判明した。松根は虚偽の訴えをしたとしてただちに罪人とされ、九州柳川の立花家にお預けとなった。
 その後、幕府では町奉行島田弾正利正・米津勘兵衛由政を使者として、将軍の意向として次のように伝えた。
 「義俊は年若くて政務が行き届かず、家臣らが騒動に及んでいる。最上というところは、奥羽越後に境して、東国第一の要地である。しばらく領地を幕府で預かり、義俊には6万石を与えよう。九人の家老も心を一つにして補佐し、国政を確実にするなら、義俊の成長後に本領を返すこととする。義忠はじめ家老一同、明日参上のうえ返答せよ」
 しかしながら、山野辺、鮭延らの家老たちは、
 「厳命承りましたが、松根のような逆臣を厳しく処分もなさらず、そのままにしておかれるのでは、またまた同様の讒臣がでて問題を起こすでしょう。そうなったらどうなることか。いよいよ義俊の本領を収公なさるとならば、我々家老どもはみな最上家から暇を取って出家遁世し、高野山に籠ろうと存じます」と、申し上げた。
 義俊は若年無力、家老は不仲、そのような最上家に一国を預けることはできぬ。幕府は、元和8年8月18日、ついに断を下した。
 最上領、25城、57万石は収公する。代わって、近江・三河に合わせて1万石を与える。
 こうして、義光が築き上げた最上百万石は、崩壊した。
 江戸時代を通じて、これほど大きな大名が改易処分となった例は、ほかにない。先にあげた福島正則は安芸広島約50万石、肥後熊本、加藤忠広もほぼ同じ。最上家の57万石は最大である。しかも最上家は、家康、秀忠二代にわたって親密な関係にあったにもかかわらずである。最上家改易は、全国諸大名にとって衝撃的な事件だった。
    
【5】
 この年家信は17歳。詳細な経緯はわからないが、江戸城和田倉門前の最上邸は返還させられた。名字の「家」字は家康から父がもらい、それを引き継いだものだったが、これも元和9年8月以後に返したと見え、「源五郎義俊」が呼び名となる。
 寛永8年(1631)7月15日、義俊は「一遍上人絵巻」を山形光明寺に再寄進する。これははじめ義光が光明寺に寄進し、訳あって一時源五郎のところで預かっていたものだった。「文祿三年七月七日 義光寄進」と巻末に銘記されているから、義光が京都で華やかに文化活動をしていた、そのころにあたる。現在は国指定重要文化財、奈良国立博物館に寄託、保管されている。
 義俊は、絵巻物を寺に返して4箇月ばかり経った11月22日、1歳の男児、仙徳丸(後、義智)を残して江戸で亡くなった。二十六歳であった。浅草の万隆寺に葬られ、墓碑はそこにある。山形の光禅寺にも、祖父義光、父家親の墓と並んで、後日建立された墓碑がある。
 若くして逝った薄倖な最上の主を悼んで、翌年4月吉日に山形七日町の法祥寺に供養の五輪塔を建てた人物がいた。
 「寒河江之住人、微力をもってこれを造立す」と刻まれている。
■■片桐繁雄著
2008/12/12 17:09:Copyright (C) 最上義光歴史館
平成21年1月24日(土)に開幕する「天地人博2009」をみんなで盛り上げよう!ということで、PR年賀状コンクールを開催します。
皆さまのお力で「天地人博2009」と「かねたん」を、ぜひ全国にPRしていただきたいと思っております。もちろん、ロゴとキャラの画像は無料で利用可能ですよ。

大河ドラマ「天地人」の放送は新春4日からスタートですので、年賀状はまさにグッドタイミング!
今回の年賀状はちゃんとお正月に届くよう早めに投函いたしましょう!

 PR年賀状コンクールへの応募方法はコチラ

 「天地人博2009」ロゴデータのダウンロードはコチラ

 「かねたん」キャラ画像のダウンロードはコチラ


[注意事項]
直江兼続はあの有名な「直江状」を書いたことで知られていますが、ここはモチロン友好的な「年賀状」でお願いします(笑)
2008/12/10 18:30:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局
やまがたニュースアイ「かねたん特集」
NHK山形放送局の夕方のニュース番組「やまがたニュースアイ」の中で、「かねたん特集」が放送されます。今回は山形県内のみでの放送となります。

 放送局:NHK山形放送局
 放送日時:平成20年12月11日(木) 午後6時10分〜午後7時
 テーマ:直江兼続マスコットキャラクター「かねたん」特集


ワンダフル東北・直江兼続特集
NHK総合/デジタル総合において、ワンダフル東北「義と愛に戦略あり〜直江兼続 敗北からの復活〜」が放送されます。作家の童門冬二氏が独自の視点から、関ヶ原後に直江兼続がとった生き残り戦略について語ります。

 放送局:NHK総合/デジタル総合(青森県を除く東北各県)
 放送日時:平成20年12月12日(金) 午後8時〜午後8時45分
 テーマ:「義と愛に戦略あり〜直江兼続 敗北からの復活〜」


NHK大河ドラマ「天地人」PR番組
NHK総合/デジタル総合において、いよいよ「天地人」PR番組が登場です。番組宣伝用のダイジェスト版(予告編)が放送されるものと思います。ぜひチェックしてみてください。

 放送局:NHK総合/デジタル総合
 放送日時:平成20年12月13日(土) 午後3時50分〜午後4時
        平成20年12月14日(日) 午後9時10分〜午後9時15分
         ※大河ドラマ「篤姫」最終回の放送終了後です。


ワンダフル東北「ここに技あり」
14日(日)には、ワンダフル東北「ここに技あり」第13回「米沢 ふるさとの技に誇りを込めて」が放送されます。山形県出身の佐藤正宏さん(ワハハ本舗座長)が職人たちの技にふれる旅として、上杉家が農家の副業として奨励した「笹野一刀彫」、織物の町に伝わる伝統の刺し子、正月に向けての餅を作る職人などを訪ねます。

 放送局:NHK山形放送局
 放送日時:平成20年12月14日(日) 午後2時15分〜午後2時58分
 テーマ:「ここに技あり」第13回「米沢 ふるさとの技に誇りを込めて」
2008/12/10 16:00:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局
山形県立図書館の1階展示コーナーでは、「12月はこんな月−直江兼続とその時代−」特集が開催中です。
天下の智将「直江兼続」の60年の生涯が、同じ時代を生きた武将達の生き様とともに展示されています。2009年1月からの大河ドラマ「天地人」放映に先駆け、郷土資料から小説まで興味のもたれたところからご覧いただけるようになっています。

 山形県立図書館公式サイト
2008/12/10 09:00:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局
平成20年10月30日(日)、米沢市内において米沢市直江兼続マスコットキャラクター「かねたん」の誕生祭が開催されました。
当日は多くのゆるキャラ達がかねたんの誕生をお祝いしようと駆けつけてくれました。

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2008/12/09 17:00:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局
大河ドラマ「天地人」の主人公「直江兼続」の盟友といえば「石田三成」。
400年の時を越え、それぞれのマスコットキャラクターが米沢の地で再会を果たしました。

全国の皆さんから寄せられた「天地人応援メッセージ」が「いしだみつにゃん」から「かねたん」に伝えられています。名付けて「義と愛の手渡し書簡プロジェクト」です。

今年4月には、三成の軍師・島左近のキャラクター「しまさこにゃん」が「いしだみつにゃん」からの書状を携えて米沢へやってきました。
 関連記事:「しまさこにゃん」がやってきた

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2008/12/09 16:00:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局
ただいま「天地人博2009」前売入場券を発売しています。
発売期間は、「天地人博2009」が始まる前日の平成21年1月23日(金)までです。

 前売入場券:一般500円 (当日700円)
         学生300円 (当日500円)
         小・中学生150円 (当日300円)

「天地人博2009」の入場券は、前売券も当日券も全て「大河ドラマ特別展」(上杉博物館企画展示室)と「上杉博物館常設展示室」のどちらもご覧いただけるセット券になっています。
詳しくは、「天地人博2009」公式サイト≪入場料について≫からご確認ください。

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2008/12/09 13:00:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局
大河ドラマ「天地人」の放送にあわせて、「天地人博2009」を山形県米沢市の伝国の杜(米沢市上杉博物館)において開催します。

出演者のパネルやドラマで使用された小道具・衣装を展示しながら「大河ドラマの世界」を解説していくほか、上杉博物館が誇る国内最大級の「上杉家・直江兼続コレクション」を展示して、兼続の実像に迫ります。

「天地人博2009」は、これまでに各ゆかりの地で開催された大河ドラマ特別展と比べても、質・量・会場の大きさ、ともに最大規模で展開していきます。多くの皆様のご来場をお待ちしております。

 米沢 愛と義のまち「天地人博2009」公式サイト

 会  期:平成21年1月24日(土)から平成22年1月11日(月)まで
 
 開催時間:午前9時〜午後5時(入場は午後4時30分まで)

 入場料金:普通入場券
        一般700円 学生500円 小・中学生300円
       団体入場券(20名以上)
        一般600円 学生400円 小・中学生200円

 主  催:天地人博2009実行委員会
       (大河ドラマ「天地人」米沢市推進協議会)
       (大河ドラマ「天地人」山形県推進協議会)

 共  催:米沢市上杉博物館

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2008/12/09 10:00:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局
平成20年12月1日からサービスが開始になったNHKオンデマンドの公式サイトにて、来年1月4日放送開始の大河ドラマ「天地人」特集が掲載されています。直江兼続役の妻夫木聡さんと上杉景勝役の北村一輝さんへのインタビューで、ドラマへの意気込みや撮影裏話が載っています。

 NHKオンデマンド公式サイトへ

このNHKオンデマンドの目玉番組としても「天地人」は期待されているようです。オープニングイベントには、妻夫木さんと北村さん、お船役の常盤貴子さんの3名が揃い踏みでした。

 NHKオンデマンドブログへ

また、今月のオススメには、あの「おしん」が選ばれていますよ!

...もっと詳しく
2008/12/08 17:00:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局
先日、大河ドラマ「天地人」の新たな出演者の発表が行われました。
 紹介記事:大河ドラマ「天地人」新たな出演者の発表について
その発表会見の模様が、NHKホームページから配信されております。

 NHKホームページ 「コレ見て!ムービー」 から動画配信元へ
  ※動画の視聴は期間限定になっております。
2008/12/08 16:30:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局
大河ドラマ「天地人」NHK公式サイトがオープンになりました。
妻夫木聡さんの甲冑姿がご覧いただけます。
テーマ曲も流れます。

大河ドラマ「天地人」NHK公式サイト
2008/12/04 09:00:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局
大河ドラマ「天地人」の放送開始まであと約1か月となり、撮影の状況や各事業についてのお問合せも事務局あてにいただいているところです。
そこで、各事業者の皆様に対する情報提供の機会として、大河ドラマ「天地人」山形県協議会と米沢市推進協議会とが協同し、関係事業説明会を開催することといたしました。
当日は、「天地人」関連事業の進捗状況等についてご説明いたしますので、ぜひご参加いただきたく、ご案内申し上げます。

 日 時 : 平成20年12月3日(水) 10:30〜12:00
 
 場 所 : 山形県庁 2階講堂(山形市松波2−8−1)

 対 象 : 村山地域の各市町、商工団体、観光団体の担当者、一般事業者等

 内 容 : 大河ドラマ「天地人」について(撮影状況等)
       山形県、米沢市の関連事業について(天地人博2009について)
       各種デザイン・ロゴ等の使用について
       質疑応答

 申込み : 不要です。直接会場までお越しください。

2008/12/02 11:30:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局
大河ドラマ「天地人」の放送開始まであと約1か月となり、撮影の状況や各事業についてのお問合せも事務局あてにいただいているところです。
そこで、各事業者の皆様に対する情報提供の機会として、大河ドラマ「天地人」山形県協議会と米沢市推進協議会とが協同し、関係事業説明会を開催することといたしました。
当日は、「天地人」関連事業の進捗状況等についてご説明いたしますので、ぜひご参加いただきたく、ご案内申し上げます。

 日 時 : 平成20年12月4日(木) 10:30〜12:00
 
 場 所 : 最上総合支庁 5階501会議室(新庄市金沢字大道上2034)

 対 象 : 最上地域の各市町村、商工団体、観光団体の担当者、一般事業者等

 内 容 : 大河ドラマ「天地人」について(撮影状況等)
       山形県、米沢市の関連事業について(天地人博2009について)
       各種デザイン・ロゴ等の使用について
       質疑応答

 申込み : 不要です。直接会場までお越しください。

2008/12/02 11:30:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局
大河ドラマ「天地人」の放送開始まであと約1か月となり、撮影の状況や各事業についてのお問合せも事務局あてにいただいているところです。
そこで、各事業者の皆様に対する情報提供の機会として、大河ドラマ「天地人」山形県協議会と米沢市推進協議会とが協同し、関係事業説明会を開催することといたしました。
当日は、「天地人」関連事業の進捗状況等についてご説明いたしますので、ぜひご参加いただきたく、ご案内申し上げます。

 日 時 : 平成20年12月4日(木) 13:30〜15:00
 
 場 所 : 庄内文化創造館響ホール 小ホール(庄内町余目字仲谷地280)

 対 象 : 庄内地域の各市町、商工団体、観光団体の担当者、一般事業者等

 内 容 : 大河ドラマ「天地人」について(撮影状況等)
       山形県、米沢市の関連事業について(天地人博2009について)
       各種デザイン・ロゴ等の使用について
       質疑応答

 申込み : 不要です。直接会場までお越しください。
2008/12/02 11:30:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局
 特別展示室では、現在上杉文華館「直江兼続の生涯」を開催しております。現在のテーマは「米沢の兼続」。今週末11月30日(日)で今年の展示は終了となりますので、ぜひお見逃しなく。

なお12月1日〜25日の期間は上杉文華館(国宝「上杉本洛中洛外図屏風」(複製)・国宝上杉家文書の展示)はご覧いただけません。

 そして来年1月24日(土)からはいよいよ大河ドラマ「天地人」関連事業「天地人博2009」を開催します。ご期待ください

上杉文華館「直江兼続の生涯」展覧会情報
展示期間 〜11月30日
料金 一般400円(320円) 高大生200円(140円) 小中生100円(60円)
   ※()内は20名様以上の団体料金
お問い合わせ 米沢市上杉博物館 0238-26-8001


2008/11/28 17:21:Copyright (C) 伝国の杜 情報BLOG
やまがた発!旅の見聞録
毎週土曜日に放送されている「やまがた発!旅の見聞録」にて、「天地人」ゆかりの地・米沢が取り上げられます。
レポーターの木之元亮さんが米沢を訪ね、直江兼続の面影を辿ります。上杉神社では兼続のシンボル・愛の兜とご対面。マスコットキャラクターの「かねたん」も登場して、ともに米沢市内を巡ります。

 放送局:山形放送(YBC)
 放送日時:平成20年11月29日(土) 午前9時25分〜午前9時40分
 テーマ:兼続の面影を求めて〜米沢市〜

夢未来 やまがたサンデー5
毎週日曜日放送の県政広報テレビ「夢未来 やまがたサンデー5」では、
「天地人」を契機とした県内のまちづくり・人づくりの取り組みが紹介されます。こちらにも「かねたん」が登場し、しっかりPRを行います。

 放送局:山形放送(YBC)
 放送日時:平成20年11月30日(日) 午後5時15分〜午後5時30分
 紹介地区:山形市本沢地区(長谷堂城址の整備を中心とした取組み)
       米沢市芳泉町(ウコギの生垣整備と町並み保存の取組み)
2008/11/28 15:00:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局

宮内館、宮内城、三桜城ともいい、慶長3年(1598)3月、上杉氏の国替えに伴い信州飯山の尾崎三郎左エ門尉重誉(兼続の母方の実家)が配置され、その後色部竜松丸(興三郎光長:兼続の妹婿)が城代となりました。
隣接する慶海山館は双松公園として整備され、6月はバラまつり(双松バラ園)が開催されます。

▼交通:JR赤湯駅から車で約10分
    フラワー長井線宮内駅から徒歩で約15分
    東北中央自動車道南陽高畠ICから車で約10分
▼駐車場:有り(無料) 大型バス・自家用車可
▼入場料:なし
▼主要時間:30分
▼トイレ利用可
▼問合せ:南陽市教育委員会社会教育課 TEL 0238−40−3211(観光については商工観光課)


2008/11/21 21:00:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局
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