:戦国観光やまがた情報局|山形おきたま観光協議会

戦国観光やまがた情報局
「かねたん」が「土曜スタジオパーク」出演!
「天地人」収録中のスタジオにかねたんが訪問!兼続役の妻夫木聡さんやお船役の常盤貴子さんを激励。
その様子が3月14日放送の「土曜スタジオパーク」(午後2時〜)で紹介されます!
ちなみにかねたんは妻夫木さんとは1月24日米沢でお会いして以来の再会。常盤さんとは初対面です。

土曜スタジオパークのホームページ

http://www.nhk.or.jp/dosta/next/index.html
2009/03/10 00:22:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局
【楯岡甲斐守光直/たておかかいのかみあきなお】 〜兄・義光のために祈った〜
   
 「立石寺の薬師様の御前に、鰐口一箇を寄進します。そのわけは、出羽の国守、義光公の寿命が長く息災にて、文武ともに久しく発展するよう祈願するものです。」
 慶長13年(1608)10月26日の銘がある巨大な鰐口には、このような内容の漢文がしっかりと刻みつけられている。願主は「山形甲斐守源光直」、義光の弟の祈りのことばである。
 光直は一門の家老として、楯岡城主、1万6千石を与えられていた。
 この年の前後から、最上義光の領国内は、明るい発展のムードがみなぎってくる。
 山形専称寺、宝幢寺、鶴岡極楽寺には京都の「天下一道仁」の鋳造した鐘が納められ、羽黒山の五重塔や慈恩寺の三重塔が落成し、加茂の港は整備され、鶴岡三日町にはじめて橋がかけられ……と、出羽は新たな時代へと変わっていく。
 華やかな桃山文化が、ここ出羽の国につぎつぎと移入され、うつくしく花を開かせはじめていた。
 光直だけでなく、最上家の重臣たちもきそって、寺院や神社に土地、建物や美術品などを寄進して、領内の平和と発展を祈願した。
 この鰐口は、そのころの様子を物語る貴重な史料の一つであり、現在は立石寺の宝物として県文化財の指定を受けている。
 だが、最上家の繁栄を願った光直の祈りもむなしく、1622年(元和8)最上家はわずか一万石で近江に移されてしまう。
 光直は、幕府の命令で山形を離れ、九州小倉城主細川忠利に預けられることとなった。
忠利は、江戸から国もとの家臣にあてて、わざわざ手紙を書いた。(『細川実記』)
 「甲斐守が小倉に着きしだい、百人分の手当てをせよ。宿舎はしばらくは寺をあてるように。家は自分がそちらに行ってから申し付ける。……家来を百二、三十人も連れているのだから、その心得をするように」
 奥羽の雄藩、最上家の改易は、諸大名にとって大きな驚きであったのだろう。手紙につづけて、「光直ハ最上義守ノ次男ニテ、義光ノ弟、其姉ハ伊達政宗ノ母堂ナリ」と注があるが、そういう人物を預かるのはやはり大変なことと受けとめられていたのである。
 光直はやがて出家して「哲齋」と号し、七年後の寛永6年(1629)5月21日に病没する。年齢は65歳、71歳、二つの説がある。
 近くの柳川(福岡県)には、最上家後継ぎ問題で対立した一族の松根光広が住んでいたはずだが、顔を合わせる機会もなかっただろうと思われる。
 光直の子孫は、細川家が熊本に移ったのちも千石を与えられ、代々同家に仕えて明治維新を迎えた。
■■片桐繁雄著
2009/03/08 18:09:Copyright (C) 最上義光歴史館
天童商工会議所の主催で、下記のとおりセミナーが開催されます。ドラマの序盤は越後の国が舞台ですが、後半は出羽の国が舞台になります。ぜひぜひ皆様ご参加ください。

■日 時  平成21年3月4日(水)午後1時30分〜午後3時30分

■場 所  天童温泉協同組合 2階会議室

■参加料  無 料

■内 容  テーマ「大河ドラマ天地人にみる戦国時代の出羽の国の歴史」
       講 師 片桐繁雄氏(上山市立図書館 館長)

■主 催  天童商工会議所観光部

■申込先  天童商工会議所
 TEL:023−654−3511、FAX:023−654−7481
2009/03/02 20:00:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局

 
更新がおくれてしまい、ご覧いただいている方には大変申し訳なく思っております。

「米沢 愛と義のまち 天地人博2009」「天地人コレクション」コーナーではテーマに沿って直江兼続に関する文化財を紹介しております。現在のテーマは「危機への対応」(3月20日迄)景勝率いる上杉家が天下統一を目指す織田信長軍に苦戦を強いられていく中で、直江兼続が前線との連絡の要に位置づけられ、次第に上杉家中を統括する第一歩を踏み出していく姿を紹介します。またこのような活動が展開した信濃(現在の長野県)情勢を真田昌幸を通して、また中央の情勢もあわせて紹介します。
 
真田昌幸所用と伝わる甲冑「啄木糸威伊予札胴具足(上田市立博物館所蔵)」、秀吉と柴田勝家の賤ヶ岳の戦いを描いた「賤ヶ岳合戦図屏風(馬の博物館所蔵)」など、今回も米沢ではなかなか見ることのできない文化財を展示しております。また国宝「上杉本洛中洛外図屏風」複製は引き続き展示中です。

今回のテーマは大河ドラマでも丁度これから登場してくる時代です。その点も含めて是非お見逃しなく。
 

2009/02/27 13:09:Copyright (C) 伝国の杜 情報BLOG
 各新聞やテレビでも紹介されましたが、「米沢 愛と義のまち 天地人博2009」は、お陰様で先日2月11日(水・祝)に1万人目のお客様をお迎えすることができました。この日は展示室入口でセレモニーを開き、めでたく1万人目となられた東京都町田市よりおこしのご夫婦へ記念品を贈らせていただきました。

 これからもさらに多くのお客様をお迎えできるよう、職員一同がんばってまいります。

2009/02/14 10:58:Copyright (C) 伝国の杜 情報BLOG
楽天トラベルにて、山形には「愛」がある!「ロマンチックな愛に出会う旅」特集ページを開設中です。
見どころや美味しいもの、おすすめの温泉を2泊3日のコースでご案内しています。ぜひ旅のご参考にご覧ください。
 楽天トラベル:http://travel.rakuten.co.jp/movement/yamagata/200901/
2009/02/10 13:00:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局
県政テレビ「週刊やまがたWALKER!」において、開幕した「天地人博2009」の様子が紹介されます。是非ご覧ください。

放送局:テレビユー山形(TUY)
番組名:週刊やまがたWALKER!
放送日時:平成21年2月12日(木) 午後7時54分〜午後8時
2009/02/09 13:00:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局


「米沢 愛と義のまち 天地人博2009」はNHK大河ドラマ「天地人」の中で描かれる直江兼続と、ゆかりの文化財を通して史実における直江兼続の2つの世界を知っていただくことができる展示内容となっております。
 
現在も様々な地域より、多くのお客様にいらしていただいております。横浜からいらした60代の男性の方からは「大河ドラマの登場人物一人一人について、わかりやすく解説されていてよい」というお言葉をいただきました。お隣は福島市からいらした60代のご夫婦からは「直江兼続について興味を深めることができてよい。周りに歴史好きな友達が多いので今度は一緒にきたい。」というお言葉をいただきました。どちらも大変ありがたいお言葉です。

会期中〔来年1月11日(月)まで〕は無休で開館いたします。是非多くのお客様からのご来館お待しております。

展覧会情報 
開館時間 9:00〜17:00(入館は16:30まで)             
 料金 一般700円 学生500円 小中学生300円
お問い合わせ 米沢市上杉博物館 0238−26−8001

お知らせ
2月14日(土)〜15日(日)の上杉雪燈籠祭り開催期間中は、伝国の杜駐車場はご利用いただくことができません。詳しくはこちらをご覧ください。

2009/02/06 17:17:Copyright (C) 伝国の杜 情報BLOG



 
「米沢 愛と義のまち 天地人博2009」「天地人コレクション」では兼続が目にし、また手にしたと思われる文化財、兼続の生きた時代から後の時代に書き写されて今に伝わる文化財を通して、兼続の時代を紹介しております。

出陣中(関東といわれる)の謙信に景勝がお守りを送ったことに感謝した謙信の書状が残っています。景勝はお守りに手紙を書いて付けたのでしょう。この書状のなかで謙信は景勝の文字が上達したことをほめており、さらに「手本」を送ったことを追伸に記しています。この時に送った手本とはいえませんが、謙信が景勝に贈ったとされる手本3点が当館所蔵の国宝「上杉家文書」の中に伝わっています(画像)。この手本から謙信が景勝の教育に取り組む姿が想像できます。

この手本3点は2月20日(金)まで「天地人コレクション」のコーナーにて展示しております。
 
また、大河ドラマに登場し、現在注目されている国宝「上杉本洛中洛外図屏風」複製を展示しております。

 是非当館へ、謙信・景勝・そして兼続ゆかりの文化財を見においでください。

お知らせ
2月14日(土)〜15日(日)の上杉雪燈籠祭り開催期間中は、伝国の杜駐車場はご利用いただくことができません。詳しくはこちらをご覧ください。

2009/02/05 16:53:Copyright (C) 伝国の杜 情報BLOG
大河ドラマをPRする天地人ギャラリーが開催されていますので、是非ご覧ください。

■展示期間
  平成21年2月2日(月)〜2月27日(金)

■展示場所
  山形県庁1階ロビー 県政発信ギャラリー

■主  催
  大河ドラマ「天地人」山形県推進協議会
  NHK山形放送局

■展示構成
○パネル等
 ・NHK大河ドラマ関連PRパネル
 ・県内ゆかりの地紹介ポスター
 ・最上義光・長谷堂合戦紹介ポスター
 ・長谷堂合戦・朝日軍道立体図(鳥瞰図)パネル
 ・県協議会制作天地人関連ポスター

○のぼり等
 ・県協議会制作天地人のぼり
 ・NHK制作天地人のぼり
 ・県協議会制作ミニのぼり

○パンフレット等
 ・ミニガイド、米沢市直江兼続青ガイド、ステラ抜刷り、かねたんマップ、
 ・山形市西部マップ、畑谷紹介パンフ、天地人博チラシ

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2009/02/03 11:00:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局
上杉雪灯篭まつり会場にある上杉博物館では
現在、大河ドラマ天地人の放送にあわせて
天地人博2009が開催されております。
上杉雪灯篭まつり期間は、天地人博2009の開館時間が
下記のとおり延長されます。
2月13日(金)        9:00〜19:30(最終入場19:00)
2月14日(土)・15日(日) 9:00〜21:00(最終入場20:30)

また、上杉雪灯篭まつり会場行きのシャトルバスを
ご利用になると特典として、14日と15日の2日間限り、
天地人博の入場券を100円引きでお買い求め
いただけます!(入場券は2月16日以降もお使いいただけます)。
雪灯篭と一緒に天地人博2009をぜひお楽しみください!

※14日・15日は会場周辺に駐車場がありませんので、
米沢駅・米沢市役所・置賜総合支庁からのシャトルバスを
ご利用ください。

天地人に関する詳細は、天地人博HP
http://www.yonezawa-naoe.com/index.html
をご覧下さい。
2009/01/30 23:11:Copyright (C) 上杉雪灯篭まつり公式サイト
米沢市直江兼続マスコットキャラクター
かねたんが絵本になりました!
1月30日より販売開始!

かねたんの生みの親である、おかのさん書き下ろしの、
かねたん絵本!
いろんなかねたんに出会えます。
新しいキャラクターも登場し、可愛すぎる一冊です。

かねたんの1日を、こっそりのぞいてみませんか?

「この笑顔を見ていると、なんだか涙が出ました・・」
天地人推進室スタッフ談
「かねたんに会いに米沢に来てください!」
観光協会スタッフ談

書店でお買い求めできます。
米沢では、天地人博会場の上杉博物館
米沢観光物産協会でも販売中

「かねたんのいちにち」
著者 おかのあき
監修 米沢市役所総合政策課・社団法人米沢観光物産協会
定価 900円(税込)
こちらはかねたん絵本のCMです!ウェッジホールディングス・ブレインナビ製作
発行所 株式会社ウェッジホールディングス
発売元 株式会社文苑堂

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2009/01/30 13:37:Copyright (C) 米沢観光コンベンション協会
直江兼続ゆかりの地・米沢
天地人博・泊パック!
米沢牛または米沢鯉を専門店でご夕食
市内宿泊でお一人様お得な10,000円!

さらに特典!
天地人博チケットが割引価格で購入できます!
一般700円→500円でお求めできます!
学生500円→300円
小中学生300円→150円

期間は平成21年1月24日から平成22年1月11日

市内のホテル・旅館に宿泊
ご夕食は市内の米沢牛・米沢鯉の専門店
ぜひ美味しい米沢牛・米沢鯉を食べて
天地人博を楽しんでみてはいかがでしょうか?

PDFファイルにてダウンロード印刷できます。
天地人博・泊パックPDFファイル

郵送をご希望の方はお送りさせていただきますので
ご連絡いただきたいと存じます。

パックのお申込み方法
ご希望の宿泊施設までお電話で
2日前までお申込みください。
お食事処のお申込みも同時にお伝えください。
※現金のみのお取り扱いとなります。

=会津・米沢地域観光圏整備事業=
発行/社団法人米沢観光物産協会
〒992-0052
米沢市丸の内1−3−60
電話0238−27−1390

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2009/01/30 08:36:Copyright (C) 米沢観光コンベンション協会
「天地人博2009」オープニングイベントにお越しいただいた、妻夫木聡さんと北村一輝さんが、NHK土曜スタジオパークの番組紹介コーナー「まるNフラッシュ」に登場です。

 放送局:NHK総合/デジタル総合 「土曜スタジオパーク」
 放送日時:平成21年1月31日(土) 午後2時〜午後3時
 コーナー:「まるNフラッシュ」
        妻夫木聡&北村一輝「天地人博2009」トークショーに出陣!
2009/01/29 12:00:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局
【山野辺義忠/やまのべよしただ】 〜水戸徳川家の重鎮となった〜   

 最上義光が巨大な人物だったことは言うまでもないが、その血を分けた息子たちのなかにも、非常にすぐれた人物がいた。
 四男山野辺義忠(改名前は光茂)は、その筆頭に挙げることができるだろう。
 天正16年(1588)生まれ。父義光43歳であった。
 幼名を比治利丸(ひじりまる)と称したという。義光のほかの子等同様、系図類には生母として「某氏」とあるだけだが、おそらくは正室大崎夫人の所生かと思われる。夫人は40歳に近かったのではあるまいか。
 義光の子供たちの生年を見ると、長男義康は1575年生まれ、松尾姫・78年、駒姫・81年、竹姫・84年、それにこの光茂は88年生まれ。異論はあるかもしれないが、14年間に生まれたこの5人を同腹としても矛盾はない。
 家親(義光没後、山形城主)と光氏(後清水城主、義親)は、ともに1582年(天正10)生まれで当然異母兄弟、駒姫とは1歳違いの弟に当たる。
 家親の実母は、慶長3年(1598)12月14日逝去「高月院殿妙慶禅定尼」と最上家過去帳に記載がある。光氏は天童夫人(天正10年10月12日没)の子らしく、彼の領した清水(現大蔵村)の興源院が母子の牌所となっている。
 これら七人の兄弟姉妹からずっと離れて、光茂とは11歳違いの五男光広(1599生、後上山城主)、六男大山光隆(1602生、後大山城主)、徳島で亡くなった女子(旧東根城主、後徳島藩家臣、里見親宜の妻)がいるが、この3人は義光の最後の妻となった、30歳ほど年下だった清水夫人の生した子ではあるまいか。
 さて、四男が義忠を名乗るようになった時期ははっきりしない。山形で見られる名乗りは「光茂」である。鶴岡市の高木家、松山町石川家の慶長年間と推定される文書や、山辺町専念寺、山形市千手堂吉祥院、朝日町大谷大行院の文書など、すべて「光茂」である。
 慶長5年の出羽合戦のときは、13歳の少年であったから、戦陣には加わらなかったと見え、水戸徳川家の『水府系纂巻第三十八』には「関原ノ證人ト為テ神君(徳川家康)ニ参リ静謐ノ後従五位下ニ叙シ右衛門大夫ニ任セラル」とある。人質として家康のもとに預けられたというわけだが、その折家康は「将来恐るべき怪童」と評したという。どこか並々ならぬ素質を具えていたのであろう。
 関ケ原戦後は山野辺家の名跡をつぎ、右衛門大夫を称し、1万9千300石を領した。山野辺は、山形の北西7キロメートルばかりの所にあり、本城を支える重要な城池であった。領地の範囲は、現在の山辺郷周辺の平野部と白鷹丘陵の山間地、及びその西の最上川が峡谷となって北流する五百川郷(現朝日町)を含む範囲だったらしく、最上家改易のとき接収された朝日町の八ツ沼城は「山野辺右衛門の内」と伊達文書に記載されている。
 15歳そこそこの少年でありながら重要な一城をあずかったのも、それなりの器量の持ち主だったからであろう。もちろん、すぐれた家臣団があってのことと推測される。伝承によると、光茂は現在の大石田町深堀で育ち、山野辺に入部するに際して連れてきたという、いわゆる「深堀三十六人衆」と称される人々が家臣団の中核をなしていた可能性もあるが、これについては今後の更なる検討が必要だろう。
 後藤禮三氏の研究をもとに、山野辺城主時代の業績を箇条書きにすれば次のようになる。
 1 山野辺城の拡張改修
 2 城下町の建設と市の開設
 3 釣樋堰の開鑿など灌漑治水事業
 4 神社仏閣の護持
 5 交通路の整備
 最上家改易(1622)までのおよそ20年、山野辺の青年城主としてこれらの事業を成し遂げ、城下町山野辺を小規模ながらも山形の衛星都市として完成させたのである。
 57万石の大大名となった奥羽の重鎮最上義光は、しばしば長期にわたって京都、江戸などに滞在しなければならなかった。そういうとき、留守をまもって領内政治を取り仕切ったのが、確かな史料があるわけではないが、近くに居城を持つ山野辺光茂ではなかったか。
 ともあれ、彼がすぐれた力量の持ち主だったことが、後にお家騒動の原因となったのは、まことに皮肉な巡り合わせであった。
 義光亡き後藩主となった兄・駿河守家親が元和3年(1617)3月に急病で亡くなると、その子源五郎家信が12歳で山形の主となる。家信は江戸生まれ、江戸育ち、全国有数の57万石の大封土と、大名クラスの重臣をはじめとする多数の家臣団を統治するには力不足だった。(以下、別項と重複することをお許し願いたい。)
 「義俊(当時は家信)若年にして国政を聴く事を得ず。しかのみならず常に酒色を好みて宴楽にふけり、家老これを諌むといえどもきかざるにより、家臣大半は叔父義忠(光茂)をして家督たらしめんことをねがう」と、『最上氏系図』(寛政重修家譜)は述べている。
 このとき、義忠は30歳であった。一族・家臣団の多くは、信望あつい彼に最上の未来を託そうとしたのだった。むろん、義忠自らも領内の最高権力者、責任者となって、出羽国を発展させることに、強い自信を持っていたに相違あるまい。重臣のほとんどが彼を推した。中心となったのが義光の弟楯岡甲斐守光直、千軍萬馬の勇将として知られる鮭延越前守秀綱。
 一方、これに強く反対し「家親の死は、楯岡らの陰謀による毒殺。源五郎家信こそ正統」と幕府に訴え出たのが、一族の老臣松根備前守光広であった。だが、幕府はこれを無根の説と退けて、彼を九州柳川の立花家に預けた。そのうえで重臣たちを呼び出し「皆で最上家を守り立てよ」と説得したにもかかわらず、重臣の多くはこれを拒否した。
 最上のトップたる義忠が、並み居る幕府閣僚を前にして何を語ったかは知ることができないが、自己の主張信念を曲げることはなかっただろう。
 元和8年8月、最上家は改易となった。
 多くの家臣は禄を失って流浪するものが少なくなかった。
 このときに義忠は、岡山池田家に預けられた。ここで約12年を過ごし、寛永10年(1633)9月、三代将軍徳川家光じきじきの命令によって、水戸徳川家の家老として1万石で仕えることとなった。類まれな処遇というべきだろう。
 水戸藩主頼房は、やがて三男千代松(1628〜1700)の教導役を命じたそうである。
 非行少年と心配された千代松は、青年時代から急速に変貌をとげ、仁義の大道を歩むようになる。そうして、ついには名君・水戸光圀公と仰がれるようになるわけだが、その蔭には山野辺義忠の豊かな薫陶があったのであろう。
 頼房が没する(寛文元年/1661)と、光国(のち、圀に改む)が藩主となる。これを見届けたのち義忠は隠居して仏門に入り、道慶と号する。
 義忠の後を嗣いだ義堅は、光圀の妹である利津姫を妻に迎えている。その後も山野辺家は、幾度か主家と縁組を重ねている。改易のとき九州細川家に預けられた楯岡甲斐守光直の孫が、山野辺家の養子となったという奇しき因縁もある。最上義光の血筋は、こうして水戸徳川家を支える名門として伝えられたのである。
 茨城県那珂市にある常福寺は、水戸徳川家の菩提寺で、浄土宗の名刹として知られている。境内の入り口には、山野辺家の墓所がある。巨大な五輪塔が四基立ち並んでおり、右端が義忠の供養塔である。牌記は「良源院殿前堅門貞誉松座道慶大居士」。
 山形にも、山野辺家にゆかりある小堂がある。
 立石寺奥の院近く、中性院前にある「最上義光公霊屋」がそれである。
 これを建立したのは、たぶん山野辺義忠であろう。年次不明6月晦日の千手院別当あての光茂書状に「今度山寺にて玉屋(霊屋)直し申し付け……」とあるが、これは義光没後まもないころに建てた霊屋が破損したので、修理するよう手配したものであろう。
 また、館林市に伝わる『山形風流松木枕』には「宝暦十三年(一七六三)二月七日に、義光公百五十年忌、この御子孫(義忠の子孫)より御弔いあり」という記事があるが、これはたぶん山寺の霊屋のことであろう。水戸に移ってから百五十年たった後にも、山野辺家は先祖のふるさと山形との縁を大切にしていたのである。もっとも、この年は義忠の百年忌にもあたっていたので、その供養も兼ねたのかもしれない。
 霊屋内には、義光・家親二代の位牌を中に、山野辺義忠親子三人の位牌も納められている。義忠の牌記は次のとおり。
 「義光次男従五位上 山野辺右衛門太(ママ)夫義忠 寛文四天極月十四日午ノ上刻」
 「次男」は誤記かどうか。正室が生んだ男子としては、次男に当たるという意味か。
寛文四年は1664年。「極月」は12月。午ノ上刻は正午少し前ごろ。77歳、堂々たる生涯であった。
 東根家に嫁いだ腹ちがいの妹が、遠い徳島で亡くなったのは同年8月のことだが、お互いにそういう事実を知ることができたのだろうか。
■■片桐繁雄著
2009/01/29 09:25:Copyright (C) 最上義光歴史館
NHK山形放送局の夕方のニュース番組「やまがたニュースアイ」の中で、大河ドラマ「天地人」に出演されている、上杉謙信役の阿部寛さんと、直江兼続役の妻夫木聡さんへのインタビューの模様が放送されます。ぜひご覧ください。

 放送局:NHK山形放送局
 放送日時:平成21年1月28日(水) 午後6時10分〜午後7時
        上杉謙信役:阿部寛さんへのインタビュー

       平成21年1月29日(木) 午後6時10分〜午後7時
        直江兼続役:妻夫木聡さんへのインタビュー

...もっと詳しく
2009/01/28 14:00:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局


「米沢 愛と義のまち 天地人博2009」、展示室内「天地人コレクション」コーナーでは兼続が目にし、また手にしたと思われる文化財、兼続の生きた時代から後の時代に書き写されて今に伝わる文化財を通して、兼続や、その時代を紹介しております。

全12回のテーマを設けます。現在は2月20日(金)まで、「側近兼続」をテーマに展示を展開しております。上杉景勝・兼続の父樋口兼豊など兼続に関わりのある人物、また兼続に史料上に兼続が登場し始めたころの時代、そして兼続が上杉氏において台頭していくきっかけとなった「御館の乱」について、関連の文化財を通して紹介しています。

また、前回のNHK大河ドラマ「天地人」にも登場した、国宝「上杉本洛中洛外図屏風」の複製も同展示室にて展示しています。複製とはいえ見ごたえは十分です。

御来館おまちしております。

2009/01/27 13:33:Copyright (C) 伝国の杜 情報BLOG


先日1月24日(土)、「米沢 愛と義のまち 天地人博2009」が開幕しました。当日は伝国の杜前にて妻夫木聡さん・北村一輝さんをお迎えしてオープニングイベントが開催され、お二人の登場時には、米沢じゅうに響き渡るぐらいの大きな黄色い歓声がわきあがっていました。

 展示の方も初日から本当に多くのお客様にご覧いただき、好スタートを切ることができました。第一号のお客様は地元米沢の男性の方で、「天地人博2009」に期待することは?と質問したところ、「この盛り上がりを一過性のものでなく、今後も米沢の観光が盛り上がることに繋がっていって欲しい」という声をいただきました。お子様連れで、地元からいらした男性のお客様からは「これから子供達の世代まで直江兼続という人物が伝えられていくきっかけになってほしい」といっていただきました。「天地人博2009」はまだ始まったばかり。これからも多くのお客様に喜んでいただける展覧会となるよう、職員一同がんばりますのでよろしくお願いします。

展覧会情報 
開館時間 9:00〜17:00(入館は16:30まで) 会期中は年中無休             
料金 一般700円 学生500円 小中学生300円
お問い合わせ 米沢市上杉博物館 0238−26−8001
2009/01/27 09:04:Copyright (C) 伝国の杜 情報BLOG
平成21年1月31日(土)に、万世コミュニティーセンターでは、使用済みてんぷら油を使ってろうそくづくりをします。
 あなたも是非、上杉雪灯篭まつりにろうそくを作って参加しませんか?なお、概要等は次の通りです。

1 概要 
2 申込用紙
3 問合せ先
  置賜総合支庁 環境課 0238−26−6035
  米沢市 環境生活課  0238−22−5111(内線3302)
2009/01/26 11:59:Copyright (C) 上杉雪灯篭まつり公式サイト
米沢市上杉博物館にて開催の「米沢 愛と義のまち 天地人博2009」本日午前9:00よりオープンです。御来館お待ちしております。

※なおイベントの関係で本日午前10:30〜11:30の間は、伝国の杜への入場ができません。御注意下さい。
2009/01/24 07:47:Copyright (C) 伝国の杜 情報BLOG
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