戦国観光やまがた情報局|山形おきたま観光協議会

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戦国観光やまがた情報局|山形おきたま観光協議会

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戦国観光やまがた情報局
ちょっと回りから出遅れた感はありますが・・・。
『けーじろー』の紹介をしますです。はい。
米沢市『前田慶次』マスコットキャラクターとして、2月14日の上杉雪灯篭まつりの会場でお披露目しました。そして、戦国の杜では【かねたん&けーじろー】をマスコットキャラクターとして展開します。
かわいいキャラを作ってくれた『かねたん』の生み親の岡野さん、�螢�レヨンマキさんにはホント感謝です。
ただ今、市役所1階市民ホールにパネルを展示中です。(3/15まで)
2010/03/04 12:21:Copyright (C) 戦国の杜STAFFブログ
4月17日に米沢の中心市街地ポポロ館1階に『戦国の杜 武士(もののふ)の時代』をオープンします。
戦国の杜は、「歴史を楽しむ」をコンセプトとし直江兼続、前田慶次の生きた戦国時代をテーマに、遊べる施設を目指します。
皆様に楽しんでいただくために日夜奔走しておりますのでお楽しみに。
これから、頻繁にブログアップしますのでよろしくお願いします!!
2010/03/03 20:45:Copyright (C) 戦国の杜STAFFブログ
最上家臣余録 〜知られざる最上家臣たちの姿〜 

【鮭延秀綱 (1)】

 本稿において、最初に取り上げる最上家家臣は「鮭延秀綱」である。
 鮭延秀綱は、最上家家臣の中でも比較的史料の残存状況がよい人物であると同時に、長谷堂合戦での活躍や、海音寺潮五郎『乞食大名』などの出版物で広く名前が流布している。
『最上義光分限帳』(注1)を見る限りでも「一、高壱万千五百石」と最上家内でも有数の知行地を、現在の真室川町周辺に領していた事が伺え、最上家領北方の押さえとして厚遇されていた人物であることが読み取れる人物だ。

 さて、本論を進める前に、鮭延氏に関する代表的な先行研究をいくつか紹介しておきたい。
本格的な鮭延氏研究の嚆矢としては、『増訂最上郡史』(注2)が挙げられるだろう。著者の嶺金太郎氏は大正年中に最上郷土史関係の書物をいくつか世に送り出しているようだが、その集大成ともいうべきものがこの『増訂最上郡史』である。『増訂最上郡史』は、基本的に文書史料・軍記物史料を中心的に用いた編年的な記述スタンスをとっている。鮭延氏に関しての記述を見ると、まず天正年間の周辺の小野寺・武藤そして最上との関係を描き出すことに力を注ぎ、その後最上家の動向に沿ってその改易までの最上郡、とりわけ鮭延について史料を分析・考察している。当時ではまだ未出の文書史料もあり、現在の研究段階から見れば疑問に思う点も少なくはないが、史料の収集のみならず、それを分析したという点において、それ以前に出版された郷土史関係出版物とは一線を画すものであった。
『増訂最上郡史』出版以前にも松井秀房氏『最上郡史』や鮭延瑞鳳氏『鮭延城記』等の郷土史出版物において同様な郷土史史料が扱われているが、『最上郡史』はあくまで収集・分類に終始したものであったらしく、『鮭延城記』は記述に疑問点が多いという問題を抱えている。

 昭和期の中頃になると県市町村史の出版が盛んになる。山形県内で出版された県市町村史の中でも、特に『山形県史』『山形市史』『新庄市史』『真室川町史』が鮭延についての記述に詳しい。内容的には『増訂最上郡史』の記述を押し進めた形の記述となっているが、新出の史料もあり、最上家という枠組の中で鮭延の動向を概観する状況が整った時期であるだろう。なお、『新庄市史』では「鮭延越前守侍分限帳」を用いて、鮭延氏の領国支配形態を探ろうとしている点が興味深い。

 個々の論文に関しては、粟野俊之氏『出羽国鮭延郷について ―鮭延氏関係史料の再検討― 』上・下(注3)が秀逸である。『山形県史』における中世最上地域の具体的な記述の欠如を踏まえて、最上地域の中でも史料の残存状況がよい鮭延郷をフィールドとして中世最上地域の考察をした論文である。上編では、その考察の前段階として鮭延氏関係史料の再検討を試み、とりわけ鮭延氏の出自に関する史料検討に力が注がれている。鮭延氏の成立に関する史料からは鮭延氏が近江佐々木氏を租とする決定的な証拠は見つけられず、また大正期に鮭延瑞鳳氏の手によって書かれた鮭延氏系図を始めとする鮭延氏の出自に関する史料は矛盾点が多く、基礎史料として扱うことは難しいと断じている。その上編を踏まえて、下編では南北朝・室町期から鮭延秀綱が最上氏に降る天正期までの鮭延郷、特に鮭延氏の動向を通観して問題点を拾い、鮭延氏の出自・最上入部時期・最上氏鮭延経略戦時の隣国陸奥大崎氏との関係を考察している。
 
奥山譽男氏「鮭延佐々木氏の成立について ―小野寺義道文書から―」(注4)も鮭延氏の成立について論じたものであるが、この論文においても史料の不足というジレンマは表れており、論者自身が「鮭延佐々木氏の成立に関する根本史料の無い現在、いろんな見方が許されるだろうし」と断りをつけた上での論述という形をとっている。『最上記』『奥羽永慶軍記』『奥羽軍談』などの軍記物史料と「小野寺遠江守書状」という限られた書状史料を用い、鮭延氏が佐々木家の数多い分流のどこから出て出羽に移り住んだのか、との論を積極的に展開しており、「もともと鮭延郷は小野寺氏の馬産地であった」と結論付けている。
 
松岡進氏「最上郡域における城館跡の類型論的考察」(注5)にも鮭延に関する記述が存在する。表題の通り最上地域の中世城館を類型論的に分類し、そこから最上地域における最上家の影響を読み取ることに主眼を置いた論文である。鮭延氏に関して、考古学的見地と歴史学的見地をすり合わせた考察を行った点は斬新な切り口と思われる。
 
小野寺彦次郎氏『中世の小野寺氏 ―その伝承と歴史』(注6)の中にも鮭延氏に関する記述が多少存在する。横手に割拠した小野寺氏に対して、鮭延氏は元々従属関係にあった故にその繋がりは深い。ゆえに、横手小野寺氏の動向を論じる上で切っても切り離せない間柄であるということで鮭延氏が取り上げられている。佐々木氏が小野寺氏を頼って下向し、鮭延郷に土着した時期についての解説や、永禄〜天正初期における鮭延・武藤・最上の動向について小野寺氏に主眼を据えた視点で論を展開しており、他の論文と違った着眼点から鮭延氏を論じている点は興味深い。
 
最上家改易後、鮭延秀綱が多くの陪臣達と共に「御預」となった佐倉藩土井家(後に古河へ転封)において、如何に遇されたかを追跡したのが小野末三氏(注7)である。最上家改易に関わる先行研究を参照しながら、鮭延が五千石という厚遇で土井家に仕官した背景やその後の陪臣の処遇などを紹介している。
 また氏は、同著において、鮭延のみならず他の最上家家臣が改易後どのように身を処したかを詳細に考証している。改易後の最上家旧臣団に関わる考察を行う場合の基礎文献として、高い評価をすべきであろう。
<続>


(注1) 『山形市史』最上家関係史料編。
(注2) 嶺金太郎『増訂最上郡史』(最上郡教育会・新庄市教育委員会 1972 原刊 1929)
(注3) 『山形県地域史研究』8・9号(山形県地域史研究協議会 1983)
(注4) 『同』23号 (同 1998)
(注5) 『さあべい』16号 (さあべい同人会 1999)
(注6) 小野寺彦次郎『中世の小野寺氏 ―その伝承と歴史』 (創栄出版 1993)
(注7) 小野末三『新稿 羽州最上家旧臣達の系譜 −再仕官への道程−』(最上義光歴史館 1998)


鮭延秀綱(2)へ→
2010/03/02 13:24:Copyright (C) 最上義光歴史館
【谷柏相模守/やがしわさがみのかみ】 〜畑谷合戦で勇戦した武人〜    

 具体的な地元史料は見つけられないが、他地方の事例から類推して言えば、室町時代(14〜16世紀)を通じて最上氏は多数の在地国人層を従属させてきたはずである。その多くは、おそらく荘園解体期から村落に居館を構え、農民を統率し、土地の名を苗字とする土豪たちだったと考えてよいだろう。
 最上氏分限帳などの文書、あるいは各地の伝承などから推察するに、志村、成沢、野辺沢、飯田、富並,牛房野などは上級家臣に組み込まれ、青柳、岩波、柏倉、渋江、下原、常明寺、成生などは、中級家臣グループとして位置づけられたかと思われる。
 谷柏氏(箭柏、弥柏、矢桐と書いた例もある)は、かなり大きな領地をもった豪族の家柄で、歴代「相模守」の称を許されたらしい。その何代目かの当主が、義光の家臣として外交・軍事で活躍したのである。
 天正2年(1574)。
 春から始まった最上家の内紛と、これに干渉して出兵した伊達輝宗軍との抗争を終結させるため、上山の南方、楢下・中山あたりで、和平交渉が始まった。9月1日から10日まで4回の会談に、最上を代表して出席した人物は、譜代の重臣氏家尾張守が二回、上山城主里見民部が一回。そして、同月10日の最終会談に臨んだのが、谷柏相模守だった。伊達側代表は、政宗の側近富塚孫兵衛であった。
 最上・伊達ともに満足できる条件を練り上げ、伊達軍を退かせようというのだから、大変な役目だった。交渉がまとまって、伊達軍は礼服着用、里見民部も手出しをしないと約束した。9月12日の午前、おりから降りだした秋雨の中を、輝宗軍は自領米沢へ帰っていった。一件落着である。
 このときの谷柏相模守の働きが、氏家尾張守の才覚や里見民部の最上家への忠節とともに民衆の記憶に残り、大きく変形されて民間の説話となったらしい。
 「上山城主満兼は、伊達輝宗の援軍を得て、最上義光と柏木山で戦って敗れた。輝宗の奥方が出てきて戦いを止めさせ、輝宗は帰ってしまった。それでも、山形に叛こうとする満兼を討とうと、最上側が画策する。氏家の策謀に従い、谷柏相模は里見民部としめしあわせて、満兼暗殺と城の乗っ取りを成功させた。その後の上山領の治安維持にも、谷柏相模は敏腕を発揮した」というのである。
 だが、『義光記』『羽陽軍記』その他に「柏木山合戦」として書き留められたこの話には信憑性がない。史実とは大きく食い違う。
 輝宗の妻(義姫。政宗の母)が仲裁したのは、天正16年(1588)である。対立したのは政宗と義光で、輝宗はすでに亡くなっていた。場所も上山の南、中山境である。上山地域はれっきとした最上領で、伊達・上山の連合などあるはずもなかった。『羽陽軍記』はこの合戦を天正7年9月としているが、これまた無根の説で、こうなると全体が作り話である可能性が大きい。
 推察するに、氏家、谷柏、里見ら3人が尽力して戦いを終結させた事実をもとに、架空の合戦譚が仕立てられたのであろう。16世紀、義守、義光の時代に、上山と山形が戦ったということ自体、確実な史料からは認められないのである。 
 次に、谷柏相模の奮戦が語られているのは、慶長5年(1600)出羽合戦のときである。以下、寛政諸家譜『最上系図』、『義光記』『奥羽永慶軍記』などの記事による。
 9月13日、畑谷城が直江兼続軍の猛攻撃にさらされていたとき、援軍として派遣されたのは、谷柏相模、飯田播磨、小国日向、富並忠兵衛、日野伊予らだった。
 ところが、援軍到着前に畑谷は落城する。山形の援兵はこれを聞いて引き返そうとしたが、谷柏と飯田はそれをさえぎり、
 「城は落ちても、残兵や領民がいる。早く行って彼らを救わねばならぬ」
と馬を進めた。手勢を率いて山道を急ぐと、敵兵に追われて、残兵や領民が必死に逃がれてくる。これを見て、飯田は谷柏に向かい、
 「この人々を、一人たりとも敵兵から捕らえられぬよう、山形へ連れ帰ってくれ。しばらくは、自分が敵を食い止めよう」
と言って、部下とともに雲霞のごとく寄せ来る敵勢の中に躍りこむ。すでに60歳を越えた老武者である。力戦奮闘することしばし。しかしながら、多勢に無勢、ついに力尽きて討ち死にしてしまう。
 それと知った谷柏は、せめて飯田の首なりとも奪い返さねば友情の甲斐もないと、部下に落人を護送するよう命じ、我が身は取って返し、群がる敵兵を蹴散らして戦い、ついに飯田の首を取り戻した。谷柏は友の首をひたたれに包んで、涙ながらに持ち帰ったという。 多くの軍記物語がほぼ一致して語り伝える有名な話で、もちろん、脚色はあるにしても、大筋は史実に近いのではあるまいか。
 さて、この勇者、谷柏相模守については、東大史料編纂所蔵『最上義光分限帳』に、次の記載がある。

 谷柏
  一、高四千石 八騎  鉄砲 十五挺  
    弓 四張  槍 四十八本        谷柏相模

 4千石は、最上家臣のなかでは上位20位ほど。その領地は、成沢分に入っていた黒沢村(430石余)を除く南山形地区全域であろうと思われる。
 寛永13年(1636)、山形藩主保科家が発した「上納一紙」によれば、松原、片谷地、谷柏、津金沢の石高合計は約4千200石となり、分限帳の石高にほぼ等しい。ただし、坂紀伊守光秀が長谷堂1万3千石を領するようになると、谷柏相模は他所で四千石の土地を支配することとなる。一時は長瀞城を預かったと伝えられるが、さだかでない。
 添え書きの「八騎」とは、戦いに際して谷柏氏に割り当てられた馬上武士の数で、これは村落の富裕な農民と見てよい。実戦では物頭、つまり指揮官となる。
 これに鉄砲衆15人、弓衆4人、槍衆48人、馬上を含め計75人を出すよう定められていたわけであるが、いざ出陣となれば、これだけでは済まなかった。
 馬上一騎には、4、5人の小者がつくのが普通だったから、谷柏相模の部隊は百人を上回る人数だったと考えてよい。
 日ごろは鍬・鎌を握って暮らした農民は、いざ戦いとなれば、刀や槍・鉄砲を手にして戦列に加わらねばならなかった。谷柏氏は最上家に従属しつつ、領内に住む農民層を支配し、村落の秩序を維持していたのである。
 谷柏氏の居館が地区内のどこかにあったはずだが、まだ確定されない。斯波兼頼、最上義守、義光らが尊崇したと伝えられる古社[甲箭神社]の付近か、古墳群のある岡のあたりか。いずれ歴史地理的、考古学的調査で判明するだろう。
 ところで、国立資料館所蔵「宝幢寺文書」の最上源五郎時代『分限帳』に、「谷柏」の名は記されていない。畑谷の戦いで奮闘してからおよそ20年ばかり後の文献であるから、その間に何らかの異変があって、国人豪族谷柏家は最上を去ってしまったのかもしれぬ。
 参考として、白石城主片倉氏家臣の諸系譜から、谷柏関係の記載を捜し出し、それらをつなぎあわせてみると、表のようになる。

表は>>こちら

見るとおり、最上氏麾下の谷柏・飯田・富並らの国人豪族(氏家はたぶん別)は、相互に縁戚関係があったことがわかる。氏家家に生まれた光直に、「谷柏の名跡を相続」と書き入れがあるところを見ると、この家は廃絶させるには惜しい名門と見られていたわけである。
 それにしても、義光の信頼を受けて、大きな働きを見せた谷柏相模と、その後継者たちは、いったいどこへ消え去ったのだろうか。
■■片桐繁雄著

2010/02/25 16:58:Copyright (C) 最上義光歴史館
最上家臣余録 〜知られざる最上家臣たちの姿〜 

【はじめに】

 十六世紀初期から十七世紀前半期にかけて情勢が激変する中で、地方大名が直面した問題や克服しなければならない状況がどのように変化したかを考えてゆく場合、その家臣が主家に及ぼした影響を追う考察の切り口は、一定の成果を期待できる方法論であると筆者は考えています。
 
 また近年、いわゆる「戦国ブーム」の中で、大名のみならず有名家臣の持つキャラクター性やエピソード等が注目されている事は見逃せない事実です。実例を挙げるならば、伊達家家臣の片倉景綱や上杉家家臣の前田利益は、ゲームやマンガ等様々なメディアに取り上げられて戦国ブームの牽引役となりましたし、上杉家家臣の直江兼続や武田家家臣の山本勘助は大河ドラマにもなって人気を博しました。戦国大名の有力家臣は、研究の題材としてのみではなく、観光資源として、あるいは生涯学習・歴史普及の一コンテンツとしても非常に優秀であるという位置づけができるのではないでしょうか。

 さて、最上家臣に関わる研究の現状に目を向けた時、大きな壁となって立ちはだかるのが「史料の残存状況」です。最上家は元和8年(1622)年に御家騒動を契機として57万石から1万石(後に5000石に減知)へと所領を削減された上で国替えされましたが、その際山形城に保管されていた書状・記録類の大部分は処分されてしまったと見え、現存していません。また、その際に家臣団も解散してしまったため、他家に仕えたりなどしてその後も存続した家臣に関わる史料はわずかながら残存しているものの、断絶した家の史料はほぼ散逸してしまいました。ゆえに、家臣個人を検討する場合においては、数少ない書状史料と二次・三次史料(軍記物史料など)を手がかりとして使うほかない現状にあります。

 端的に言うならば、「根本史料が決定的に不足している」のです。

 また、かかる状況が副次的に生み出した現象として、軍記物史料からのアプローチが、その人物の持つキャラクターイメージの大半を形作っている事は否めません(もちろんこれは最上家に限ったことではありませんが…)。最上家の有名家臣と言えば、「氏家守棟」「志村光安」「鮭延秀綱」などが挙げられましょうが、彼らとてそれは例外ではありません。例えば、志村光安は、

ソノ心剛ニシテ武威ノ名顕ワレ、然モ口才人ヲクジキ、イカナル強敵
トイヘドモ彼ニ逢ヒテハスナハチ降リヌ…(『奥羽永慶軍記』)

 と評価されています。また、慶長出羽合戦時に、長谷堂城の守将として数倍の上杉軍を相手取って半月間守り通した功績も近年かなり広く知られる事となったため、永慶軍記に記されているような「戦上手」「弁舌豊か」であるとの評価が共通認識として固まりつつあるように思われます。
 また、鮭延秀綱は、最上義光が勢力を北進させる過程で最上氏勢力下に加わった国人領主ですが、やはり長谷堂城の合戦での活躍や、最上家が改易されるきっかけとなった内紛において山野辺義忠を支持して家中に混乱を招いた人物である事がクローズアップされがちな現状にあります。

 筆者は、それが全ての面において悪い事だとは思いません。

 しかしながら、その人物が持っていたであろうキャラクター性が、「一般的評価」の裏に埋もれてしまっている事もまた否定できない事実なのです。

 そこで、本稿では、数少ないながらも残された書状史料を中心とし、軍記物史料や家譜等諸記録を補助的に用いながら、最上家有力家臣を再評価してみたく考えています。本稿が、僅かながらでも最上家研究の進展に寄与すれば幸いです。

■■執筆:内野 広一

2010/02/23 14:00:Copyright (C) 最上義光歴史館
米沢に新しいキャラクターが登場しました!
かぶきもの前田慶次のマスコットキャラクター
その名も「けーじろー」です!

とてもやんちゃな犬の男の子
いたずら大好き

チャームポイントは
前田のM字あごヒゲ
虎柄の陣羽織が自慢!

やんちゃな感じが出ていて
とてもかっこいいです!

このけーじろーは
かねたんとともに
米沢市に今年オープンする戦国の杜の
メインマスコットキャラクターになります。

これから、かねたん、かげっち、おせんちゃんと
一緒に大活躍してくれることでしょう!

みなさん、ぜひ応援してくださいね!
戦国の杜スタッフブログもございますので
ぜひご覧下さい。
戦国の杜スタッフブログ

...もっと詳しく
2010/02/18 23:13:Copyright (C) 米沢観光コンベンション協会
米沢市上杉博物館『天地人博2009』は2010年1月11日(月・祝)にて終了となりました。
大河ドラマ『天地人』の反響大きく、『天地人博2009』開催期間、県内・県外問わず多くの方々にご来館いただき、例に見ない大賑わいな年となりました!!
昨年は「天地人博2009」50万人突破と、当館創立から入場者100万人達成という1年間にいくつもの偉業を達成することが出来ました。
これもご来館下さった方、ご支援賜りました多くの方々によるものです。心より御礼申し上げます。
天地人博終了後も引き続き置賜の史実を後世に伝えていくべく更なる努力をしてまいりたいと思います。
これからも米沢市上杉博物館をよろしくお願いいたします!!

さて、さっそくですが次回のコレクション展は『米沢藩のお抱え絵師−目賀多家−』です。
米沢藩には「目賀多」という絵師がいた事が知られています。目賀多家は代々狩野派に学び、その技術をいかして米沢藩に仕えていました。目賀多家は南北の二家に分かれており、その系図には不明な点も少なくありません。しかし、残された資料からは絵師たちの興味深い日常をうかがい知ることが出来るのです。本展覧会では当館所蔵の作品と粉本から知られざる目賀多家の姿を紹介します。
 会 期:2010年1月30日(土)〜3月7日(日) 
 休館日:毎週月曜日(祝日の場合は翌日)
 入館料:一 般   200円(160円)        
     高・大学生 100円( 80円)
     小・中学生  50円( 40円)
    [常設展とのセット]
     一 般   400円(320円)
     高・大学生 200円(160円)
     小・中学生 100円( 80円) 
  ※( )内20名以上の団体料金 
 ギャラリートーク:1月30日(土)14:00〜  2月13日(土)14:00〜  
       解説 当館学芸員 沖田友紀
 ※当初予定と会期・ギャラリートークの日程が若干変更となりましたのでご注意ください。また、ギャラリートークは企画展示室内での開催となるため、お聞きいただくには企画展入館料が必要となります。

常設展示室内「上杉文華館」では、上杉本洛中洛外図屏風(複製)を展示しています。
 コレクショントーク:2月20日(土)14:00〜  3月20日(土)14:00〜
解説 主任学芸員 角屋由美子
 ※コレクショントークは常設展示室内での開催となるのでお聞きいただくには常設展入館料が必要となります。
 
ギャラリートーク・コレクショントークはどなたでも参加できます。ぜひ、聞きにいらしてください。    
 

2010/01/12 12:54:Copyright (C) 伝国の杜 情報BLOG
天地人博2009ファイナル!
1月9日〜11日に大感謝振舞い&抽選会開催!

いよいよ天地人博2009も来週11日を持ちまして
閉幕となります。
開催期間中は全国から50万人を超えるたくさんの
お客様にお越しいただき大変ありがとうございました。
その感謝の想いを込めまして、最後の3連休に
天地人博にいらっしゃった皆様へ、

「天地人博2009大感謝・米沢うまいもの振舞い&天地人抽選会」
を開催します。

日時 平成22年1月9日〜11日 9:00〜17:00(最終日16:30)
場所 伝国の杜前広場 特設テント内
対象 天地人博への御来場者
内容 米沢うまいもの(玉こんにゃく・甘酒・芋煮)の振舞い
    天地人グッズ抽選会
    かねたん・かげっちざま・おせんちゃん撮影会

これで見納めです。
あの天地人の感動と、史実の世界を堪能してください。
見ごたえある、天地人シアターと天地人コレクションも
皆様をお待ちしております。

まだ御覧になっていない方、前売入場券が眠っている方、
ぜひ最後の機会に天地人博へお越しくださいませ。

2010/01/04 11:20:Copyright (C) 米沢観光コンベンション協会
2010年元旦をいかがお過ごしですか?
伝国の杜置賜文化ホールから新春寄席のお知らせです。
日本テレビ系「笑点」大喜利でもおなじみの春風亭昇太独演会はもうすぐ。チケットはまだ余裕がありますが、良いお席はどうぞお早めにお求め下さい。ただいま伝国の杜、市内プレイガイドで好評発売中です。2010年の幕開けは伝国の杜置賜文化ホールから!

日時 1月14日(木)午後6時半開演
会場 伝国の杜置賜文化ホール(米沢市丸の内1-2-1)
料金 全席指定2,500円(当日3,000円)
問合 ��0238(26)2666
2010/01/01 11:19:Copyright (C) 伝国の杜 情報BLOG
現在、CR花の慶次のCMで米沢を中心として
前田慶次ゆかりの地が放送されており
大変嬉しい限りでございますが

そのnewginでは

戦国武将特別番組!
newginスペシャル
感動!戦国武将秘話
熱き男たちの友情列伝!を放送されるそうです!
12月28日(月)24時30分〜25時25分

前田慶次と直江兼続など、戦国の世にあって「美しい絆」を
見せた武将達の物語を美しい映像とともに紹介!

テレビ東京系列にて放送!残念ながら山形では見ることができませんが・・

テレビ東京、テレビ大阪、テレビ北海道、テレビ愛知
テレビ瀬戸内、テレビ九州
※放送されない地域がございます。

エピソード1
 前田慶次と直江兼続の「美しい絆」

エピソード2
 慶次と兼続の足跡を訪ねて
 
エピソード3
 石田三成と大谷吉継

詳細はこちら
http://www.newgin.co.jp/tokuban/

さらに、12月24日発売の
週刊新潮では
CR花の慶次広告特別企画を掲載!
前田慶次と直江兼続
戦国を代表する二人の風雲児の生き様
戦いと友愛に満ちた波乱万丈の物語を
漫画「花の慶次〜雲のかなたに」を中心とした歴史記述をもとに
読み切り小説仕立てのエンターテイメントとして紹介

その他
主要都市の通勤エリアで電車内ポスターを掲出
全国のホールにポスター掲載
その他CDショップやレンタルビデオ店などで
テレビCMをオンエア!

と、かなり力を入れてプロモーションをされております。
ぜひ皆様ご覧になって下さい!

http://www.newgin.co.jp/tokuban/
2009/12/27 12:20:Copyright (C) 米沢観光コンベンション協会
《部分展示替えをしました》 その一部を紹介します。

◆国宝「上杉家文書」直江兼続書状(当館所蔵)

息子景明の具合を心配し、湯治を勧めています。父としての兼続の姿が垣間見られますね(^^)
◆国宝「上杉家文書」上杉景勝書状・上杉景勝条書(当館所蔵)

景勝の遺言で毎年の命日の供養についてと景勝墓所の高野山における法要について指示したものです。

約1年間直江兼続をテーマに、さまざまな視点で展示を展開してまいりましたがいかがでしたか?
『天地人博2009』も残りわずか!みなさんお見逃し無く!!

2009/12/26 14:41:Copyright (C) 伝国の杜 情報BLOG
 山形県の歴史文化をもっと知りたい、広く学んでみたいとお考えの方を対象に、「山形県歴史文化講演会」(全4回)を開催します。
 今回は、県内4地域の文化や風土を育んだより大きな時代の枠組みである「藩」に着目し、それぞれの地域の歴史文化について学び、見つめ直す内容となっております。各回とも、募集人数に限りがありますので、お早めにお申込みください。

■対象者
 ・大河ドラマ「天地人」をきっかけに地元の歴史文化に興味を持った方
 ・山形県各地域の歴史文化について総合的に学びたい方
 ・観光ガイドとして必要な知識を身に付けたい方 など

■参加費  無 料

■主 催  大河ドラマ「天地人」山形県推進協議会

■日時・内容

 第1回 平成22年1月16日(土) 米沢市・伝国の杜 2階 大会議室
  時 間 13:30〜15:30
  テーマ 米沢藩 天地人時代〜上杉家・米沢藩政
  講 師 角屋由美子氏(上杉博物館主任学芸員)
  募集締切 平成22年1月13日(水)まで

 第2回 平成22年1月23日(土) 鶴岡市・鶴岡市勤労者会館 大会議室
  時 間 13:30〜15:30
  テーマ 庄内藩 天地人時代〜酒井家・庄内藩政
  講 師 本間勝喜氏(鶴岡市史編さん委員)
  募集締切 平成22年1月20日(水)まで

 第3回 平成22年1月24日(日) 新庄市・ゆめりあ 2階 会議室
  時 間 13:30〜15:30
  テーマ 新庄藩 天地人時代〜戸沢家・新庄藩政
  講 師 大友義助氏(最上地域史研究会会長)
  募集締切 平成22年1月20日(水)まで

 第4回 平成22年1月30日(土) 山形市霞城セントラル1階山形市観光案内センター会議室
  時 間 13:30〜15:30
  テーマ 山形藩 天地人時代〜山形城と山形歴代藩主・山形藩政
  講 師 齋藤 仁氏(山形市埋蔵文化財発掘調査員)
  募集締切 平成22年1月27日(水)まで

■募集人数  各回40名程度
          ※参加希望者多数の場合は、先着順にて締め切らせていただきます。

■申込方法
  電話、FAX、郵送または電子メールにて下記事務局までお申込ください。
  ※いただいた個人情報は、この講演会のみに使用し、その他には使用いたしません。

■申込・問合せ先
  大河ドラマ「天地人」山形県推進協議会事務局
  〒990-8570 山形市松波2−8−1 山形県観光振興課内
  TEL:023−630−2373 FAX:023−630−2097
  ※メールアドレスは申込書に記載
2009/12/18 19:00:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局
米沢上杉博物館『天地人博2009』は本日12月12日(土)になんと入館者50万人を突破しました!記念すべき50万人目のお客様は、宮城県仙台市愛子よりお越しのご家族。偶然ながらも『愛』の文字が入った『愛子』からお越しいただいたということで何らかの縁を感じます♪
記念品として『愛』の文字入りリンゴ等を贈らせていただきました(^▽^)
また、先着50人限定で「上杉籍田米」のお米と「サンふじ」リンゴを贈呈させていただきました。

50万人という沢山のお客様にご入館いただけたこと、大変嬉しく思います。

『天地人博2009』は残り1ヶ月をきりましたが、これからも職員一同がんばってまいりたいと思います。
2009/12/12 13:15:Copyright (C) 伝国の杜 情報BLOG
12月5日(土)からの天地人コレクションでは、『上杉家の安泰と兼続』をテーマとした展示をしています。

あっという間に今回が『天地人博2009』最後のテーマとなりました。
今回は、大名家としての上杉家を表す文化財や、景勝、兼続と周辺の人々、そして次世代を育てていく動向を示す文化財を展示しています。
展示の見どころは
 太刀 銘一(号姫鶴一文字)〔当館所蔵〕  附 黒漆合口打刀拵〔当館所蔵〕
 金梨子地龍竹雀紋蒔絵刀筒〔当館所蔵〕
 厩図屏風〔当館所蔵〕
を含め、ほかにも国宝「上杉家文書」〔当館所蔵〕も展示しており、見どころは満載です!最後まで見応えのある展示となっています。展示期間は1月11日(月・祝)まで!

米沢にお立ち寄りの際はぜひ『天地人博2009』をご覧ください。
2009/12/07 09:12:Copyright (C) 伝国の杜 情報BLOG
更新が大ーっ変遅くなってしまいました・・

12月4日(金)までの残り短い期間ではありますが、テーマ「江戸幕府と兼続」について話させて頂きたく思います。

1603年、徳川家康が江戸幕府を開くと、諸大名は江戸に参勤し、相次ぐ土木工事や有事における参陣などの大きな負担を課せられました。
このような実態と兼続の活動、幕府との関係、そしてその関係を円滑に維持していくのに大きな役割を果たした幕府の有力者本多氏との関係を示す資料を展示して、景勝や兼続による江戸時代を生き抜く上杉家の基盤づくりについて紹介していきます。

今回は、
 直江兼続書状をはじめとした国宝「上杉家文書」(当館所蔵)
 関ヶ原合戦で本多政重(直江勝吉)が着用したという甲冑「色々威二枚胴具足」(藩老本多蔵品館所蔵)
を展示しています。

今回のコレクション展ではその時代に生きた人の証を、”見て・感じて”頂きたいと思います。
自分もその時代に生きていた気持ちになって、一つ一つの展示を見ていくと面白いと思いますよ♪

また、上杉本洛中洛外図屏風(複製・当館所蔵)も展示しています。
複製ではありますが、こちらも見応え抜群です!!

約1年間にわたった大河ドラマ「天地人」は終局を迎えましたが、「天地人博」は次回12月5日(土)〜1月11日(月・祝)「上杉家の安泰と兼続」の展示を控えています。

天地人博をお見逃しなく!!


2009/11/28 16:42:Copyright (C) 伝国の杜 情報BLOG
朝日町エコミュージアム20周年記念事業として「朝日町の天地人」が開催されます。
慶長5年(1600)の慶長出羽合戦の際、上杉軍の別働隊が最上川沿いに進軍し、朝日町の鳥屋ヶ森城や八ッ沼城で戦いとなりました。

午前の部では、上杉軍の進軍ルートや八ッ沼城の構造を考察する歴史見学会が開催されます。
午後の部では、直江兼続が開削した「朝日軍道」に関する基調講演とパネルディスカッションが開催されます。
どうぞお出かけください。

■開催日:平成21年11月8日(日)

 午前の部:歴史見学会「朝日町の天地人」
  ▼時 間:午前9時〜午後12時30分
  ▼集合場所:朝日町エコミュージアムセンター「創遊館」2階会議室
  ▼参加費:500円
  ▼定 員:25名
  
 午後の部:基調講演「朝日軍道とエコミュージアム」
        パネルディスカッション「直江兼続が開いた朝日軍道」
  ▼時 間:午後1時30分〜午後4時
  ▼集合場所:朝日町教育研修センター(旧立木小学校)
  ▼参加費:無料 

...もっと詳しく
2009/11/05 17:20:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局
ぐるっと、米沢!史跡めぐり
米沢市内観光循環バス「ぐるよね号」が期間限定で運行します。
大河ドラマ「天地人」ゆかりの史跡を循環バスで巡ってみませんか。
1日乗車券があれば乗り降り自由です。

■運行日程(合計16日間)
  9/19(土)・20(日)・21(祝)・22(祝)・23(祝)・26(土)・27(日)
  10/3(土)・4(日)・10(土)11(日)・12(祝)・17(土)・18(日)・24(土)・25(日)

ご好評につき運行期間延長!
  10/31(土)・11/1(日)・3(祝)・7(土)・8(日)・14(土)・15(日)・21(土)・22(日)・23(祝)

■運行ルート
  札の辻⇒上杉家廟所⇒春日山林泉寺⇒笹野観音⇒直江石堤⇒堂森善光寺⇒宮坂考古館⇒米沢駅前⇒東光の酒蔵⇒札の辻
■運行時間
  午前10時〜午後5時25分
   (札の辻最終到着便は、臨時駐車場シャトルバス最終便に接続)
■運行本数
  1日14便 1周約60分 30分間隔で運行
■運賃
  1回乗車:200円(子供100円)
  1日乗車券:500円(子供250円)
   ※1日乗車券は当日の「ぐるよね号」のみ乗車可能です。山交バス、市民バスにはご乗車できません。
2009/10/29 15:30:Copyright (C) 戦国観光やまがた情報局
天地人博2009、米沢にお越しいただくお客様のために
交通ガイドブックが発行されました。

この1冊に駐車場、循環バス
観光バスの情報が記載されております。

ぜひご覧になっていただきご活用いただきたいと存じます。


米沢市内観光循環バス「ぐるよね号」
ご好評につき運行期間延長!
  10/31(土)
  11/1(日)・3(祝)
   7(土)・8(日)
  14(土)・15(日)
  21(土)・22(日)・23(祝)


PDFファイル
天地人博2009 交通ガイドブックPDF

...もっと詳しく
2009/10/28 20:23:Copyright (C) 米沢観光コンベンション協会
大河ドラマ天地人「愛」の芸文まつり
第2回 「愛」をテーマにした川柳全国公募!
募集要項

一般の部「天位賞」には
☆賞金5万円
☆副賞(米沢牛1万円相当)
※その他入賞も豪華副賞あり!

■募集期間 平成21年10月1日(木)〜12月15日(火)
      (当日消印有効)
■募集内容 あなたの素敵な「愛」をテーマにした川柳を募集

■応募規定 一般の部(高校生以上)
      ジュニアの部(小中学生)
     ハガキ、電子メール、米沢市芸術文化協会ホームページ
     内専用応募フォーム、携帯電話から応募。
     作品、〒住所、氏名(ふりがな必須。ペンネーム・雅号
     がある場合は記入)年齢、職業(学校名、学年)
     電話番号を明記。応募点数、制限なし。
     ※ただし、自作・未発表の作品に限ります。
■出品料  無料
■応募資格 不問
■選者   尾藤一泉
■賞    一般の部・・天位 1点=5万円 
              副賞(米沢牛肉1万円相当)
            地位 2点=1万円 他、協賛賞など
            人位 6点=5千円   〃
            入選 15点
    ジュニアの部・・天位 1点=図書カード5千円分 副賞あり
            地位 5点=図書カード3千円分  〃
            人位 15点=図書カード千円分  〃
■発表と表彰式  平成22年2月、上杉雪灯篭まつり期間中。
         ウェブサイト上でも発表。
■入選作の使用権の扱い
         応募作品の使用権は、
         米沢芸術文化協会「愛」の芸文まつりに帰属。
■応募先 〒992-0045 米沢市中央1−9−20(ポポロ4F)
           米沢市芸術文化協会
           「愛」の芸文まつり川柳係
           電話0238−22−7015
           (毎週水曜日はお休みです。)
     メールアドレス yngeibun@yacht.ocn.ne.jp
ホームページ  http://www9.ocn.ne.jp/~yngeibun
応募フォーム直通URL
http://my.formman.com/form/pc/aJEV6teKlBYH9Ijf/
■主催 米沢市芸術文化協会
■協賛 大河ドラマ「天地人」米沢市推進協議会
■後援 社団法人全日本川柳協会 米沢市 米沢市教育委員会

川柳とは?
主に五・七・五の十七音からなる短詩で、季語は含まなくてもよく
特に制約も無い。社会風刺や駄洒落、また人生の機微や人情に
いたるまで、自由に表現することができる。
2009/10/27 18:36:Copyright (C) 米沢観光コンベンション協会
慶長出羽合戦の褒賞としての名刀正宗
  
 現在、「正宗」在銘の大黒と号する短刀がある。これが最上義光が長谷堂合戦を主とする上杉勢との戦いの武功によって徳川家康から下賜されたものであると見なされる。
 それは『最上氏関係資料』に目を通していく過程で、この短刀に同定されると思われる記事が目に付く。先ずは『最上家譜』には、慶長六年(1601)四月に、前年の上杉との合戦の武功忠義による恩賞として、義光が家康から「正宗の御刀」を拝領している。また、「寛政重修諸家譜」の『最上氏系図』や『最上家伝覚書』にも同様の記事があり、その時下賜された品が「正宗の御脇差」であったと記している。
 このように、記録によって刀と脇差との表記上の相違が見られるが、義光が名刀正宗を拝領していることは確かである。しかし、刀と脇差二口の拝領は考えられないから、「刀」を誤記と見なし、「脇差」つまり今に言う短刀であったと解して差し支えないだろう。
 本刀は『埋忠押形』なる刀剣資料に、最上家所蔵として記載されているものである。この資料は、慶長(1596〜)から慶安(〜1652)にかけて、京都の金工家埋忠家(明寿・寿斎・明甫)が扱った刀剣金具類にまつわる刀身の押形、つまり現物の実写図である。


『埋忠押形』所載の最上家所蔵「正宗」の短刀

 この中心(茎)図には「正宗作」と三字銘があり、その両脇に「も加見(最上)殿 壽齋 慶長十三年八月ニかなく(金具)拵共ニ仕候」という記載がある。これによって、慶長十三年(1608)八月、埋忠寿斎が最上家から預かっていた正宗の短刀に、さまざまな金具類や拵を調製したことが窺える。なお、「おもて 新藤五によく似申し候」とあり、正宗の師の国光の直刃調に似ているといい、また「うら 焼き直しと申し候」とあるが、刃文を再び焼き直したとは見られないようである。
 拝領の正宗は、家康ゆかりの品として最上家の宝物の一つとなり、七年あまりを経て金具や拵を新調したのであろう。そして少なくとも、山形最上家が健在の間は本刀が献上品となったり、移動したりした形跡は窺えない。ところが、この正宗はいつの頃からか「大黒」を冠するようになり、譜代大名の堀田家が所蔵することになった。その後、明確な年代は定かでないが、昭和に入って民間人の手に渡り現在に至っている。
 「大黒」の号の由来は分からない。正宗の短刀の中では大ぶりであることは確かである。あるいは、七福神の一つ大黒天が福徳を招来する神であるという、信仰上の意味合いの呼称であろうか。ともあれ、この手の称号は、その時々の所有者や状況等によって割と単純に呼称され、それが独走してしまうような傾向は否めない。
 正宗は鎌倉時代末期(1310〜1330)に活躍した、相模国(神奈川県)鎌倉の刀工である。室町時代から名工として注目されてきたが、信長・秀吉・家康と時代が下がるにつれ、しだいにその名声が高まっていった。家康の遺品の分配台帳である『駿府御分物刀剣元帳』には、家康の遺品として十八口もの正宗が記載されている。中でも、有力大名からの献上品も目立っており、秀吉の時代より一段と正宗が重宝されていることが分かる。
 したがって、家康から拝領の正宗は、義光の勲功に対する最大級の返礼であったと見てよいだろう。ともかく、正宗となると、「正系の宗家(一族の中心となる本家)や嫡流」という意味合いも加わって、各大名家を中心に贈答用(献上品)としてだけでなく、守り刀や家宝として珍重されてきた。また、そのような評価の高さを反映して、江戸時代から現代に至る多くの刀工たちが、正宗を目指して作刀してきたのである。
 現存する正宗のうち、正真の在銘品は極めて少ない。管見によれば本刀の他に、短刀が四口、刀が一口を数えるのみである。あとは無銘の物を鑑定家本阿弥家が正宗と極めたものである。この本阿弥家もまた、正宗の評価を高めるのに一役買っていた。江戸時代には、真偽入り乱れて多くの正宗が存在したものと思われるが、鑑識眼の向上につれて淘汰されてきたのである。

■執筆:布施幸一(財団法人日本美術刀剣保存協会会員)「歴史館だより��16」より
2009/10/20 13:38:Copyright (C) 最上義光歴史館
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