戦国観光やまがた情報局|山形おきたま観光協議会

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戦国観光やまがた情報局|山形おきたま観光協議会

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TEL:0238-26-6046
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:戦国観光やまがた情報局|山形おきたま観光協議会

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戦国観光やまがた情報局
昨日の朝、吉祥寺の雲洞山月窓寺にてイベント開始前に撮影しました。
塀の外からも見えたんですが、イベント前にアップはちょっとね〜。
かなり迫力ありでした!(^^)!昨日の夜は、カフェゼノンの外にに置いてありました(^_^;)イタズラされないか心配でした。

2010/03/15 09:10:Copyright (C) 戦国の杜STAFFブログ
さきほど、吉祥寺カフェゼノンで行われたイベントです。
イヤーすごかった。KUNI-KENさんのロック三味線ライブ(エレキ三味線ってあるんすね〜)そして、マドンナのバックダンサーを務めたTAKAHIROさんの飛び入りダンス(これはすごかった〜ヤバいッス(*^^)v)最後の、米米CLUBのメンバーで石井竜也さんの妹のMINAKOさんのライブ(米米クラブ世代なもんで)ホントに久しぶりに楽しかった〜。見事な傾奇っぷりでした。席も近くてサイコー!(^^)!
・・・また、明日からがんばらねば(^_^;)
2010/03/15 00:03:Copyright (C) 戦国の杜STAFFブログ
ご挨拶したら頂いちゃいました(*^^)v
米沢の堂森善光寺で祈祷をうけた傾奇御免御守護!!
やった(^◇^)。コアミックスさんありがとうございます。
御守護の裏には、ちゃんと堂森善光寺の文字が!(^^)!

これから、かぶき祭スペシャルディナーライブに行ってきまーす。
2010/03/14 20:02:Copyright (C) 戦国の杜STAFFブログ
最上家臣余録 〜知られざる最上家臣たちの姿〜 


【鮭延秀綱 (3)】


 鮭延が、永禄の中頃から大宝寺武藤氏の強い影響力の元にいた事は前述した。その経歴から考えても、武藤氏及び庄内の国人と鮭延氏の間には、ある程度強い結びつきがあったようだ。義光が庄内へと勢力を伸張させようと目論んだ天正十(1582)年から天正十一(1583)年にかけた一連の軍事行動の準備段階として、鮭延は、庄内の有力国人衆へ対して調略を仕掛けている。下に挙げた書状は、鮭延が来次氏等に対して最上方に翻意するように勧めていた事が窺える書状である。

   自鮭延殿御音信被申上候間、御使今朝其表へ相送申候つる、
   定而参着可申哉、野拙処江も書状ヲ差越被申候、為可入御覧差挙
   申候、何共不聞得文書ニて候、以分別可致返章事難弁候間、
   當座之挨拶迄ニ而令返酬候、如何様近日中以参上、
   心事可申述候間、令省略候、恐々謹言、
     菊月廿一日     来次
                氏秀(花押影)
        砂越次郎殿
            御宿所 (注16)

 結果として、情勢は最上方優位に展開した。

   如翰計之、未令啓書候處ニ、急度之御到來祝着之至候、
   随而((這カ))定般鮭延へ、從庄中致亂入候条、
   彼口爲引立之勧騎之支度候キ、然處ニ白岩八郎四郎、
   大寳寺方へ以縁約之首尾、甚別心候条、爲退治向彼地令發向、
   先々属本意之形候、至春中者、清水・鮭延以相談、庄中可押詰候、
   雖無申迄候、於時者、爲引汲三庄境目へ可被責入事肝要候、
   毎事砂宗入道方へ及細書候条、不能腐書面候、恐々謹言、
     霜月廿五日     源義光(花押)
         謹上 下國殿 (注17)

 上の書状は義光が武藤氏を挟撃する為に下国(秋田)愛季と申し合わせた文書であるが、砂越氏が最上方についたと解釈できる記述が見られる。恐らく来次氏と共に寝返ったのであろう。どうやら、鮭延は調略を成功させたようだ。

 また、義光は、天正末〜慶長初期に平鹿・雄勝郡を領する小野寺氏へ対して幾度か軍勢を催しているが、そこでも鮭延秀綱は外交手腕を発揮したようだ。根本となる書状史料には欠けるが、

  湯沢落城の事 (注18)
   (前略) 鮭登思ひけるは、「関口も我に中違うて有けれども、
   何とぞして彼を語らひ味方となさば、山北を攻るに心安かるべし。」
   と、密に飛檄を以て是を語らふ。折ふし春道も小野寺に野心を
   挟めば何の異論もなく、一味をぞしたりける。夫より春道が
   計らひとして、西馬内肥前守茂道・山田民部少輔高道・
   柳田治兵衛尉・松岡越前守・深堀左馬の五人心替りして最上に組す。

 そもそも、鮭延氏(佐々木氏)は前述した通り小野寺氏の被官であった時期が長く、最上地域の他の領主に比べ小野寺氏と仙北国人衆への外交的繋がりは比べ物にならないほど強いものであった。義光は仙北の国人衆に対して揺さぶりをかけ、小野寺氏との関係において大方主導権を握っているが、鮭延も何らかの形でその調略戦に関与していたと考えるのが自然であろう。

 ともあれ、鮭延氏は最上義光の圧迫に屈してその家臣となったが、そこには、鮭延秀綱が果たすであろう役割に対する大きな期待感が最上義光の中に存在していたのである。事実、最上家参入直後における鮭延の立場は既に比較的高いものであった。前述の最上義光書状においても「清水・鮭延以相談、庄中可押詰候、」とあるように、最上地域における義光与党の重鎮的立場にいた清水氏と併記される扱いをうけている。まさにこれは、最上地域において清水氏に匹敵する勢力、あるいは立場を最上義光が認めていた証左となろう。また、天正十五年三月十三日発給とみられる瀧沢主膳正維助書状(注19)においても、秀綱は義光の腹心であり最上家中の中核にほど近い位置にいたと推測される志村伊豆守とほぼ同格に扱われている。最上家中において、秀綱は志村伊豆守と同等に扱われる立場を既に天正十五年の時点で築いていた事が見て取れるのだ。

 前記の通り庄内の国人衆や雄勝郡の国人領主を最上方につける事に成功した折衝手腕はもちろん、『奥羽永慶軍記』等の軍記物によれば、仙北侵攻時には一手の主将として小野寺勢を打ち破る等、槍働きにおいても最上家の勢力伸長に寄与したようである。もちろんその史料的性質から多少の誇張を含む記述と見るべきであろうが、ある程度評価には値するものであろう。義光の期待に、鮭延は存分に応える働きをしたようである。
<続>


(注16) 「筆濃余里所収文書」 十月二十一日付来次氏秀書状(『山形県史 史料編1』)
(注17) 「湊文書」 十一月二十五日付最上義光書状(『山形県史 史料編1』)
(注18) 『復刻 奥羽永慶軍記』(無明舎出版 2005)
(注19) 「筆濃余里所収文書」 三月十三日付瀧澤主膳正書状(『山形県史 史料編1』)


鮭延秀綱(4)へ→
2010/03/14 16:33:Copyright (C) 最上義光歴史館
いやーほんとにすごい。
街中がお祭り騒ぎです。まぁ〜米沢とは人の多さが違います。
いつも、十分の一でも米沢へと思いますが・・・(^_^;)
いい感じです。楽しく盛り上がること間違いなし!!
ぜひ、吉祥寺へ


2010/03/14 11:26:Copyright (C) 戦国の杜STAFFブログ
今日は、当市と歴史親善友好都市でもあり、天地人ゆかりの五市として連携をしている新潟県南魚沼市のイベントの紹介を。戦国楽市楽座でも共に参加しました。
『戦国EXPO』を4月11日から11月28日まで開催します。
豊富なコンテンツで皆さんを楽しませてくれること間違いなし!!
南魚沼市の勢いがハンパないッス。なんと明日プレイベントとして『侍戦隊シンケンジャー & 天装戦隊ゴセイジャー スーパーライブ』を開催・・・。南魚沼恐るべし!そして、みっ、見たい。
『戦国の杜』より一週間早くオープンしますので、ゼヒ米沢『戦国の杜』への御送客お願いします。戦国EXPO楽しみにしてます。


いざ出陣!!戦国EXPO

2010/03/13 11:10:Copyright (C) 戦国の杜STAFFブログ
今日は、ちょっとネタがないので・・・かねたんの話をひとつ。

かねたんは、大河ドラマ天地人が決定し2008年3月中旬より4月21日の期間でキャラクターを公募しました。全国各地から438点もの応募を頂き選ばれたのが『かねたん』なんです。産んでくれたのが岡野亜記さんで株式会社クレヨンマキさんって大阪の会社に勤めておられます。ホン〜トにお世話になってるんです。感謝!

そして、『かげっちさま』と『おせんちゃん』

またまた、この『けーじろー』と『戦国の杜』のロゴを(^O^)/

感謝!感謝!そのクレヨンマキさんのHPが楽しいのです。『戦国の杜』もた〜くさん!!
是非ご覧下さい。

クレヨンマキさんのHPです。
2010/03/12 22:04:Copyright (C) 戦国の杜STAFFブログ
3月5日に戦国の杜のチラシをこのブログに掲載しましたが、
裏面はないの?といった問い合わせをいただきました。

今日はそんな声にお答えして裏面をお見せいたします。
また、表面もPDFで再アップです。

裏面で実は活躍しているあの方やあの方をチェックしてみてください!!

○戦国の杜チラシ表面こちら
○戦国の杜チラシ裏面こちら
2010/03/11 20:59:Copyright (C) 戦国の杜STAFFブログ
今週末の日曜日3月14日に東京都武蔵野市吉祥寺にて『おまつり』が開催されます。
その名も『吉祥寺かぶき祭』!!前田慶次が催します。
いろんなイベントがあり、太夫(芸妓の最高位)が街を練り歩いたり、HANGRY&ANGRYや津軽三味線のライブがあったりと街中がステージとなります。ホントに楽しみ(^O^)/
そして、等身大の前田慶次もいらっしゃいます。当日おまつりに参加するつもりなので、吉祥寺のまちをブログで紹介します。
『吉祥寺かぶき祭』になる方はコチラ↓
http://www.coamix.co.jp/kabukifes/
2010/03/10 20:16:Copyright (C) 戦国の杜STAFFブログ
そろそろ、『戦国の杜』の内容の紹介をせねばとブログアップします。
第1弾 『戦国なりきりの陣』とは何ぞや!!とお思いの方がほとんどでしょうね。
これは、ただ甲冑を着て戦国武将の雰囲気を味わうものではなく、CG(コンピューターグラフィック)で作られた舞台の、登場人物の顔の部分に来館者の顔をはめ込み3DCGで再現します。そして、大型スクリーンに映し出し『戦国武将なりきり』の体験をしていただくものです。
簡単に言えば、【非日常的な空間で戦国武将に扮した自分の動画を大型スクリーンで見れて、記憶メディアを持ち帰れる。】全然伝えきれてないし、簡単でもないですねf^_^;
ウ〜ン・・・そういうことなんです。その背景舞台や料金については、詳細決定後アップいたします。
『戦国なりきりの陣』は、有料となりますm(__)m

ホントにがんばらねば。


2010/03/09 19:23:Copyright (C) 戦国の杜STAFFブログ
先日さいたまスーパーアリーナで行われた展示物です。
戦国楽市楽座のご当地武将エリアにあった陣羽織!!ホントに良いデザインですよね〜。カッコいい(^_-)-☆
伊達家所用と伝えられている『水玉模様陣羽織』の模造品です。明治時代の伊達家の宝物目録には「紫地羅背板五色乱星」と記されているようです!!
水玉でなく星だったなんて初めて知りました。
こんなカッコいいの展示できればなァ〜(>_<)
伊達政宗の生まれたこの地に・・・・。
4月20日より仙台市博物館で本物の展示がありますので、是非ご覧頂きたいと思います。
HPコチラ↓
http://www.city.sendai.jp/kyouiku/museum/
2010/03/09 12:43:Copyright (C) 戦国の杜STAFFブログ
アップ遅れましたf^_^;
昨日の報告の続きを・・・。
会場に戦国デジタルアトラクションっていうものがありまして、これはお客さんが戦国無双のどのキャラに似ていて、さらに何%似ているかっていう顔認証システムを利用したモノなのです。これが結構面白い v(^_^)v
他人がやっているの見てるのが楽しいんです。はい!
『エッ!この人がこのキャラ』なんて思って見てました。
自分は『毛利元就で89%』だそうです。うーん。。良いのかな〜?
2010/03/08 20:36:Copyright (C) 戦国の杜STAFFブログ
いや〜ホントに!みなさんに感謝です(*^_^*)スゴイ数のお客様にお越しいただき。
かねたんの人気にも驚きだし、戦国ブームに脱帽です。これから米沢は、みんなの期待に応えるべく始動します。もう、動き出している部分もありますが、ホントに楽しんでいただけるものにしたい・・・。ただ、それだけ!(^^)!
お越しいただき、ありがとうございました。
いろいろと楽しいコンテンツもありましたので後日報告します(*^^)v

2010/03/07 21:40:Copyright (C) 戦国の杜STAFFブログ
今日もここでPRとかねたんグッズ販売してます。
写真は、お客様少なめな感じだけどホントに多いんです(*^^)v
お昼ごはん食べれなかったんですから。
今日も、皆さんのお越しをお待ちしております。
お気軽にお声掛けください。今日も一日がんばります!!

そうだ、メインアリーナでやってる戦国武将祭!!すごかった〜。『GACKT』出た時の熱狂ぶりに、腰が引けちゃいました(*_*;
2010/03/07 08:07:Copyright (C) 戦国の杜STAFFブログ
いやいや、ホントにかねたん人気モノです。

今日も早めにブログアップしたかったんですけど・・・。楽しすぎて(*_*;

明日も、ブログアップしますからよろしくです。

関係ないけど、『北斗無双』恐るべしです。
2010/03/07 00:41:Copyright (C) 戦国の杜STAFFブログ
ホントにヤバいッス!!
楽しすぎる〜(#^.^#)

戦国楽市楽座も楽しすぎる!!!!!仕事忘れそうになりますが、PRもガンガンやってます。

かねたんもスンゴイ人気です。

明日も皆様のお越しをお待ちしております!
2010/03/07 00:33:Copyright (C) 戦国の杜STAFFブログ
ポスターもギリギリ間に合いました。真ん中下は、紺地日の丸イメージです。
会場のポポロ館、観光課に張り終え、駅の観光案内所「ASK」にも配付しました。
チラシもボチボチ配付しております。少々お待ちくださいませ。
明日は、『戦国楽市楽座』さいたまで皆さんのお越しを楽しみにお待ちしております。
合言葉は『武士(もののふ)の時代』ですよ。


2010/03/05 18:15:Copyright (C) 戦国の杜STAFFブログ
ようやっとチラシが完成しましたのでご報告します。
いや〜明日のイベントに間に合いました。ふゥ〜f^_^;
情報もちょっとは、掲載できました。これからドンドン情報お知らせできるように頑張ります。

【開催期間】 平成22年4月17日(土)〜平成24年3月まで
【営業時間】 AM10:00〜PM6:00
【入場料金】 基本的に無料です。(体験メニュー有料)
【会   場】 米沢市中心市街地
         ショッピングビルポポロ館1階

2010/03/05 12:49:Copyright (C) 戦国の杜STAFFブログ
今週末3月6日・7日さいたまスーパーアリーナ(コミュニティアリーナ)で【奥羽戦国観光連携会議】として出展し『戦国の杜』のPRと、かねたんグッズをた〜くさん販売します。
【奥羽戦国観光連携会議】とは、なんぞや?確かに!これは、宮城・福島・山形の3県で戦国時代、武将に特化し連携を行っている名称です。戦国無双とのタイアップポスターをやってます。
同じ施設で戦国武将祭を同時開催!!�螢魁璽─爾気鵑了望綺蚤腟蕕寮鏐颯ぅ戰鵐箸任后�

今回特別にレアポストカードを限定100枚!!ブースでサブタイトルの『武士(もののふ)の時代』と言って頂いたお客様に差し上げます。
かねたん・かげっちさま・おせんちゃんと一緒にお待ちしてま〜す。
2010/03/04 19:13:Copyright (C) 戦国の杜STAFFブログ
最上家臣余録 〜知られざる最上家臣たちの姿〜

【鮭延秀綱 (2)】

 本章では、鮭延秀綱が天正九年に最上家に降ってより後、最上家内での立場をどのように変化させていったかをテーマとして論を進めていく。
 なお、論述の重きを置くポイントとしては、比較的文書史料の残存状況が良好な天正期、鮭延の働きが顕著な仙北紛争期、南出羽に最上家勢力が確立した関ヶ原の戦後〜元和期の三つの段階に分けて検討していきたい。


1、天正期の鮭延秀綱

 最上地域(現在の最上地方)は、内陸から庄内、あるいは秋田へと続く交通の結節点であり、同時に南出羽の大動脈とも言うべき最上川を押える要地であった。また同時に、北に仙北小野寺氏、西に大宝寺武藤氏、南に最上氏と強大な三勢力がこの要衝を欲して干戈を交える地勢でもあった。そこに割拠した鮭延秀綱は、一体どのような意図の元に最上家勢力内に組み込まれていったのであろうか。
 
 鮭延氏は、元々仙北の領主小野寺氏の勢力下にいた。だが、鮭延秀綱の父貞綱が鮭延郷に移った大永・天文年間には、小野寺家中の内訌の影響もあって、鮭延氏に対する小野寺氏の影響力は薄れる一方であったようだ(注8)。しかし、その後鮭延氏は独立独歩の道を歩んだわけではない。他の中小規模国人領主の例にもれず、常に強大な勢力の影響を受ける立場にあった。秀綱が家督を継ぐ以前から、庄内の武藤氏は最上地方領有の望みを持って幾度も鮭延郷をはじめ最上地方の各郡へと兵力を繰り出している。特に大規模な戦いとなったのが永禄六年と同八年の侵攻である(注9)。その結果最上地方の大部分は武藤氏の手に帰し、鮭延氏も武藤氏の強い影響下に置かれていたようである。秀綱は当時幼少期であったが、『鮭延城記』に、「茲に又永禄六年の役典膳(秀綱の父貞綱)の次子源四郎當歳なりけるを荘内勢の為めに虜となり姨と共に彼地に於て養育せられるを〜」、『鮭延越前守系図』(注10)によれば、「永禄ノ役ニ荘内ニ虜トナリ彼地ニ成長シ幼ニシテ逃レテ城ニ皈リ主トナル、」とあり、秀綱は永禄六年の戦の結果人質として庄内に連れ去られたという記述がいくつか見える。
 この二つの資料は、あくまで明治後期〜大正期にかけて鮭延瑞鳳氏によって著述された郷土研究資料で、それ以上の価値を見出す事は難しい資料である(注11)為この記述がそのまま真実であるかどうかという事を断定はできない。だが、鮭延氏遺臣の著した『鮭延越前守公功績録』ではかなり念入りに鮭延源四郎(秀綱)が庄内にいた描写がなされており、興味をそそられる内容ではある(注12)。

 最上地方が武藤氏の勢力圏となったことを座視している最上義光でもなかった。天正三年頃には、家中の抵抗勢力をある程度排除して最上家の主導権を掌握した義光だったが、さらに地歩を固めようと上山・東根・楯岡らの周辺諸地域を勢力下におさめた。さらに、天童八楯の繋がりを背景に強固な勢力を誇っていた天童氏に対しては和議を結ぶ一方、その裏で八楯に対する切り崩し工作を行い、その力を弱める事に余念がなかった。そうしてひとまず近隣の安定化を達成し、将来的に庄内地方の領有を望んでいたであろう義光にとって、次の目標が最上地域となるのは当然の事だったのである。天正八年、義光は攻略の手を小国(現在の最上町)へと伸ばした。当該史実に関する根本史料は無いに等しいが、『奥羽永慶軍記』によれば、

  天正八年ノ頃、小国領主細川三河守モ天童頼澄ノ舅也ケレハ、
  天童ニ力ヲ合セ本望ヲ達セント、計畧ヲ廻ラスヨシ聞エケルハ、
  山形ヨリ大勢ヲ差向終ニ退治ヲセラレケリ、此時蔵増安房守
  軍功ヲハゲマスニ依テ、小国ヲゾ賜ヒケリ、依テ蔵増ガ嫡子
  小国日向守光基ト名ノリケリ(注13)

 とあり、この侵攻は最上地域における拠点確保と天童氏の弱体を一挙に行う事を意図したものであったと推測される。さらにこの翌年の天正九年、義光は一連の最上地方経略計画を完遂するために鮭延郷へと侵攻した。

  鮭延就致我侭、氏家尾張守為代職指遣、及進陣候キ、
  其方事別而無曲之旨不存候處、真室へ同心之事如何ニ令存候處、
  今度罷出被致奉公、於予祝着に存候、依之態計我々着候着物並袴
  指越候、一儀迄候、將又為祝儀此元へ可被登候段可被存候歟、
  返々無用候、彼袴被為着、細々氏尾所へ被罷越可然候、
  万々期後音之時候間、早々、恐々謹言、
   五月二日   義光(鼎形黒影印)
       庭月殿 (注14)

 とあるように、義光は鮭延氏の家老格であった庭月氏を懐柔して、鮭延氏周辺の切り崩しを図っている。なお、鮭延氏攻略の責任者には氏家尾張守が充てられた。氏家尾張守といえば当時の最上家での宿老的存在であり、またこの文書中でも「氏家尾張守為代職指遣」「氏尾所へ被罷越可然候」としているように、庭月に対して「氏家は義光の代理である」事を殊更に強調している。氏家尾張守は義光の期待に十二分に応え、鮭延城を攻略し鮭延氏を臣従させる事に成功した。また同時期に、新庄の日野氏をも降して、最上地域のほとんどを最上家領国化している(注15)。
 ここで注目したいのは、「鮭延就致我侭」と義光に対して抵抗の姿勢を見せていたにも関わらず、前年に攻略された細川氏と異なり、鮭延氏は降伏後その所領を安堵されている事だ。細川氏がどのようにして攻め滅ぼされたかは前述した通り判然とはしないが、細川氏が領主の座から追われて最上派の国人領主(蔵増氏)がその後釜に据えられている事に比べると、鮭延は非常に厚遇され最上家に迎え入れられたと見て間違いないだろう。これには、義光が、地勢的理由のみならず、鮭延を傘下に取りこむ事に対して様々な価値を認めていたであろう事が理由の一つとして考えられるのだ。その利用価値の大きな部分を占めていたのは、鮭延が持っていたであろう他勢力へ対する影響力だったと推察される。
<続>

(注8) 『真室川町史』(真室川町 1997)
(注9) 『同』
(注10) 「正源寺文書」(『山形県史史料編 2』)  
(注11) 前掲 粟野氏論文(1983)
(注12) 「早川家所蔵文書」(『新庄市史史料編 上』) 
(注13) 『奥羽永慶軍記』 谷地・寒河江落城ノ事 (『新庄市史史料編 上』)
(注14) 「楓軒文書纂所集文書」 天正九年五月二日付最上義光書状写 (『山形県史 史料編1』)
(注15) 『新庄市史』(新庄市 1989)など


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2010/03/04 13:47:Copyright (C) 最上義光歴史館
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