:戦国観光やまがた情報局|山形おきたま観光協議会

戦国観光やまがた情報局
織姫になろうコースターづくり
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もうすぐ7月になろうとしています。7月と言えば七夕ですね
ただいま織機を使ったコースターづくりを準備しています。場所は体験学習室で、期間は7月22日(木)まで体験できます!
体験は無料です♪お気軽にどうぞv(。・ω・。)
2010/06/29 10:40:Copyright (C) 伝国の杜 情報BLOG
展示替えを終え、6月26日(土)より『初夏の特別展 直江兼続生誕450年 戦国大名とナンバー2後期の展示が始まりました!
特に見ていただきたいのが『銀箔押鯰尾形兜』。

この兜、とっても長ーーーいんです。これを被ったら相当目立ちますね。遠くからでもすぐに見つけられちゃうのでは!? 
見っけ♪(_´゚∀゚`)シ Σ(゚Д゚ノ)ノ
ここでちょっと豆知識
 鯰は地震を起こすと言い伝えられており、地震によって敵を驚かすとの縁起をかつぎ、用いられたとされます。(展示解説より)φ(・ω・ )ナルホド

初夏の特別展 直江兼続生誕450年 戦国大名とナンバー2
◆会  期◆H22 後期 6月26日(土)〜7月19日(月・祝)
◆入 館 料◆(常設展示室一体型)
      一般 700(560)円 高校・大学生 450(360)円 小・中学生 300(240)円 ( )団体20名以上 

次回のギャラリートーク
 7月10日(土)14:00〜15:00 『伊達政宗と片倉小十郎』菅野正道氏(仙台市史編さん室長) 
 ※ギャラリートークをお聞きいただくには入館料が必要です。
【お問い合わせ】米沢市上杉博物館 0238−26−8001

2010/06/28 16:24:Copyright (C) 伝国の杜 情報BLOG
戦国の杜がオープンしてから2カ月が過ぎました(∩´∀`∩)

義風堂も商品が増え、お客様も増え、
賑やかになってまいりました☆
そこで、義風堂の人気商品をチラッとご紹介しちゃいます【壁】∀゚)*

 1位 缶バッチ
 2位 ステッカー
 3位 けーじろーストラップ

やはり缶バッチ人気ですね!
自分で手作り出来るのが魅力的(●´ω`●)♪

そして最近、暑くなってきたので
扇子も注目されてきています(@д@)!!

あと密かに人気なのは、Tシャツトートバック
どちらも戦国のかっこよさが印象的☆

他にも戦国グッズがたくさんそろっております♪

皆様、是非義風堂にお越しくださいませ(o´∀`o)
2010/06/27 14:25:Copyright (C) 戦国の杜STAFFブログ
梅雨の時期で雨が降ったりやんだり不安定な天気
ヽ`、ヽ`个o(・_・。)`ヽ、`ヽ、
でも気温は30度近くまで上がり蒸し蒸し〜〜
そんな中ですが・・・いや!こんな天気だからこそ!!博物館で歴史・文化に触れましょう!!!気分も落ち着きます
展示室は有料ですがミュージアムショップや体験学習室のプレイショップ・昔遊び(けん玉・めんこなど)は無料でご利用いただけます。
雨宿りでちょっと寄ってみた、という方も気軽に見てみてください
ただいま上杉博物館の常設展示室上杉文華館では『第五期 新規採用の武将』を開催中です。
また、企画展示室側で『国宝 上杉本洛中洛外図屏風』の原本を展示します。原本展示期間は6月26日(土)〜7月1日(木)

:*上杉本洛中洛外図屏風:*とは?
 天正2年(1574)に織田信長が上杉謙信に贈ったとされ、狩野永徳の筆と伝えられています。米沢藩上杉家に伝来したことから、上杉本と呼びます。「洛中洛外図」は、京の都を一望し、洛中(市中)と洛外(郊外)の四季と、そこに生活する人々の風俗がありありと描きこまれています。描かれている人物は2500人近くにのぼります。当時の京都の人口は10万人くらいといわれるので、40人に1人が描かれていることになります!驚きの数字ですね〜(@@;)
 芸術的美術史的価値ばかりでなく歴史資料としての価値も高く、民俗学的見地からも貴重な資料であり、平成7年6月15日国宝に指定されました。
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普段上杉本洛中洛外図屏風は複製の展示をしております。原本展示は限られた期間のみですのでこの機会にぜひ原本をご覧ください!!
2010/06/25 18:21:Copyright (C) 伝国の杜 情報BLOG
戦国の杜の外でお散歩中の

おせんちゃんをパシャリ★

あれ…



のぼり旗の後ろに…




幽霊が…?





よく見たら…









戦国のFさんでした(゚ー゚;A


それでは、今週のゆるキャラ出演情報をお伝えしまーす。


6月26日(土) AM11:00 かねたん

6月27日(日) AM11:00 かねたん

          PM14:00 かねたんおせんちゃん

以上が、今週のゆるキャラ出演情報です。

今後、毎週木曜日のAM11:00頃と

土曜日、日曜日の午前&午後または午前or午後が

戦国の杜でのゆるキャラ出演日となりますので

よろしくお願いしまーす!!!
2010/06/25 18:20:Copyright (C) 戦国の杜STAFFブログ
明日26日(土)の「Jazz Cafe 1」に引き続き、8月20日(土)に第2弾が開催されます。
今度は関西から女性ボーカリストが登場!本格的な夏をジャズと共に満喫しましょう!!

今回は山形を拠点に仙台・東京でも活躍する渋江光晴氏(Dr)が率いるスーパートリオと、関西の若手No.1ボーカリスト池田杏理さんが登場。若手実力派女性歌手と、ジャズに人生を賭ける中年3人組という親子のような(?!)取り合わせ。

スタンダードジャズから、懐かしいポップスまで、息の合ったプレイをお届けします。絶対音感を持ち、年齢に似合わず80'sが大好きという杏理さんの関西ならではのパフォーマンスは必見ですよ!東北初登場の彼女に熱い声援をお願いします!

Jazz Cafe Live 2
〜池田杏理 with 渋江光晴スーパートリオ〜

8/20(金) 18:30開場 19:00開演

会場 :ミュージアム・カフェ“クルチュール”(伝国の杜内)
入場料:全席自由 前売800円 当日1,000円 
1ドリンクつき 定員100名 
※前売券が完売した場合は当日券の販売はありません。
※未就学児の入場はご遠慮ください 。
■託児あり・利用料1,000円、対象:6ヶ月から小学校入学前のお子様
 申し込み締切:8/13(金)

※今回のJazz Cafe Liveはいつもと違い金曜日の開催です。お間違いのないようにご注意ください!
2010/06/25 10:14:Copyright (C) 伝国の杜 情報BLOG
7月19日(月) 海の日に…

会場 まちの広場…

時間は、AM11:00〜PM20:00

じゃじゃーん!!

鷹山公生誕祭

Y-1グルメグランプリが開催されますよー!!!

雨天でも決行!大抽選会あり!ということで

熱い夏がやってきましたねっ!!!


合わせまして、こちら戦国の杜では

開催日の閉館時間を19:30とし、チケットを提示すると

【戦国なりきりの陣】フォトDVDが100円引きになります!!

500円→400円となり、これはちょっと得した気分!?

まだ体験してない!というお客様、ぜひこの機会に体験なされては!?

さらに、さらに!

チケット1枚と交換で、『かねたんうちわ』か『缶バッチ作成体験』ができますよー(^○^)/

そして、上記いずれかをお買い上げのお客様には…

『かねたんゆるキャラポストカード』をプレゼントしちゃいますので!

戦国の杜にお立ち寄りください〜(。_。)ペコッ

おっと!忘れるところだった!!

戦国の杜でも、1000円分の前売りチケットを販売しておりますので

お買い求めの際は、戦国の杜レジにお申し付けください。
2010/06/24 18:49:Copyright (C) 戦国の杜STAFFブログ
さて、夏の恒例イベント「Jazz Cafe Live」の開催が、明後日に迫っています。今年度は2回の開催を予定していますが、第1弾はピアノトリオ・末永尚史(すえながたかふみ)トリオが登場します!

仙台を拠点に活躍する若きピアニスト末永尚史と、ドラム歴30年以上の大ベテラン佐藤栄寿、東北大モダンジャズ研究会所属の現役大学生ベーシスト高野智也の3人の生み出すコンビネーションに、乞うご期待!

そして毎回カフェ・クルチュールスタッフがアイディアを出しあって考えてくれるスペシャル・ドリンクは・・
 ソルティ・ドッグ&、 


ハイボール
と、シンプルに大人な組合せ(●´ω`●)。チケットは現在も好評発売中。
夏の夜をドリンク片手にまったりとお楽しみ下さい。

Jazz Cafe Live1〜末永尚史(すえながたかふみ)トリオ〜
6/26(土) 18:30開場 19:00開演
会場 :ミュージアム・カフェ“クルチュール”(伝国の杜内)
入場料:全席自由 前売800円 当日1,000円 
1ドリンクつき 定員100名 
※未就学児の入場はご遠慮ください 。


2010/06/24 16:45:Copyright (C) 伝国の杜 情報BLOG
限定50個だった、ストラップ型缶バッチが先週末に終了しましたー!!

作成体験なされたお客様、ありがとうございます。

まだ、今後のストラップ型作成の再開予定が定かではないので

決まり次第、皆様にご報告いたします!!

缶バッチの方は、いつも通り戦国の杜内のレジにて

受け付けていますので、よろしくお願いしますー(。-_-。)


話は変わりますが、このじっとりジメジメした天気はいつまで…?

暑くて冷たい物が食べたい今日この頃です(´・д・)
2010/06/21 16:40:Copyright (C) 戦国の杜STAFFブログ
最上家臣余録 〜知られざる最上家臣たちの姿〜 


【志村光安 (4)】


 さて、慶長五年以降の志村光安の動向はどのようなものだっただろうか。
 慶長五(1600)六月、徳川家康は諸大名に対し上杉氏攻めを命じた。奥羽諸大名は庄内・最上口に配備され義光は先手となったが、一転八月には諸大名へ対し引き上げが命ぜられた。これに対し上杉は最上領進撃を計り、庄内よりは志駄修理亮を始めとした庄内衆に陣触れがなされ、寒河江・谷地ら河西諸城を陥落させた。また米沢からは直江兼続を主将とした一軍が出陣し、九月十三日には畑谷城を攻め落として九月十五日には山形城にほど近い長谷堂城を囲んだ(注11)。この時長谷堂城の守将が志村光安であったことは諸書に全く一致する所であり、間違いはないだろう。この長谷堂合戦における志村光安の活躍は様々な書物で取り上げられており、ここで改めて紹介はしないが、ともあれ光安は寡兵よく防衛し、上杉勢の突破を許さなかった。九月末に至って、直江兼続は関ヶ原の敗報に接し、最上領よりの撤兵を開始した(注12)。最上義光はこれを追撃し、上杉方に奪われた谷地・寒河江等の諸城を奪還し、庄内尾浦城へ迫った。尾浦城は降将下吉忠を先導とし開城したが、東禅寺城に籠もる志田修理亮は頑強に抵抗し、時期も冬となった為最上勢は一旦撤兵した。しかし、降雪の間にも東禅寺城攻略の軍備は着々と進められ、下吉忠が「山形の御意」に従って藤島・余目・狩川の各城へ鑓を配備した事を安部兵庫が光安に申し送っている(注13)。『最上記』を始めとしたいくつかの軍記物史料にも、谷地で下治右衛門を降伏させた事や、東禅寺城を攻める際の活躍が詳らかに記されており、また上記の書状に見えるよう諸城へ対する鑓の配備を綿密に把握していた事を考慮すれば、光安は慶長五年から翌六(1601)年にかけて実行された庄内奪還を企図した一連の軍事行動の中で、主導的役割を果たしていたと想定してよいだろう。結果として慶長六年四月に、下吉忠の勧告により東禅寺城は開城、城将志田修理亮は米沢へと帰還した。この年の冬には最上家に対し庄内と由利郡の領有が追認され、名実ともに庄内は最上家の所有するところとなったのである。義光は下対馬守(治右衛門吉忠)を尾浦一万石、新関因幡を藤島七千石、そして志村光安を東禅寺三万石に封じて庄内の経営を行った(注14)。

 慶長七年には、光安が坂紀伊守と連署で大津助丞・須佐太郎兵衛らに知行を宛がっており、この頃には志村の知行地もほぼ確定していたと見てよいだろう。このように比較的早期に三万石という大規模な知行地が確定した背景には、天正年間から継続して行われた、上杉家による(豊臣政権の意向をうけた、と言い換えてもよいだろう)検地成果が、下対馬を始めとした上杉家降将らの影響下の元、新たに最上家領国化された庄内へと反映された事が大きな要因として挙げられるだろう。

 翌慶長八(1603)年に、酒田湊に大きな海亀がはいあがったという事件があったらしく、義光は此れを瑞兆とし東禅寺城を亀ヶ崎城、大宝寺城を鶴ヶ岡城、尾浦城を大山城と改めた。しかし、天正十九(1591)年に成立したとされる『浄福寺由緒記』に袖浦より天文年間に酒田津亀ヶ崎に移り、亀崎山と号したという記述があり、一考を要する(注15)。
<続>

(注11)「小山田文書」九月十八日付上泉泰綱條書(『山形県史 古代中世史料1』)
(注12) 『伊達治家記録』『上杉家御年譜』など
(注13) 「鶏肋編 所収文書」十二月十七日付安部兵庫助書状
(注14) 『寛政重修諸家譜』。ただし、各城主の石高に関しては諸説ある。
(注15) 『酒田市史 改訂版 上巻』(酒田市 1987)


志村光安(5)へ→
2010/06/20 16:21:Copyright (C) 最上義光歴史館
先週の土曜日にギャラリートークがありました。画像はその時のものです。今回は長野市立博物館学芸員の原田和彦さんに講師をしていただきました。テーマは『真田信之と家臣団』。「真田家とは?」から始まり、真田家に関わるをお話を展示品と照らし合わせてしていただきました。みなさん真剣な表情です!〆(・Å・`o)かきかき
画像中央に見えるのはチラシにもドド―゚(∀)゚―ンと載っている「萌黄糸威二枚胴具足」(真田宝物館所蔵)です。
ギャラリートークが終わった後、原田さんに質問される方も多く、たくさんの方が今回の展示に興味をもってくださっているんだなぁと感じました。
次回のギャラリートーク後期の見どころを解説いたします!みなさんぜひぜひご参加ください♪お待ちしておりまーっす!!
次回のギャラリートーク
 日時:6月26日(土)
 時間:10時〜11時
 場所:企画展示室
 ※ギャラリートークをお聞きいただくには入館券が必要です。
2010/06/18 16:38:Copyright (C) 伝国の杜 情報BLOG
戦国の杜 F でございます。
日ごろは戦国の杜をお引き立ていただきましてありがとうございます。

6月4日の「前田慶次399回忌祭」のイベントにご参加頂いた
お客様の「けーじろーポストカード」は6月10日に発送済みです。

ただ、当館の不注意で「記念品」であることがモロ判る状態で発送してしまった
事が原因かどうか…

一部で不着が発生している、というご報告をいただきました。

誠に申し訳ございません。イベントに参加してカードを投函したにも係わらず
未だに到着してないぞ!というお客様はお手数ですがこちらからご連絡ください。

申し訳ございませんが、よろしくお願いいたします。
2010/06/17 20:42:Copyright (C) 戦国の杜STAFFブログ
じゃじゃーん!(久々にでました!


館内にて、ペーパークラフト体験予約が開始されましたよー!

作成できる兜は、なんと15種類!!

大きさの方は、約12cmほどのミニ兜となっていまーす。


体験日は下記の通りです。


第1回 7月25日(日)13:30〜

弟2回 8月1日 (日)13:30〜

第3回 8月8月 (日)13:30〜


ご予約希望日の、1週間前までにご予約お願い致します。

作成にかかる時間は1時間半〜2時間くらいで、

体験料金については、ミニ兜1つに付き500円となっていまーす!

ぜひ、この夏に戦国の杜へ体験にきてくだされ〜(*^-゚)v
2010/06/17 14:12:Copyright (C) 戦国の杜STAFFブログ
財団法人宮坂考古館
企画展
・甲冑と屏風絵図
・前田慶次とパネル展
平成22年4月20日(火)〜8月29日(日)

特別展
・陣羽織と胴着展
・前田慶次とパネル展
平成22年9月7日(火)〜11月3日(水)

◇開 館 午前10時〜午後5時(4月〜9月)
     午前10時〜午後4時(10月〜3月)
◇休館日 月曜日、祝祭日の翌日
◇入館料 大人300円 大高生200円 小中生100円
     (団体割引あり)

米沢藩の文化財
財団法人宮坂考古館
〒992-0026
米沢市東1丁目2−24
電話0238−23−8530

米沢藩古式砲術について

米沢藩の鉄砲のはじめは、謙信公の越後春日時代
唐人式部秀政を招き、その伝授を受けたことと伝えられる。
川中島合戦(1561)には、武将斉藤朝信が鉄砲隊を率い
武田方を悩ませたことが知られている。
名称直江兼続は、この後を受けて鋭意その改良につとめた。
すなわち五匁筒を改め、大型化をはかって、慶長9年(1604)
江州国友村から吉川惣兵衛、泉州堺から泉谷松右ヱ門を招いて
吾妻山中にて極秘のうちに鋳造せしめたという。
このころ、鉄砲の流派は200余あったが、いまに伝えられている
のは、森重流・陽流・稲富流の三流のみである。
このうち、米沢には宮坂善助前館長が復活させた
米沢藩古式砲術保存会があり、いまにその古式砲術を伝えている。


2010/06/16 08:57:Copyright (C) 米沢観光コンベンション協会
今日は朝から雨です(´・ω・`)
米沢はもうすぐ梅雨に入りそうな感じです。ジメジメ

そーいえば、小野川温泉のホタル鑑賞期間は、6月中旬〜7月下旬らしいですが、今年はもうホタルが飛んでるらしいですヾ(*・ω・)ノヤホーイ゜+.゜

そして、最近気付いたんですが・・・
米沢というか、山形は納豆料理のバリエーションがスゴイことに驚きましたΣ(@д@;)!?




・納豆チャーハン
・納豆味噌汁
・納豆ラーメン

納豆を加熱処理して食べる考えがなかった私にはとってもビックリした料理でした(汗)。

何か機会があったら挑戦してみようと思います☆キラーン
皆様もお試しあれ(◎´∀`)ノ
2010/06/14 14:28:Copyright (C) 戦国の杜STAFFブログ
最上家臣余録 〜知られざる最上家臣たちの姿〜 


【志村光安 (3)】


 さて、志村光安は軍記物史料の中でどのように位置付けられているのだろうか。『奥羽永慶軍記』の記述に、それがよく現れている一文がある。

  『奥羽永慶軍記』最上義守逢夜討事
   最上出羽守義光ハ、清和天皇八代孫義家ノハ十一代ノ後胤、(中略) 
   誠ニ君々タレハ臣々タリトカヤ、時ノ執事氏家尾張守、
   元来忠有テ義アリ、謀ハ楠カ肺肝ノ中ヨリ流レ出ルカ如キモノ也、
   今一人ハ志村九郎兵衛尉、其心剛ニシテ武威ノ名顕レ、
   然モ口才人ヲクシキ、イカナル強敵ト言トモ彼ニ逢テハ即降リヌ、
   彼等ハ皆君臣ノ礼厚クシテ国治リ、栄耀家門ニ及ホシ給フ(注7)

 これを読む限りでは、光安は氏家尾張守と並び義光の腹心中の腹心として捉えられている。また、「口才人ヲクシキ」と弁舌の才がある人物とされている。特に『奥羽永慶軍記』においてはこれが強調され、光安が使者としての役割を果たす場面が多く記述されている。

  『奥羽永慶軍記』羽州天童合戦事
   …志村九郎兵衛ヲ使者トシテ密ニ延沢ニソイハセケル…(中略)
   志村元来口才名誉ノ者ナレハ…(注8)

  『同』 白鳥十郎被討事
   …志村九郎兵衛ヲ使者トシテ信長公ヘ遣シケル…(中略)
   志村九郎兵衛ヲ使者トシテ、白鳥ノ所ニソツカハシケル、
   志村急キ谷地ニ至リ、(中略)…志村元来口才名誉ノ者ナレハ…(注9)

  『羽陽軍記』義光小田原江使者之事
   …御使者として志村伊豆守を小田原江被遣、…(中略)
   秀吉公伊豆ノ守を御前江召され、(注10)

 このように、信長への貢物を届ける使者や、小田原の秀吉への使者を拝命している記述があるが、これが全て事実であるか裏付けはとれない。ただ、全く才能が無く、実績の無い分野での活躍が軍記物史料に記され、また語り草となることはなかろうから、義光が光安を使者としてよく用いていたのであろうという推測は成り立つ。ただし、慶長期に比して文禄以前に志村が発給した行政関係の文書の残存状況が少ない事を考慮すれば、行政文書を発給し、領内統治に直接的に携わるような位置にはいなかったとも考えられる。

 次に光安の槍働きであるが、史料によって多少のばらつきはあるものの、最上家の勢力が伸張する天正以降においての主要な合戦の陣立てにはほとんどその名が記されている。一々内容に触れる事はしないが、義光に近しい直臣という立場上、義光自らが参戦した合戦には光安も随行していると推測するのが妥当だ。

 最後に「九郎兵衛」から「伊豆守」への移行時期の問題を少し検討したい。「伊豆守」の名の初出は、『最上記』『羽源記』では慶長五(1600)年長谷堂合戦条である。『奥羽永慶軍記』ではそれより若干前の文禄四(1595)年有屋峠合戦条で、その画期は十六世紀最終盤に集中している。『最上記』は、成立が寛永十一(1634)年と軍記物史料の中でも最も早く、しかもその著者は最上遺臣であるという。1590年代には実際に著者が生きて最上家内にいた可能性が高く、明確な意図があってその名乗りを書き分けていると推察できる。その契機として真っ先に考えられるのは長谷堂城主就任もしくは嫡子光惟の元服であるが、それを裏付ける史料が見られないため、あくまでこれは推論の上に成り立った仮説にしかすぎない。ただ、『奥羽永慶軍記』に、下治右衛門が上杉氏より最上氏に下り、改めて尾浦城将として配置されたときに名乗りを治右衛門から対馬守に変えた、という記述があって、自らが城主層となると同時にその名乗りを変えることはよくあったようだ。光安の場合も、子飼いの直臣の城主就任にあたり、義光が志村に対し権威付けのため官途名を与えたのであろうか。ともかく、慶長四(1599)年発給の書状において、山形の寺社統制に長崎城主中山玄蕃とともに「伊豆守」が参画している記述があり、この時点で光安は「伊豆守」を名乗り、山形近郊にその所領を持って行政に携わっていた事は確かであろう。

 以上、軍記物史料から見える関ヶ原以前の志村光安の姿を見てきた。整理すると、光安は義光政権成立当初から義光の腹心としてその手足となって活動し、天童氏との抗争、寒河江・谷地攻略等の主要な軍事行動に部将として参加していた。同時に弁舌の才にも恵まれ、方々へ使者として遣わされたが、文禄以前は最上家領内の内政的な経営に関わっていた形跡は見られなかった。いくつかの軍記物史料では、慶長の初期あたりを境として「九郎兵衛」から「伊豆守」へとその名乗りを変えており、あるいはその時期に長谷堂城へ移った事がその契機であったろうか。ただ、これらの史料の記述にすべてにおいて全幅の信頼を置くことはできず、この推論はあくまで「軍記物史料から見える」動向であることを重ねて記しておく。
<続>


(注7) 『奥羽永慶軍記』最上義守逢夜討事(『山形市史 史料編1 最上氏関係史料』)
(注8) 『同上』羽州天童合戦事(『同上』)
(注9) 『同上』白鳥十郎被討事(『同上』)
(注10) 『羽陽軍記』義光小田原江使者之事(『同上』)


志村光安(4)へ→
2010/06/12 13:41:Copyright (C) 最上義光歴史館
戦国の杜【南口】の方に

『けーじろー』の看板が設置されたんですよ〜

かげっちさまも記念にパシャリ!!

大喜びのかげっちさまでした〜(^^

『けーじろー』も着ぐるみとして登場してほしいなぁ。。。


看板ですが、ぜひ記念に『けーじろー』と一緒に写真撮って下さ〜い。

あっ最後に、ブログの総アクセスが5万5千を超えました!!!

沢山の方々に見て頂き、ありがとうございます。

これからも、戦国の杜がんばっていきます!!!

めざせ10万アクセーースッ!!!!!

おっと忘れちゃいけない!!

なんと、クレヨンマキ様からご紹介頂いております(^^

下記リンクからご覧頂けます。

http://ameblo.jp/crayon-maki/

いつもありがとうございます!!
2010/06/10 17:07:Copyright (C) 戦国の杜STAFFブログ
最上家臣余録 〜知られざる最上家臣たちの姿〜 


【志村光安 (2)】


 前述したように、十六世紀中盤から慶長六年に酒田へ移るまでの動向を追う場合、軍記物史料に頼らざるを得ない状況にある。信頼性に制限のある史料群ではあるが、可能な限り、その動向を検討したい。まず検討したいのが、光安の名乗った官途名である。多くの軍記物史料においては、志村光安と思われる人物が「志村九郎兵衛」と「志村伊豆守」という二つの官途名を使用している。この二つの名前が真に同一人物の名であるのかをまず確認せねばならないだろう。
 時期は下るが、書状史料における光安の官途名はどうなっているだろうか。慶長期以降の書状史料を見ると、

   御書中披見、祝着之至候、・・・(中略)・・・恐惶謹言
              志伊
      極月八日      光安
        大津助丞様
       御報  (注2)

 とあり、志村光安が伊豆守の官職名を用いていたのは確かなようである。また、他の史料を見る限り、光安の官職名は一貫して「伊豆守」と記されている。しかしながら、光安が「九郎兵衛」と名乗っている書状史料は一通も見当たらない。それでは、軍記物史料での記述はどうであろうか。目に付くのは、『最上記』と『羽源記』の記載内容である。

  『最上記』城取十郎討捕給事
   去程に其頃出羽国谷地と申所に、(中略) 此も義光公聞召、
   志村九郎兵衛後に号志村伊豆守使者として、最上の家の系図并白の
   大鷹一居・御馬一疋、月山打長身の鑓十丁相揃進上有りけるに、…
   (注3)

  『羽源記』巻之第二 城取十郎討捕謀略之事
   其頃最上谷地と申す所に、城取十郎武任と申屋形あり、(中略) 
   家の子に志村九郎兵衛と申者、後は伊豆守とて酒田の城主となりしを
   使者として、…(注4)

 とあり、この二つの軍記物史料においては「志村九郎兵衛」と「志村伊豆守」は同一人物と扱って物語を記している。また、他の書軍記物史料の記述とこの二つの軍記物史料の「志村九郎兵衛」と「志村伊豆守」の登場場面・活動内容を見比べてみる限り、そのほとんどが合致している。よって、軍記物史料における「志村九郎兵衛」と「志村伊豆守」は同一の人物「志村光安」としてとらえてよいだろう。
 ただし、注意しなければならないのは、光安の嫡子光惟も「九郎兵衛」を名乗っていたということで、これは書状史料に明記されているから確かな事である。
  
   殿様御遠行ニ付而、態飛脚差越候事、令祝着候、
   即頓而下候時可申理間、不具候、恐々謹言、
             志九郎兵衛
    ニ月六日         光惟
         永田勘十郎様  (注5)

 同様に、『奥羽永慶軍記』においても、
 
  『奥羽永慶軍記』庄内城主数代替ル事、付御静謐事
   羽陽田河・飽海ノ両郡ヲ、前代ヨリ庄内ト号ス、
   (中略、以下庄内の支配者が列挙される)
   志駄修理亮  慶長五年迄    
   志村伊豆守  最上ノ郎党、同十九年迄   
   同 九郎兵衛  同元和八年迄(注6)

 と、志村光惟が九郎兵衛を名乗っていた事を記している。ただし、光惟は慶長十九(1614)年に一栗兵部の手によって襲殺されており、元和八(1622)年まで城主であったとしている記事内容の信頼性は低い。ともあれ、軍記物史料における「志村九郎兵衛」と「志村伊豆守」は同一人物とみなしてよく、またその子光惟も「九郎兵衛」を名乗っていたことは確かである。志村光安が史実の上で「九郎兵衛」を名乗っていたかどうか、書状史料の上からは明らかにする事はできないが、親子で官途名を継承する事例はありふれたことで、光安も、伊豆守を名乗る以前は「九郎兵衛」を名乗っていた可能性が高い。
<続>

(注2) 「大津文書」十二月八日付志村光安書状(『山形市史 史料編1 最上氏関係史料』)
(注3) 『最上記』城取十郎討捕給事(『同上』)
(注4) 『羽源記』巻之第二 城取十郎討捕謀略之事(『同上』)
(注5) 「永田文書」二月六日付志村光惟書状(『同上』)
(注6) 『奥羽永慶軍記』庄内城主数代替ル事、付御静謐事(『同上』)


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2010/06/09 16:23:Copyright (C) 最上義光歴史館
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2010/06/08 20:15:Copyright (C) 米沢観光コンベンション協会
みんなを代表してFさんが・・・

消火器の操作訓練しました(^◇^)

ぷしゅ〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!

さすが消火器、字の通り。。。

一瞬で火が消えてしまいました(@^^)/~~~

Fさんがカッコよくみえました(>_<)




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