豊臣秀吉(とよとみひでよし):戦国観光やまがた情報局|山形おきたま観光協議会

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豊臣秀吉(とよとみひでよし)
天文6年(1537)〜慶長3年(1598)
 尾張国の百姓の子として生まれ、天下人にまで上りつめた立身出世の代名詞的な人物。
 織田信長に仕えて頭角を表し、本能寺の変で信長を討った明智光秀を破って、信長の後継者として名のりを上げる。北陸に居城を持っていた柴田勝家と後継を巡って対立。同じく勝家と対峙していた上杉景勝と同盟を結んだ。
 天正11年(1583)越前北ノ庄城にて勝家を攻め滅ぼすと、信長後継の地位を確立、毛利家、長宗我部家、上杉家、徳川家、島津家などを次々と臣従させた。
 天正18年(1590)小田原征伐を行う。これに伊達政宗、最上義光ら奥州諸大名も参陣し臣従、北条家も降伏し、天下統一を成し遂げた。
 慶長3年(1598)上杉景勝を奥州の要地である会津120万石に加増移封。その際、才能を高く評価していた上杉家執政・直江兼続に出羽米沢30万石を与えたといわれている。この年、景勝ら五大老に後事を託して伏見城で没した。享年62。
2008/05/25 16:00 (C) 戦国観光やまがた情報局
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