戦国観光やまがた情報局
▼富神山(とかみやま)
直江軍が登ったとされる富神山の山頂です。
最上軍の拠点である山形城を攻める際に、山頂から眺めようとしましたが、城には霞がかかって全く見ることができませんでした。
10日待っても霞が晴れず、その間に関ヶ原での石田軍敗北の報が入り、上杉軍は撤退を余儀なくされました。
そのことから、この山を十日見山(とかみやま)、そして山形城を霞ヶ城(現在の霞城公園)と言われるようになったとも言い伝えられています。
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:.2008/05/25 00:42
▼山形盆地を一望
山形盆地がまさに一望できます。
中央右から左へ横たわる木々が山形防衛線となった須川です。
市街中中央の緑地が山形城跡(現在の霞城公園)です。
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:.2008/06/25 00:12
▼下から見る富神山
下から仰ぎ見る富神山。
ピラミッドの形にも似たこの山は、古代より神として人々の崇拝を集め、また郷土のシンボルとされてきました。
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:.2008/06/25 00:20
▼徒歩で約35分
西登山口からは、徒歩で約35分程度で山頂まで登ることができます。
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:.2008/06/25 00:22
→慶長出羽合戦ゆかりの史跡
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