令和6年度の上杉文華館では、16世紀の長尾上杉氏と北陸地域(主に越中・能登)の歴史的関係について、国宝「上杉家文書」を中心に通時的に紹介します。
越後と隣接する北陸地域への侵攻は、上杉氏の領国(領土)形成の上で重要であり、北陸の諸勢力をいかに統合するかがカギとなりました。ただし、上杉謙信の北陸侵攻は、武田信玄や北条氏康といった関東甲信勢力のほか、一向一揆や織田信長などとの関係・動向に規定される側面があり、謙信を取り巻く当時の政治状況に配慮したなかで行われました。
謙信の北陸侵攻は、関東侵攻(17回)に次いで多く行われており、その数は11回に及びます。小田原北条氏・甲斐武田氏との関係変化により、信濃・関東の攻略が足踏みする中で、北陸地域は上杉氏の領国化が叶った地であり、謙信の晩年になって越中と能登が上杉氏の版図に組み込まれています。
北陸地域における同盟主の裏切り、敵対勢力との和睦・合力など、目まぐるしく変わる情勢に、長尾上杉氏がどのように対応していったのか、一進一退の攻防を繰り返した長尾上杉氏の北陸侵攻を主軸に据えて、その内容を深めていきます。
第2回「能登畠山氏と長尾為景」
【展示期間】4月25日(木)〜5月21日(火)
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能登畠山氏は、約170年間にわたって能登国(石川県北部)の守護を務めた一族で、室町幕府の管領畠山氏の分家筋に当たります。なかでも、長尾為景と同じ時代を生きた第7代当主・畠山義総の時代は、領内が安定して統治されたことから、能登畠山氏の全盛期と評価されています。
これまで、為景と連携して神保慶宗討伐を推し進めてきた畠山卜山は、畿内情勢の動揺によって越中へ下向できない事態に陥ります。これには、畿内における畠山氏の内紛が関わっており、今まで維持されてきた卜山派と義英派の協調関係が解消し、再び対立関係に転じたことによるものでした。この結果、卜山は為景との情報交換を通じて能登畠山氏との連携を模索し(史料1・2)、為景と義総による越中侵攻の方針が採られました。以後、越中侵攻は為景と義総が中心となって展開していきます。
今回の展示では、国宝「上杉家文書」から能登畠山氏に関連する史料を中心に読み解き、為景と能登畠山氏による越中侵攻の様相を紹介します。
▼ コレクショントーク
日時:5月12日(日) 14:00
場所:常設展示室 上杉文華館
※入館料が必要です。
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【お問い合わせ】
米沢市上杉博物館 0238-26-8001