令和6年度の上杉文華館では、16世紀の長尾上杉氏と北陸地域(主に越中・能登)の歴史的関係について、国宝「上杉家文書」を中心に通時的に紹介します。
越後と隣接する北陸地域への侵攻は、上杉氏の領国(領土)形成の上で重要であり、北陸の諸勢力をいかに統合するかがカギとなりました。ただし、上杉謙信の北陸侵攻は、武田信玄や北条氏康といった関東甲信勢力のほか、一向一揆や織田信長などとの関係・動向に規定される側面があり、謙信を取り巻く当時の政治状況に配慮したなかで行われました。
謙信の北陸侵攻は、関東侵攻(17回)に次いで多く行われており、その数は11回に及びます。小田原北条氏・甲斐武田氏との関係変化により、信濃・関東の攻略が足踏みする中で、北陸地域は上杉氏の領国化が叶った地であり、謙信の晩年になって越中と能登が上杉氏の版図に組み込まれています。
北陸地域における同盟主の裏切り、敵対勢力との和睦・合力など、目まぐるしく変わる情勢に、長尾上杉氏がどのように対応していったのか、一進一退の攻防を繰り返した長尾上杉氏の北陸侵攻を主軸に据えて、その内容を深めていきます。
第1回「長尾為景の越中侵攻」
【展示期間】3月26日(火)〜4月23日(火)
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長尾氏と越中の関係は、永正3年(1506)まで遡ります。上杉謙信の祖父・長尾能景が、越中守護の畠山卜山の要請を受けて、加賀一向一揆の討伐のために越中へ出陣したことから始まります。ところが、畠山氏の被官・神保氏と遊佐氏が一向一揆と結び付いて畠山・長尾勢力と対立したことで、能景は戦死しました(芹谷野の戦い)。
その後、家督を継いだ長尾為景(能景子、謙信父)は、越後国内の不安定な情勢を平定し、実質的な越後国主として越後一国を支配する存在となりました。為景は、永正13年の越中出兵で椎名氏ら越中の諸勢力の反撃に遭い敗北を喫したものの、同15年の畠山氏の要請を受けて翌年に再び越中へ出陣しました。この出陣では、畠山・長尾両氏と対立関係にあった神保慶宗が討伐の対象となりました。慶宗は、能景を敗死に追いやった張本人であり、為景にとってまさに宿敵とも言える存在でした(史料1)。したがって、為景の越中出兵には、領土拡大への野心だけでなく、神保慶宗への遺恨も大きな契機であったと考えられます。
今回の展示では、永正16年に起きた神保慶宗討伐関係の史料を中心に読み解き、為景が越中への出陣を本格化させる過程および長尾・畠山両氏がとった行動について紹介します。
▼ コレクショントーク
日時:3月31日(日) 14:00
場所:常設展示室 上杉文華館
※入館料が必要です。
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【お問い合わせ】
米沢市上杉博物館 0238-26-8001