令和5年度の上杉文華館は「上杉家歴代の文書管理と歴史編纂」をテーマに、国宝「上杉家文書」などを展示します。
上杉文華館では、国宝「上杉家文書」を毎月入れ替えながら常時展示しています。上杉家文書は、江戸時代以降に行われた文書の管理や歴史編纂を通じて、中世以来の上杉家の由緒や権威、特定の当主の事績を示す文書が収集、選別され、移動や変化を続けながら、現在の構成(2018通、4帖、26冊、保存容器として両掛入文書箱、精撰古案両掛入文書箱、黒塗掛硯箱、赤箪笥 乾・坤2棹、附として歴代年譜325冊)になったことが明らかになっています。
また、「上杉家文書」とは別に「上杉文書」と呼ばれる藩政文書を中心とした1万点弱の史料群があり、米沢市では令和3年度から文化庁の「地域活性化のための特色ある文化財調査・活用事業」の補助を受け、調査に取り組んでいます。その中核は文書管理や歴史編纂を担った、江戸時代の御記録方や、近代の上杉家記録編纂所総裁伊佐早謙の関連文書です。上杉文書には、国宝「上杉家文書」を深く理解するための手がかりが、豊富に含まれています。
今年度は本調査事業の成果を活用して2つの史料群を紐解きながら、江戸時代から近代にかけて、文書の具体的な管理方法と歴史や記録の編纂事業、その背景にある藩政の状況や世情をご紹介します。永年にわたり文書を守り伝え、活用してきた人々の営為にご注目下さい。
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《斉定による改革の継承》
展示目録はこちらよりご覧ください。
【展示期間】11月23日(木)〜12月24日(日)
上杉斉定は、上杉勝煕(8代藩主重定の長男)の子として天明8年(1788)に産まれました。寛政6年(1794)に、鷹山の実子で、10代藩主治広の世子(後継ぎ)となっていた顕孝が死去すると、代わって斉定が治広の世子と定められます。これにあわせ、斉定は米沢城三の丸にあった鷹山の隠居所餐霞館(さんかかん)に居を移し、鷹山のもとで教育を受けました。斉定は一旦は江戸に登りますが、文化7年(1810)からは国政見習いのため再び鷹山と同居しています。国宝「上杉家文書」には、鷹山と斉定がやり取りした手紙が多く含まれ、手厚い教育ぶりを知ることが出来ます。
斉定は文化9年(1812)に第11代藩主となり、鷹山の後見を受けて改革を継承していきます。文政5年(1822)には鷹山が死去しますが、この時期に至り藩の財政はようやく安定したのでした。斉定は鷹山の遺訓を守って天保の飢饉などを乗り越え、天保10年(1839)に亡くなるまで藩政を担いました。
文書管理と記録編纂の面では、鷹山の治世下で整備された御記録所が、斉定の治世下でも活動を継続します。鷹山・治広の事績を伝える年譜の充実を模索し、家臣団統制に関する「諸士略系譜」(中級藩士以上の系図集)を始めとした諸記録の編纂と校正が進められました(上杉文書「御記録所局中之留」)。重要文書類の保存管理に加え、藩政の参考となる蔵書類の管理も御記録所が担いました。
▼ コレクショントーク
日時:11月26日(日) 14:00
場所:常設展示室 上杉文華館
※参加には入館料が必要です。
皆さまのご来館を心よりお待ちしております。
【お問い合わせ】
米沢市上杉博物館 0238-26-8001