令和5年度の上杉文華館は「上杉家歴代の文書管理と歴史編纂」をテーマに、国宝「上杉家文書」などを展示します。
上杉文華館では、国宝「上杉家文書」を毎月入れ替えながら常時展示しています。上杉家文書は、江戸時代以降に行われた文書の管理や歴史編纂を通じて、中世以来の上杉家の由緒や権威、特定の当主の事績を示す文書が収集、選別され、移動や変化を続けながら、現在の構成(2018通、4帖、26冊、保存容器として両掛入文書箱、精撰古案両掛入文書箱、黒塗掛硯箱、赤箪笥 乾・坤2棹、附として歴代年譜325冊)になったことが明らかになっています。
また、「上杉家文書」とは別に「上杉文書」と呼ばれる藩政文書を中心とした1万点弱の史料群があり、米沢市では令和3年度から文化庁の「地域活性化のための特色ある文化財調査・活用事業」の補助を受け、調査に取り組んでいます。その中核は文書管理や歴史編纂を担った、江戸時代の御記録方や、近代の上杉家記録編纂所総裁伊佐早謙の関連文書です。上杉文書には、国宝「上杉家文書」を深く理解するための手がかりが、豊富に含まれています。
今年度は本調査事業の成果を活用して2つの史料群を紐解きながら、江戸時代から近代にかけて、文書の具体的な管理方法と歴史や記録の編纂事業、その背景にある藩政の状況や世情をご紹介します。永年にわたり文書を守り伝え、活用してきた人々の営為にご注目下さい。
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《綱勝から綱憲へ》
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【展示期間】6月29日(木)〜7月25日(火)
寛文4年(1664)、3代藩主綱勝の急死は、米沢藩上杉家の存亡に関わる一大事でした。会津藩主保科正之の尽力により、幕府高家吉良上野介義央の子(母は上杉定勝の娘三姫)が上杉家に養子入りし、領知は30万石から15万石に半減されたものの存続を許されます(4代藩主綱憲)。綱憲はやがてこの危機を乗り越え、学問所の設立、能楽の振興、文武の奨励などに力を入れていきます。
綱憲の治世下では、上杉家伝来文書の管理強化と歴史編纂事業も進められました。綱勝の補佐役であった竹俣義秀は寛文5年には文書の整理作業に着手しています。文書の管理は家の継承、存続にかかわる重要案件であり、思わぬ代替わりと領知の半減という危機の翌年に、補佐役自らがこれに取り組んだのです。
義秀は延宝2年(1674)、家臣に実権を奪われないよう注意すること、上杉家の記録が半端になっているので成人後に完成させること等を綱憲に遺言しました。これが上杉家における歴史編纂のきっかけになったと考えられます。同5年の謙信100回忌も契機となり、藩の儒学者矢尾板三印を中心に、文書の整理(資料3)、古文書の収集と「御書集」の編纂が進められました。その成果は元禄年間にかけて謙信と景勝の年譜として結実し、編纂と記録管理の中心となる御記録方の職務も確立していきました。
▼ コレクショントーク
日時:7月2日(日) 14:00
場所:常設展示室 上杉文華館
※参加には入館料が必要です。
皆さまのご来館を心よりお待ちしております。
【お問い合わせ】
米沢市上杉博物館 0238-26-8001