【天地人と川西町】直江兼続の実弟大国実頼(おおくにさねより):戦国観光やまがた情報局|山形おきたま観光協議会

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【天地人と川西町】直江兼続の実弟大国実頼(おおくにさねより)

2009年NHK大河ドラマ『天地人』の登場人物に、川西町にゆかりの深い武将として、直江兼続の弟、大国実頼があげられます。ドラマでは小泉孝太郎さんが演じています。

 大国実頼は、【元和5年(1619年)兄、兼続が没した頃ひそかに米沢北郊の中小松村に戻り、同地で暮らしたまま元和8年(1622年)2月9日、61歳の生涯を閉じた。】と伝えられています。(『大国家系譜』大国家所蔵・『甘粕家寄贈文書』米沢市立図書館所蔵)

○大国実頼の人物像
 永禄5年(1562年)樋口惣右衛門の二男として越後国・坂戸城下(新潟県南魚沼市六日町)に生まれ、幼名は与七。兄与六(兼続)の2歳年下。
 十代の頃から上杉景勝に仕え、兄とともに御館の乱(景勝と景虎の家督争い)で活躍し、功績をあげて天神山城主・小国家に婿入しました。その後は、上杉の重臣となり、全上杉家武士団の中で、上杉景勝、直江兼続に次ぐ三番目に多い領地を与えられていました。
 天神山城主だった25歳のとき、豊臣秀吉の聚楽第という新しい城の完成を祝う上杉家の使者として京へ上り、秀吉に面会しました。このとき姓を小国から大国に改め、従五位の下・但馬守の官名を賜り、大国但馬守実頼を名乗りました.。これより実頼はほとんどの時間を京都の上杉屋敷に暮らすようになり、連歌をたしなみ、様々な武将と交流して上杉家の外交を担いました。こうして実頼は上杉家武将の中で第一の文化人となりました。
 ※当時武将の能力を見極める手段のひとつとして、千利休の茶の湯や連歌が使われていたとも言われ、実頼という連歌上手な武将を抱える上杉家は政治的にも一目おかれることとなったと考えられます.
 上杉会津120万石の時代には南山城2万1千石もの領地をおさめ、関ケ原合戦後は高畠城7千石の城代を任されました。しかし、いずれの時代も城へはほとんど登らず代官を送って自身は京都に滞在し続けました。
 慶長9年(1604年)兼続は上杉家の存続のため、敵対した徳川家康の家老、本多正信の子を直江家の養子に迎えようとすると、実頼はこれに反対し、迎えにきた兼続の使者を京都伏見宿で切り、そのまま上杉家を出奔し高野山に逃れました。
 出奔から15年後、兼続が没した頃、ひそかに小松(現在の川西町中小松)へもどり、そのまま生涯を閉じました。

写真は大国氏の家紋


2009/04/21 20:35 (C) 川西町観光協会
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