長谷堂城の守り:戦国観光やまがた情報局|山形おきたま観光協議会

戦国観光やまがた情報局
長谷堂城の守り

長谷堂城は、標高227Mの独立丘で、比高約80M、頂上を主廓とし、中腹には幾段もの帯曲輪をめぐらし、ふもとを水濠と土塁で囲んだ最上領内屈指の堅城であった。

城将は最上の智将志村伊豆守光安(あきやす)。副将として、剛勇鮭延越前守秀綱が派遣された。

山形攻防の前線須川東岸には、吉原から沼木、飯塚、椹沢付近まで後詰めの軍を配し、上杉軍の渡河攻撃に備えた。

長谷堂が陥落すれば、山形は風前の灯となる。長谷堂城を死守すべく、最上方は全力を挙げて上杉軍と渡り合った。こうして実に15日間、長谷堂付近を舞台として、死闘が繰り広げられた。

「長谷堂城跡」周辺のムービーはこちら
Copyright (C) 山形おきたま観光協議会 All Rights Reserved. 禁無断転載・複写